絵を描いて人間になれた話

大学4年の夏、ゼミの教授から
お前の絵は売れる、
10年やってみなさい
とそそのかされた。
気づけば今年が
ちょうどその10年目であり、
私の絵はどうなったかというと、
とうとうただの一枚も
売れずじまいであった。

作業途中の作品を
人に見られるのが苦痛だったため、
なかなか制作に入れず、
作業場に寄り付けずにいた私に
描くの、嫌か?と
気にかけてくれたのも
その教授であった。
今にして思えば、
自分がそのような質だと
大学生活の中で把握しておきながら、
人前で作業せざるを得ないような
大きな絵を最後に描こうと
考え至った自分も大概である。

卒業制作の提出が済み、
成績交付の後、ゼミごとに
最終講評があったと記憶している。
お前の絵は、
1人からはすごく嫌われ
別の1人からはすごく好かれる絵だ。
誰からもそれなりに好かれる絵とは
違う良さがある。
そういう作品を作り続ける事は
時には辛いだろうけれども、
誰もができることではない。
その良さを
これからも大事にしてほしいと
その時教授から言われたことを
10年経った今でもよく覚えている。

いつも的外れな作品を作り、
絶望的な不器用さと
さらに単純な実力不足も相まって
当然成績は悪かった。
それでも時々
笑ってくれる教授や同級生、
中には私の噂(悪評?)を聞きつけて
話しかけにきてくれる
隣のクラスの子などもおり、
自分はこれでいいのかもしれないと
思える瞬間があった。
作品を作ることで、
生まれて初めて
自分らしく振る舞えているという
確かな感触があった。

自分が自分らしく振る舞うことは、
すなわち人間らしい生き方を
自分に許すということであった。
それは当時の私にとって
必要なことだったのだと思う。
大学での4年間は、
自分の人生で最も
人間らしい時間であった。

卒業後に大学を訪ねたり、
コンペに入選した際には
研究室に電話をかけたが、
ついぞ会えることも
話せることもなく、
気づけば大学のH Pから
教授の名前は消えていた。
あの時なぜ
私の絵を売れると言ったのか、
個人的に連絡を取る術もないので
とうとう聞けずじまいとなった。
しかし聞けたところでおそらく、
俺、そんなこと言ったか?
などと言いそうな人だとも思う。

今日は主人と息子を付き合わせ、
五美展を見て回ったので、
つい昔のことを
懐古してしまった。
五美展については、
そのうちまた
感想を書き付けようと思う。





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