褒めと貶し。
僕だけなのかも知れないが悪口ってすぐ出てくる。
それを口にするか、しないかは別にして頭には結構な速さで浮かんでくる。
うざい、汚い、臭い、キモいとか悪口の種類も一辺倒だからっていうのもあるかもしれない。
ただ人を褒めるとなると人を貶すとき、悪口を言うときほどのスピード感が出ないことが多い。
素敵とか、カッコいい、可愛い、優しいねとか。
恥ずかしい部分もあるからなのかもしれない。
ただ褒めると貶すでここまで出てくる言葉のスピード感が違うのには違和感がある。
そして、SNS等での誹謗中傷が目に付く世の中を見ると褒めるのは恥ずかしいからっていう訳でもなさそう。
なぜ人は他人を褒めたがらないのか、貶したがるのか。
それはきっと自分が人より優位に立ちたいと潜在的に思っているからだろう。自分より優れていることを認めたくない、自分より優れている人が怖いのだろう。
他人を褒めれないのは恥ずかしいのではなく、その人を認められないからなのだろう。そして、他人を認められない人は同じように本当の自分を認識していないとだろう。等身大の自分を認めたくないのだろう。
人の嫌な部分を見てしまうんですよね、って言ってる人をテレビとかいろんな場所で見たりするが、その人は潜在的に他人の嫌な部分を見ようとして見ているだけなんだろうと思う。
昨日電車の隣に座っていた人の服装を思い出せるだろうか?なんとなくは覚えているかもしれないが、はっきり覚えてはいないだろう。見ようとしなければ、見えないはずなのだから。人の嫌な部分もそれと同じだ。
繰り返しにはなるが、人の嫌な部分が見えちゃうのではなく、見ているのだ。
そう考えていると、人を貶すスピード感は速くなり、褒めるスピード感が遅くなるのも納得がいく。他人が怖いのだ。そして、そんな他人と比較して等身大の自分を認めることができていないのだ。
そんな思い込みを変えることができれば、貶すより先に褒めるが出てくるのだろうな。