たりないひとり。
ここ数日、ひとりで過ごす時間が減った。
学生生活に終わりが見えてきてるので、
”最後に”を合言葉に友達やお世話になった方々に会う機会が増えている。
また引っ越しを家族が手伝ってくれていた。
本当にありがたい。
みんなに感謝だ。
みんな最高だ。
人と会うと、人と話していると、1人でいないと、満たされている感じがする。
会話がなくてもだ。
それはすごく幸せなことだと思う。
そう幸せなんだ。
しかし、少し困ったこともあった。
満たされてしまうと、言葉や思考が湧きあがってこない。
今思い出しみると、noteを始めたのは最初の緊急事態宣言が発令された頃だった。
ずっとひとりだった。
心が満たされていない自分がいた。
そして、ひとりでいる時間が長ければ長いほど、ちょっとしたことをずっと頭でこねくり回して考える時間も長くなった。
それがたまりにたまって放出したくなり、noteをはじめた。
他にもいろんな理由があったけど、初めの方はnoteはストレス発散のためにしているようなところもあった。
週1更新が、毎日投稿に変わったのもそのペースじゃたまりすぎてしまうと思ったからだった。
毎日でもできると思ったからだった。
だから、たまに自分のnoteを振り返ってみると、こいつ人間やめるんかと思ってしまうような投稿が更新され続ける1週間があったりもする。
圧倒的に足りていないひとりでいる自分が満たされるために、何か言葉を紡いだり思考を巡らせているのだろう。
満たされていてもそれができる人ならばいいが、残念ながら僕はそうではなかった。
満たされると頭が止まってしまう。
僕にひとりの時間は欠かさずに必要なものだと思った。
満たされているのは幸せだが、満たされていない自分も嫌いじゃないから。