仕事に疲れた社会人よ、『シン・ゴジラ』を見よう
忙しかったのです
この秋は、英語学習を頑張ろうと思っていたのですが、そう決意したとたんに後から後からタスクが詰まってきたので、ホントに社会人というのもままなりません。
「○○をお願いできますでしょうか」って語調は丁寧だけども、引き受けない選択肢は無いんだしなあ・・・。あと仕事振るときは納期を書いてね。
「おまかせします」っていったくせに、あとから経費抑えろとかドラフト出せとか言うのもやめてね。
かくして、仕事、風呂、飯、家事、の4択生活のうち、ぽっと2~3時間空いたからといって、お出かけする気力も湧きません。でも映画が見たい。どうすれば?私たちにはAmazon Primeがあるじゃないか!
なんか、知らぬ間にどんどん年会費が上がっているけど、結局ずっと更新しているなあ・・・。
かくして『シン・ゴジラ』を見た
今回見たのは、2016年公開の『シン・ゴジラ』。もう8年前か。
この半年というもの、ご多分に漏れず『虎に翼』にハマってまして、余貴美子の百合さんがいいなあ~と思っていたのだ。で、余貴美子は両家の奥様を好演していたけれども、ムカシ『シン・ゴジラ』で小池百合子というか女性防衛大臣の役をやっていて、あちらはあちらでビシバシのしごできキャリアウーマンという感じでよかったよなあ・・・と思って、もう一度見たいと思っていたのです。
見始めるとあっという間!
ちょっといいところだけ抜き出してみようと思っていたのだけれど、見始めると巻置く能わず、止めるところがみつからない~。最初から最後まで、あっという間に見続けてしまった。
総理大臣から末端(というのも失礼だが)の一警察官、一消防士、官僚、マスコミの人、何か曰くありげな記者の人、みんなたんたんと仕事をしていて、私はこれが見たかったんだなあと思った。
ちょっと愚痴ったりするシーンはあるけれど、「どうしてこんなことになったんだああああ!」「死ぬなあああああ!!!」みたいな慟哭シーンがひとつも無いのね。実際のところ、ゴジラは要求や狙いがあるわけではなく、本能のままにのっしのっしと進んでいるわけだから。結果としてかなりの被害が出ているけれども、決して人間を苦しめてやろうと思ってやっているわけではないのだ。そこに街があるから。人間があるから。ただ、それだけだ。
もしも何か要求があってやっていたら、むしろ人間側も手の打ちようがあったんだけどね・・・。ゴジラは自然災害みたいなものかもね。
仕事はたんたんとやるしかない
見たかった余貴美子の小池百合子っぷりもよかった。さすがであった。
居並ぶ閣僚の中で女性はこの人ひとり(だったと思う)。プレッシャーも誇りもあるだろう。その中で危険極まりない判断をし、実行する。
それは結果として上手くいかなかったわけだが、ここでも取り乱したりせず、「残念ですがここまでです」とたんたんと総理に報告するところがよかった。
総理も、割とあたふたする人なんだけれども、個人としてのあたふたはさておいていて(公人なんだから当たり前か)、最善の道を模索してあたふたする感じがよかったなあ。
そして主人公たち。
各省庁から集められたはみ出し者、変わり者。この人達が、あくまでも自分の指向性を追求しつつ、ビシバシ意見を出しあって、目的遂行のために最善かつ最短の道を探ろうとしている姿がよかった。
そして、はみ出し者とは言われているが、「それは××省の同期に聞きます」「それはアメリカにいる知人に確認します」という具合で、ちゃんと使えるコネクションを持っている。やることはやっていて、その能力を承認されている証左だろう。ただの職場で浮いてる人ではないのだ。
作品も大詰めのところで、高橋一生が「上手くいってくれよ・・・」と祈るようにいうシーンがあるんだけど(セリフ違ったらごめん)、これが、もちろん作戦全体の成功を祈ってはいるんだけど、「オレの計算通り行ってくれよ」というニュアンスも濃厚で、そこがよかった。自分の考えが合っていたかどうかが見たいんだよね。
最初の方、何しろゴジラは想定外であるから、どの省庁が対応するかも決まらない、どの法律を適用するかも決まらないで、右往左往するシーンがコミカルに描かれる。で、廊下を歩きながらある官僚が、「まったく何一つ決まらない」「でもそれが民主主義だ」みたいなことをいうシーンがあって、これがまた軽妙でいい味わいであった。
そうなんだよね、絶対権力者がいて、その人の鶴の一声でパッと全てが決まって動くような組織のほうが、こういう緊急時には有効なのかもしれない。ただ、それってやっぱり危ういのだ。
平泉成演じる二人目の総理大臣が、結果としてはことが上手く収まったのに、あとで辞任するけれども、これも正解だし、あるべき姿なのだ。
「事態が収束してから」とかでなく、潔いとか悪いとかではなく、アレを決めちゃったのだから、責任を取らなくてはならない。責任とはそういうものだと思う。
緊急事態を盾に強行するのがなぜいけないか?
毎日やってくるのは新しい朝であって、昨日と同じ日は1日としてない。だから、勝手知ったる紛争、勝手知ったる災害などというものはないのであって、全ての事態はいつだって初めてなのだ。だから「今回は緊急事態だから強権発動もやむなし!」というのを認めてしまったら、それを認めてしまったら、それはやはり民主主義の敗北なのだ。
自衛隊員や警官(もいたと思う)が、たんたんと仕事をし、たんたんと犠牲になる。
「全機残弾なし」というものすごく重みのある一言が、業務連絡の一環としてたんたんと発せられるのがよかったなあ。
ピエール瀧とか、斎藤工とか、メインキャストになってもおかしくない人たちが、たんたんと仕事をし、たんたんと命を落とす。
変に絶叫したり、騒いだりしない分だけ、その人の仕事の重み、命の重みがじっとりと伝わってくる気がした。
仕事のよいところとは
いろいろ考え方はあると思うが、仕事というもののよいところは、スコープが決まっていて、どんなに思い入れがあろうと、こだわりがあろうと、いつかは自分の手を離れるというところだ。そして、その仕事を評価するのは自分ではなく他人なのだ。自分でいくら「私はめちゃめちゃ頑張った!」と思ったって、人から見れば○ソって場合もあるし。
会社の中でどんなに評価されていたって、いつか退職するときは来る。自営業者や職人さんだって、いつか引退するときが来る。最後はこの世を去る。
どれだけ打ち込もうと、命をかけようと、後世の人から犬死にといわれることもあるしなあ。
だから傷つきもするんだけど、ひとりでは大きな仕事はひとりではできない。自分と仲のいい人だけでもできない。個人的には顔も見たくないような嫌なヤローでも手を組まなければならない場合もあるし、そいつが意外といいシゴトをしてくれるときもある。そういう面白さ。
「おお、私が間違ってたか?そりゃ悪かった。でも次回は借りを返すからね」そういうタフさ。
国村隼演じる自衛隊の偉い人の「例は要りません。仕事ですから」というセリフがよかったなあ。ああいう仕事をして、ああいうことが言える人になりたい。
「礼は要りません。仕事ですから」
いつか使ってみたいが、自分などは、まだまだだ。
※セリフなどは逐一確認しておりませんので、間違ってたらごめんねー
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