記録と寸評:上級国民形成の古代史 2021/11/04
(注)この記事では、事前のお知らせなどなしに、当該問題に関連することを、適宜どんどん追加修正していく予定です。更新時に年月日を変更します。
■殷周の正体
✿殷/夷≒バビロンのイシン王グルキシャル=箕子の極東経営地
* 漢字≒甲骨文字(インダス/夷のシュメール系エラモ・ドラヴィダ語族象形文字)、漢人発明に非ず
✿西周≒アッシリア(後のミタンニ人)の同流刑地国が、殷滅ぼし、箕子を封じ箕子朝鮮建国
中国『史記』≒オリエント借史。
■東夷豊国の正体
✿シュメール系鷹族エブス人(ヒクソス系原フェニキア海人族)
⇒インド経て極東「東夷」に
⇒残留兵団の北倭
⇒日韓満民族
✿エビス王シロスの東表国(エジプトのトウビョウ蛇神信仰の国東半島宇佐八幡宮)
⇒北九州「豊国」に
⇒九州・半島南の駕洛国・金官加羅(分派の新羅)
■古代中国史の正体
✿BC200頃;ペルシャ人呂不韋はユダヤ系亡命者に『春秋』など作らせた
✿BC100頃;秦滅ぼした前漢武帝は、太史公/占星術師のユダヤ系シメオン族司馬遷を宮刑で威嚇し、バビロン史の借史『史記』でっち上げ
『史記』を史実とした考古学解釈は、大衆を誤誘導するという事かな?
■前漢までの実中国史
✿オッフル人/マガン人/メルッハ人などのヒクソス系海人が、現タイ北部バンチェン経て、チュルク人がいた大陸中原で殷文化つくる
✿アレクサンドロス大王のバクトリア侵入
⇒長安や洛陽で10万人焼殺
⇒大秦国/バクトリアのディオドトス王=始皇帝が、再び洛陽に侵入し、秦を建国
■周=アッシリアから、豊国=東表国への行き来?
✿殷の西伯昌の子・武王=アッシリアのアッシュール・ニラリ4世[BC1019~BC1013年](『史記解』殷本紀)
✿武王の弟・周公旦は、紂王帝辛を牧野の戦いで破り西周王朝建てた
* 夏=ウルク、殷=イシン王朝、周=アッシリア
『史記』=オリエント借史。
✿BC1100年頃、フェニキア人やエブス人らが国東半島へ
⇒殷への製鉄供給基地(重藤製鉄基地)
⇒宇佐八幡を都に
⇒ソロモン王のタルシシ船長エブス王家クルタシロス1世が東表国/豊国を建てた
周=アッシリアゆえ、アッシリア王弟の摂政周公旦は豊国に行ってないはず。
古代中国史は司馬遷らの創作。
補足)殷王朝始祖~天乙~孔子までのwiki系図
* 殷=バビロンIshin王朝の極東植民地
* 孔子=南朝ユダ亡命Gad族がBactria経て洛陽に入ったJew≒儒家
* 漢人劉邦前の中国史はオリエント借史
孔子子孫の漢人が、よく見せたい先祖系図をいじって出来上がったのがwiki系図だろう。
源平藤橘も殆ど偽史。
■七福神と恵比須
✿七福神;シルクロード生まれそこで変貌した神々
✿恵比須;ヒクソス人系新モンゴロイド。メソポタミア南部でイシン王国(後の極東植民地が殷)築く
⇒滅亡後、王族アラム人がユダヤ王家と極東箕子国に分裂
⇒エブス人;印度・南海シルクロード経て、東南アジア、極東に進出
⇒縄文時代の3100年前頃には、北九州国東半島(東表国=豊国→駕洛国)に、世界最大規模のタタラ製鉄文化つくり、大陸の殷王朝に輸出
⇒エブス人やユダヤ人ら弥生系商人は、縄文系の港川人・オロッコ人・アイヌ人・アエタ族ら農民に親しまれ、村の鍛冶屋へ各種鍛鉄製品/農器具を運んだ
✿大分国東半島「重藤遺跡」の縄文製鉄所
* 九大坂田武彦教授が同遺跡からBC695年頃の木炭発掘、縄文時代鉄文化の存在立証
* 上野鉄雄;同遺跡下層までを厚さ1-2m≒400年とすれば、BC11-10世紀後期縄文のもの、2-3万tの鉄屑量から世界一規模
製鉄部族の殷と東表国/豊国の関係から、不思議ではない。
* 国東半島「重藤遺跡」発見者の上野鉄雄氏+九大坂田教授+眞鍋大覚助教授の10年の調査成果
- BC1100年頃の層;砂鉄/鍛鉄ほか、鉄剣/翡翠勾玉/黄金の首飾り/殷型トーテツ土器/ギリシャ・ローマ食器が出土
- 鉄は赤土から作った(製法は聖書にも記述あり)
* 殷周以降中国;BC771-BC221春秋時代に製鉄
* 国東半島の宇佐八幡祖神は、ベトナム北部発生の犬神バンコ神と蛇神トウビョウ
- 豊日国=東表(トウビョウ)国名前の由来
- 宇佐=ハットウサ(製鉄族ヒッタイト首都)
- エブス/ヒッタイト/フェニキア系南倭人が鉄文化と弥生農業を携え東表国建国
- 南倭人の6代考安安羅国/日向や卑弥呼邪馬壱国
✿九大坂田研究室の不思議
* 重要な重藤遺跡を秘密に
* 発見者上野鉄雄に、関係者全員の承諾なしに発表させない約束
* 地元村役場も沈黙
✿偽史シンジケートの存在
* 偏狭な民族主義擁護
* 天皇家/倭人=半島/大陸からの渡来人、という史実隠蔽
偽デミック系譜にも、偽歴史創作による権力が存在。
■東表国/豊国の真実
✿宇佐=豊日国/豊国『六国史』、東表国『北倭記』
* アラビア「海の国」移民国=豊日国(日本最古)
✿北岸狗邪韓国『魏志』倭人伝=九州北岸
✿豊日国は後の狗邪韓国(半島南部も領土)=駕洛国/金官加羅国(倭国の一部)
* 印ガヤ→駕洛
* 王家は印Ayodiya国の金海金氏=中臣氏
✿殷=カルデア人商社アリク・ディムルンの植民地
✿BC1100年の日本最古「天の国」=東表国
* BC8-7C以降の豊日国(後の狗邪韓国)
⇒BC3Cの北九州侵略者の扶余王仇台=神武のBC770建国説は後の創作
✿東表国王族中臣氏≠藤原氏主流
* 中臣氏先祖=殷滅亡後の箕子朝鮮/馬韓逃亡の韓氏と秦帝国逃亡の秦氏
■印タミル語と韓国語と日本語の類似性
https://bit.ly/3GsXThw 動画
https://www.youtube.com/watch?v=lPUyyR2lNg
✿タミル人
* コーサラ国建国、都市国家がアユダ
* BC2C頃の歌集『サンガム』は『万葉集』風の五七五七七形式
* 墓制≒日本の弥生墓制
https://bit.ly/3nCXnF8
✿金官加羅国の初代首露王の妃=印アユダ国出身(『三国遺事』)
✿BC3500年;エラム族と黒肌の印ドラヴィダ族(後のタミル人)は地中海出てインダス文明興した
⇒アルメノイドと混血しシュメール人に
⇒ウバイド人のバビロン侵入、『史記』の伏犠氏の事
✿列島初渡来の縄文人5千人;港川人2千人/アエタ族800人/オロッコ人600人/アイヌ人800人( 全てドラヴィダ系)
■縄文人
✿ムー大陸云々の話は別途
✿柳田国男「日本民族南方論」も包含するドラヴィダ系南倭人とは別の「北方ルート説」も
* 3万年以上前、バイカル湖周辺白鳥族が沿海州→半島→対馬海流→島根/能登/佐渡/津軽漂着
* 宮城県薬来山にも、中国大陸文化と異なるヨーロッパ旧石器文化似の旧石器人痕跡あり
* 1.2万年前、バイカル湖周辺オロッコ人が列島渡来
⇒縄文人(後の東北アソベ族)に
* 8千年前、黒海付近アーリア人との混血オロッコ人が、ツングース系アイヌとして渡来
* 夷エミシ=ミシハセ(ツングース亀ヶ岡人/ツボケ族)が、義経の北海道亡命後にアイヌ民族に
* エブス人エミシは東表国の毛人
✿カナン製鉄部族エブス人/Jebusites
⇒印度/南海ルート経て、東南アジア/極東進出
⇒九州で東表国建国
⇒北上し海岸縁に暮らし製鉄営み農機具造り農業伝える(エビス様)
⇒先住民の苗族やオロッコ人に溶け込む
⇒満州扶余系渡来北倭人(神武~)やユダヤ秦氏や唐藤原氏が、毛人=夷エミシを迫害
■倭人とは
* 祖型はアナトリアの銅加工技術発見した牛頭信仰<ウル人>(北方移住者が後のアーリア人)
⇒後にフルリ人/狛族のウラルトゥ国(後の満州扶余)やアーリア系印クル国に混在した<カッシート人>(後の月氏)に
⇒子孫<瓦人>(マガンYadava族→クル国→マガダ国→ジャワ耶婆提国へ)
▪ BC800頃;マガン(後の韓)のカルデア人(後のサカ族/シャキィ族)のアーリア系Yadu族(子孫がYadava族)が北西インド侵入、王族武人クシャトリアとなりKuru建国(佤人接触)
⇒佤人率いて、マレー海峡/ジャワやベトナム文郎国到達
⇒陸路北上/海路沖縄経て、河北省中山国や河南省韓を建国(東胡)
古代インド/マレー/中原周辺の歴史情報源;偽書でない『桓檀古記』、『三国遺事』、コーサンビ、ハリソン、浜田秀雄、鹿島昇ほか。
* 新バビロニア帝国カルデア人がアッシリア滅ぼす
⇒カッシュ人との混血Yadu族子孫のKuru国Yadava族支援受け中原遠征
⇒シャキイ族(後の昔氏)の鮮虞伐ち中山国建国
⇒「中山国」二分
①シャキイ族王家<綽氏>;蜀に移り、子孫安陽王が文郎国から宛に入り<徐氏>の「穢国」建国
②人民;満州に移り、「箕子朝鮮」建国、後に「馬韓」に逃れ<卓氏>に
* Yadava族アンガ国とフェニキア人コーサラ国を征服したマガタ国からの佤人/倭人が、九州東表国<金氏>に
✿フェニキア系コーサラ国から出て途中混血した倭人が「燕」で<公孫燕>に
⇒公孫喜を「秦」が破り河南省で捕虜、「韓」の宛を抜く(『史記』韓世家)
⇒公孫度が扶余王仇台と連合、北倭率いて帯方郡占拠
⇒仇台/神武は糸島で伊都国建国、公孫氏の娘卑弥呼が日向で邪馬壱国(Anga国の安羅国)建国
■神武の系譜
* BC590、バビロン北のUrartu国滅亡
⇒亡命フツリ人と匈奴キンメリ人(後の魏)が絹の道経て極東で「趙」建国
⇒BC49、中山国の北に伯族の「大扶余」建国
⇒大扶余末王が、沖縄から河南省の製鉄基地「宛/南陽」に来たナガ族王に交代
⇒中国東北にチュルク族の「北扶余」建国
✿中山国+箕子朝鮮=辰沅殷
⇒中山国綽氏(釈迦輩出Kosala国シャキイ族子孫)は、趙により蜀に移されたが、人民は箕子朝鮮へ(支配層は卓氏)
⇒滅亡後の遺民<韓氏>(Magan子孫)は半島で「馬韓」建国
✿檀君朝鮮神話は、大扶余前史ではなく、北印から沖縄経て宛に入ったナガ族(後の朴氏)先祖史
✿箕子朝鮮の上将卓が帯方/月支で辰建国
⇒秦亡命者韓氏が慶州で馬韓、秦氏が辰韓建国
⇒北倭の馬韓人韓氏と秦氏が九州渡来、東表国エブス系クルタシロス/倭面土国師升/駕洛首露(8代孝元天皇)から鳥栖や吉野ヶ里を譲られ倭奴国建国
⇒後続渡来した神武と公孫氏に破れ、出雲経て大和に秦王国建国
✿3C前半、ウラルトゥ国伯族が中国北東部で扶余前期王朝、東扶余建国
⇒高句麗と合流し高句麗王に
⇒9代王の子<罽須/ケイ須>が南下し、伯済/百済建国(王仇台に)
⇒239年、兵2万で糸島半島侵略、伊都国建国し仇台が神武に
先に来た駕洛首露/8代孝元が、初代神武より後になった皇統譜できた。
■神武系譜のウガヤ王朝
✿アナトリアVan湖周辺にアラム人系Urartu人初代王Arame[BC858–844](男の天照)が「Urartu」建国
⇒絹の道で「ウガヤ王朝」に
⇒満州/半島で子孫仇台が「扶余」建国
⇒仇台=神武の北九州「伊都国」と卑弥呼の日向「安羅国」が合体して「邪馬壱国」に
⇒南朝天皇家先祖に
■ニギハヤヒの系譜
✿ディルムンのシュメール人とカルデア人の子孫
⇒タルシシ船参加者ヒッタイト製鉄部族吸収
⇒アラビア海Yadu族従え、北印でPuru国建国
⇒ガンジス河口Kosala+Magadha両国のシャキイ族(後のサカ族)に
⇒マレー半島でモン族支配
⇒ベトナム文郎国建国
⇒宛の製鉄colony徐氏(徐福系譜)として魏韓に服属
⇒秦に追われ箕子朝鮮頼りPuru族王アグリ[余]ナロシの子イサシ/東明王が濊国/扶余後期王朝
⇒青目いた子孫(後の山形県余目)の陜父=ニギハヤヒが、ウガヤ系東扶余朱蒙(高句麗祖)に破れ、神武渡来前、熊本多婆羅国建つin『旧事紀』『後漢書』穢伝
✿神武以前の日本最古の東表国<天の王朝一族>
* シュメールのラガッシュ→アラビア→インド→マレー→沖縄→宛→満州→半島経て渡来した
* 青目もいた扶余後期/濊国のニギハヤヒ族(サカ族/月氏の蘇我氏/徐氏/綽氏/新羅昔氏)
* 金官加羅国の中臣族
* 公孫燕・邪馬壱国の大伴族
もいたらしい。
■卑弥呼の系譜
✿BC7000、地中海東イェリコのナトウフ人の「円形の家/墓」
⇒エブス人(後の夷/恵比寿の豊国/東表国へ)
→フェニキア人(後の東表国へ)
→ユダヤ人(インドやバクトリアへ脱出)
→宛の公孫氏(半島南下し九州へ)
→フェニキア/ユダヤ系の卑弥呼(宮崎県日向西都原の円墳)へ
✿印インドラの子→牛頭バアル神(=スサノオ)ダゴン教→壇君教→公孫氏<卑弥呼>「鬼道」(2C)→韓国紅箭門
⇒北倭系①「倭/邪馬壱国=ニギハヤヒ多婆羅国+神武伊都国+卑弥呼安羅国」
+
ユダヤ系近畿②「秦王国/日の本」
の共存
⇒印「熊野信仰」融合、①②合体「日本」「神道」へ
南海路系譜。
■ユダヤの東遷
(主に鹿島昇氏著作10数冊による)
✿原Hurrian/フルリ人(文字は後に豊文字に)
⇒南バビロンでAram族Isin王朝
⇒エジプトでHyksos王朝建国
⇒CanaanでJebus人(エブス様)になりユダヤ人(Hyksos末裔)と再接触
⇒現カザフ・Ili川でKishi/箕子国建つ
⇒南下し、現キルギス金鉱付近Issyk-Kul築城
(後の金氏はAltai=金山を意味)
⇒極東でIshin王族箕子が殷王朝建国
⇒箕子朝鮮建つ
⇒半島南下し、ユダヤ系馬韓+秦帝国亡命者の秦氏の辰韓建国
⇒九州の鳥栖と吉野ヶ里で「委奴国」建つ
⇒出雲でGad族秦王猿田彦祀る
⇒印Naga族<長髄彦>(後の新羅朴氏)と戦う
⇒近畿で「秦王国」(日の本、幻の大和王朝)築く
⇒白村江戦勝国の「新羅占領軍」により、九州「筑紫王朝/倭」と合体し「日本」と命名
⇒アナトリアUrartu系扶余<天皇家>とユダヤ系<藤原氏>(≒唐人郭務悰+韓氏+秦氏の合成家系)で新生「日本」支配
✿「オリエント借史」後の漢人による初の「中国史」
* BC221;「大秦国/Bactria」王のDiodotus I(Greek Jewの北朝イスラエル系Simeon族)率いるペルシャ軍団が洛陽に侵攻し、「秦」建国
⇒Diodotus Iが始皇帝を名乗り、素性隠蔽のために焚書坑儒
⇒南朝ユダ系Gad族の儒家(孔子ら)と敵対
* Bactria将軍<Euthydemus I/項羽>は、秦2世皇帝<胡亥>(Diodotus Iの息子)を殺害したが、領土植民地化失敗でインド転進
- 「漢」<劉邦>による、初めての漢人中国史始まる
(項羽と劉邦の戦い実態)
- <漢人>≒洛陽/西安の<チュルク族>と南海人<苗族>の遺民と<Bactria人>との混血
■3度の「天孫降臨」
❶BC86年、ガド族猿田彦・Issachar族軍団(スサノオ)+Zebulun族が半島南下
⇒対馬/高天原で天照神祀る
⇒糸島半島経て吉武高木で「旧伊勢国」建つ
⇒猿田彦2世がバアル神の太陽神殿/平原王墓築き、三種神器奉納
⇒猿田彦兄弟が鉄鐸/銅鐸文化を東伝、志摩半島で伊雑宮建つ
❷BC74年頃、「秦韓」の秦亡命ユダヤ6部族が、「対馬高天原」経て、有明海「鳥栖」に上陸
⇒始皇帝子孫の秦韓Simeon族<大国主命>が、博多~吉野ヶ里で「倭奴国」建つ
⇒秦王率いる<苗族ら>も合流
⇒東遷し、「大和」で初のユダヤ人コロニー作る
⇒東遷し、ユダヤ人「利根川河口」コロニー作る
❸BC50年頃、<Gad族>300人が「対馬」から、「霞ヶ浦」渡来
⇒鹿島灘の明石海岸「大鳥居」(鹿島神宮)近くに上陸
⇒「椿神社」建てコロニー「常陸の高天原」作る
⇒BC30年頃、<Zebulun族>が「薩摩半島」から渡来、鹿島灘周辺/筑波山麓で秦人コロニー作る
* BC1頃、「委奴国」の人々( 宇治氏/羽田氏/和珥氏/土師氏ら)が、ユダヤの銅鐸/前方後円墳文化を拡散し、近畿でSimeon族秦氏「秦王国」(大和朝廷)建つ
- 日本中の神社の殆どは<秦氏>建造
- 京都「太秦」≒<シメオン族系>イスラエル王国
- 同族<佐伯氏>から唐西安帰りの真言密教空海生れる