人間関係につきまとうむなしさに負けたくない。
人生においての大事な決断はすべて自分でくだしてきた。
という自負がある。
まあ頑張ってきたよ。と、ちょこっとだけだけど、胸を張れる。
でもなんだか最近むなしさが勝つ。
がむしゃらに登ってたどり着いた山頂、
のはずが、なんか違う。
妊娠が確定したとき、私は、子どもも仕事も私生活も、とよくばった。
友達と旅行に行き、仕事もして、飲み会にも顔をだす。
子どもとは休みの日にスタバに行きフラペチーノを飲む。
帰り道に本屋によって絵本をかい、寝る前に読む。
そのころ夫が帰ってくる。夫とこどもにおやすみのキスをする。
なんか充実素敵生活みたいな感じになってるな。
私自身これかいてて(あれ?自慢がしたかったんだっけ?)ってなってますもの。
私がこの不足感を訴えるたびに「すべてを手に入れてあなたは幸福だよ、ないものねだりはもうやめなさい」と言われる。
本当にそうかな?
すべてを欲しがった私は、すべて三割くらいしか抱えられていないような気がする。
仕事に全振りするでもなし、
こどもと目いっぱいかかわるでもなし、
友人と世界一周するでもなし。
私、結局なにがしたかったんだっけ。
でも、ずっとひとりぼっちで暮らしていた子どものころを思うと、現在の自分のなんと恵まれたことだろうと驚く。
あの頃の私は何も持っていなかった。
それが今では大事なものであふれている。
ただただ幸せであるはずなのに、このむなしさは一体なんなのだ。
そういえば今年は、交友関係が一気に変わった年だった。
仲良くしていた友人と終わった。
大学の友人たちと久しぶりに会うようになった。
同期とプライベートで遊ぶようになった。
旦那の友人とのかかわりが増えた。
狭く深くばかりだった友人関係に「浅く広く」が加わった。
驚いたのは、旦那の友人は全員「まとも」なマジョリティにいる人たちばっかりだったことだ。
だいたい皆さん家族仲がよくて、25くらいで同じく家族仲がいい人と結婚して、ちゃんとした結婚式を挙げて、「普通じゃない」ものを見聞きした際にちゃんと驚く人たち。
私含め私の友達はなんかみんなちょっと違うところがあるので、新鮮だった。
キャバ嬢、ゲイ、既婚者ハプニングバー通い、セックス依存症患者、結婚後にゲイであることが嫁にばれた男
これが私の主に仲良くしている友人のラインナップである。
みんなちょっと変で独特なところがある。
ちなみにほとんどが片親もしくは両親不仲だ。
でも私はみんなのことが本当に好き。
人は良い点を見てその人を好きになり、欠点を発見してその人を愛す。
というではありませんか。
でもね、きっと私が夫の友人たちを幸せそうなマジョリティ側の人間と思うのはその人たちの今までを知りもせず、知ろうともせず、もちろん愛そうともしてないからなんだろうな。
は~人間て自分が所属していないコミュニティを「くだらない」と思いがちっていうもんね。その選民思考こそまさにくだらないのに。
だから私も夫の友人たちからしてみれば、たいして育児もしてなさそうなつまんなそうな嫁なのかな。
と、思うわけです。
私みたいなさ、正統派に憧れながらも、近づくとあまりの差に卑屈になってしまうためちょっと離れたところで泥水ぺろぺろしながら関わること自体を諦めてきた人間からすると同期や、夫の友人たちがなんかもう眩しいのだ。
定時制高校に行っていたせいか、高校の友人に気品を感じたことが一度もない。こんなこと言ったら失礼かもしれないというか、かなり失礼なのだが、彼らにはなんちゃってスラム界育ちみたいなところがあった。だから同じ界隈出身として警戒したことも気負ったこともなかった。
でも、今年関わるようになった人間たちはなんか違うのである。
両親が仲良くそろっている人間にしか醸し出せないハッピーオーラ。
大卒の親に育てられた人間の気品?ともいえる何か。
私も一応両親院卒なんだけど…
ともかく、彼らから感じる「丁寧さ」みたいなものが私の雑さを見下ろしているような変な気持ちになるのだ。
もちろん、彼らは私を攻撃してこないし、仲間として、友人の妻として仲良くしてくれる。
だから一緒にいてイライラすることもなければ、される素振りもない。
もちろん嫌味をいわれることも、張り合われることもない。
みんなとにかく穏やかである。
激情型で傷つきやすい私としては安心する一方でかなり居心地が悪いのだ。
私だけが不完全な子どもなような気がしてくる。
だっさいねえ~
そもそも私がもっている片親だとか虐待経験だとかのマイノリティの部分は所詮マイノリティの中のマジョリティだ。
希少な人間なんてめったになんていない。
そんな人間は早々にテレビの世界へ行くのだ。
だから一般人と呼ばれる人間は私含めみんなありふれた悩みを抱えたどこにでもいるような人たちだ。
でもだからこそ、ありふれた人間たちの中で仲良しを見つけられることが、幸せなことなのだろう。
友達や恋人って、ほぼ違いのない人間たちの中であなたと繋がれた。あなたとその他の人間の違いが俺にはわかるよ!ってことだもんね。
この広い世界で、私とあなたは確かにつながっている、と確証をもてる人のことだよね。
素敵なことだね。
読んだ本にね「信頼関係ってのは、嫌でも毎日会って、おはようと言って、関わり続けることでしか得られないんだろうね」という一文があった。
私の友達も似たようなことを言っていた。
「運命というのは初めから運命なのではなく、気にくわないことがあっても、「この人といる」という選択肢を選び続けることで結果的に運命と呼べるものになる」って
だから学生時代の友人や、毎日会っている恋人は特別なんだろうね。
積み重ねた日々が関係性をゆるぎないものにしていく。
今年、友人と縁が切れたと上述しましたが、二人とも学生時代の友達だった。当初私は彼女たちのことを思い出すと怒りと悲しみがごちゃまぜになった。
でもそのうち怒りがむなしさになって、悲しみが少し残った。
今では何も感じなくなった。
ただ、自分にも悪いところがあったんだろうなって落ち込むことがいまだにあって、でももうどうにもできないことだから、堂々巡りするのをいい加減にしたいと思っていたの。
それで運命の話をしてくれた友達に「人間関係って鏡だから私にも何か改善点があったんじゃないかなって考えちゃうんだよね」って相談したの。
そしたらね、「言いたいことを言わないままでいて、どこかで爆発させるんじゃなくて、主張しろ。お前は、攻撃的なことを言い返されたり悪口言われることに対してビビッてる。悪口言われたから終わりになるんじゃないんだよ、「それ嫌だからやめてくれない?」って伝えることで関係は続けられる。お前が俺に言いたいことを言えるのは、反論されたからって俺がお前との関係を終わらせたりしないってわかってるから」って。
でも、彼氏最優先の友達にそういうところが嫌だって主張したら関係終わったんだよって言ったらね、「それは、相手がお前のこともう好きじゃなかったんだよ。だいたい主張して破綻する関係であるなら、お前の落ち度としては友達選びが下手。主張しても関係が終わらない人間を友人として選べ。」って言われた。
もう一人の子は「子ども産んですぐ働いたら子どもがかわいそうだから専業主婦していいよって旦那に言われて~」っていってきたんだけど、その子に関しては「他者の傷つきに対してものすごく鈍感な人間がお前は怖いんだよ。だからビビッてその場で何も言えなくなる。そんなこと言ったら傷つくのわからない?って人間はお前のこと嫌いなんだから、自分を嫌っている人間と仲良くするのをやめろ」って。
そういって、友達とのけんかLINEのスクショを見せてくれた。
お互いひやひやするようなことを言っているが見た目や人格の否定はしてなくて嫌だったこと一点について言い合っている。
確かに私こういう喧嘩ってしたことないなあ。
彼氏最優先の子に関しては、疎遠になるのは嫌だから思ったこと言おうって思って言いたいことは言ったけど謝ってもらっただけ。
旅行予約直前でキャンセルされたとき「もう誘わないようにするね」って嫌味を投げた。そのあとまずい、いいすぎたかなってラインしたら無視されて終わった。
専業主婦希望ネキに関しては、強く言わず「急にどした?あたしになんかむかついてるの?w」みたいに軽く茶化しただけ。それに対して「別に」みたいな返答がきただけ。最終的に言いたいこと言うだけ言ってブロックした。
もうこの子とは無理だって思った。
友達だと思ってた子からの悪意でしかない言動の意図がわからなかったし、これ以上傷つきたくなかった。私もその子に対して攻撃的になってたしね。
いい子だなっておもうときと、なんでそんなこと言うの?って悲しくなるふれ幅に疲れ切っていた。
今年の絶縁騒動を思い出すたび、ひどい。傷ついた。最低。でも私も悪かったかも。私にもダメなところあったかも。の堂々巡りで正直もうつかれた。
仲直りしたいとは本当に思っていないのだ。それでも、私は何がいけなかったのか知りたい。でも、私がいくら想像したところで、それは相手の立場に立って想像してみた「自分」の考えである。考えてもなんの意味もないし正解もない。
仲良くしていたはずなのになあ。
ブス!と言われたとき「それもうやめて」と言ったがやめてもらえなくて、私もブス!と言い返すようになった。友情だと思ってたものがいつから醜いものになったのかわかるようでいまいちわからない。
彼氏ができてから意見も遊ぶ頻度も様変わりした友人に違和感を抱いて、元に戻って欲しいと伝えた。人は元に戻らないって、母親で体験したはずなのに。
私はずっと自分のダメだったところを探してしまっていた。そんなん意味ないのにねえ。pdca意識しすぎだよねえ。
だから今回この友人に相談して本当によかった。やっと自分に決着をつけられたのだ。
私は人と喧嘩するのが怖いし、思ったことを直接言うのも苦手。言えたかと思えば言いすぎる。
その友達は、さっぱり自信の無い私に「俺はお前が好きだから、みんなもお前を気に入ると思う。」って言ってくれた。
こいつは、つくづく思うが大事だ。
いつも大切なことを教えてくれる。
私が半日遅刻をしたときも、がっかりするでも怒るでもなく「生きててよかった」と言ってくれたことがある。
何回かうちに呼び泊めたことがあるがエロい雰囲気になったことは一度もない。
まだ大学生だったとき、池袋の公園でおんぶをしてもらったことがある。
男女の友情は存在する。なぜならお互い全くタイプではないからだ。
そこかい!て思うでしょう。
そりゃあ私だってこいつが柳楽優弥だったら叶わぬ恋にを焦がしてましたよ。
それは相手も同じで、私が白石麻衣だったら慰めついでに告白でもしてきたことでしょう。
「俺の家には学歴バリケードがあるため、お前の学歴では俺の家に入ることはできない」と大真面目に言われたことがある。
うるせーなと思ったが、やはり私はこの男が好きだ。
こいつが紹介してくれた本に、「ネガティブは無しにしてポジティブでいきましょう、というのは、曇りや雨無しにいつも快晴でいきましょうということと同じで、それでは砂漠になってしまう。怒りや悲しみの発露は喜びや楽しみと同じくらい大事なものなのです。」という文章があった。
これはいつも「怒ってしまった自分が情けない」「こんなことでいちいち悲しんでいる自分がみじめだ」とくよくよしている私にとって大事な文章となった。
私の良き友である。
私も、誰かのよき友でありたい。
そうすれば、私がただむなしさを感じてるこの人生も意味のあるものになるのだろう。
いやあ今年は人間関係がガラっと変わってほんとにつかれたよ~
でもダルがらず、避けないで、相手のことを知ろうとしていれば旦那の友人を「私の友達」と呼べる日が来るのかなあ。
同期達に対して負い目のような卑屈な気持ちを抱かずフラットに付き合えるようになるのかなあ。
私が今抱いているこのむなしさ
大事だった友達に「ちみと会うって言うと彼氏が不機嫌になるから実家に帰るって嘘ついてるんだ」っていわれたとき。
仕事を切り上げてダッシュで迎えに行ったこどもに「はやくバーバの家に行きたい」と言われたとき。
私が、産後すぐ仕事に復帰して両立に苦しんでいたことを知っている友人が「子ども産んですぐ働いたら子どもがかわいそうじゃん?」と明確な悪意をもって言ってきたとき。
むなしい。
一緒に遊んだ時間は、別に何も育ててはいなかった。ただ、時間を一緒に消費しただけだったのか。彼女達は私の良き友でいてくれているとおもっていた。違った。そして私だって、彼女達の良き友ではなかった。
今まで過ごしてきた時間はただ暇を消費したにすぎなかった。
子供に関してもそう。
私が一番大事なものが、当然に私を一番大事にするわけではない。
このことに関して被害者も加害者も、当然に存在しない。
ただ事実があるのみなのだ。
私が折り合いをつけていかなきゃいけないんだなあ。
新しい人間関係になじむまでもう少し時間がかかりそうである。
新しいものを最初から愛すことはできない。
関わり続けることで、それはまた大事なものになっていく。という、ことなんですなあ。というかそうであってほしい。
むなしい。
なんのために、と思ってしまいそうになる。呆然と立ちすくむ自分。目的地まで送り届けてくれる…あとはもう座っているだけ…あー景色が綺麗ですわ…と思っていた矢先に突然おろされた気分である。
結婚をして、子どもを産んだ。仕事もフルタイムで続けている。もうここは山頂なのだ。ここに根を張り後は死ぬだけ。と思っていたが違った。
私はまだ登っていかなきゃいけないみたいだ。
その過程でさまざまな人と出会うだろう。
憎しみを向けられることもあるのでしょうね。
取るに足らない存在だと隅に追いやられることも。
でも、大事な人ができて、好いてもらえることもきっとある…と確信している。だって、大事な友達がそう言ってくれたから。
とにかく、ここはまだ山頂ではないのだ。