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受け入れる




久しぶりに
わたし自身のお話。



ちょっと長くなってしまったので
気が向いた時に。



−−−−−−



柔軟に生きてますね、と言ってもらえることがある。

例えばわたしは
住む場所に強いこだわりがあるわけではない。

日本でもいいし海外でもいいし
強いて言うなら日本語圏か英語圏だったら楽かなくらいで
本当にどこでもいい。

というか
そこに住まないといけない!と言われたら
わかりましたよ住みますよ、と

「それしかないならそれを頑張るしかないじゃん?」

すべてのことに対してそんな感じだ。
果たして柔軟…という言葉があてはまるのか。

もしかしたら柔軟というより
「受容」の方が近いかもしれない。

今目の前にある状況を受け入れて
そこで精一杯生きる

思えばずっとそんな人生だ。



−−−−−−



わたし自身のプライベートなことで
公にするべきことではないので
詳細は書かないけれど

少々長いことわたしの周りの環境が
側からみると特殊であり
側からみると大変であり

その中でひとりで戦っているような
そんな人生だった。

その環境の中でのわたしなりの処世術が

ひとりで精一杯考えて
ひとりで精一杯状況を理解して
ひとりで精一杯対策を考えて
ひとりで精一杯受け入れる

どの状況でも
自分のために楽しく生きるには
その場を受容する
それしか方法がなかった。

それでもわたしは精一杯生きていると自負している。

まあでもちょっと
神様、もう少し普通の人生でもいいんじゃない?
と思うこともあるけれど。


−−−−−−

いまだにわたしは
ひとりでやらなければいけないのだなと
直面することが多々ある。

でも少し変わったところもある。

一緒に歩こうと言ってくれる
家族が出来たことだ。

さらにこの歳になって
家族のようにサポートしてくれる人たちもできた。

極端な話
命を助けてもらったような感覚だった。


きっともっと過酷な環境や状況で
生きている人たちもたくさんいるから
わたしごときが何かを言える立場はない。

でも。

それでも何があっても
ちゃんとみんな生きていけるよって
わたしは見てるよって
わたしも何かをずっと抱えながらだけど
一緒に歩けるよって

そんな言葉くらいは
誰かに言ってあげれるかもしれない。

わたしができることはそれしかないのだけれど。

そしてわたし自身よ
よく頑張りました
ちゃんと助けてくれる人がいるから
これからも楽しく生きて
そこから恩返ししていこうね。

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