
日本型デモクラシー国家は破局事態に対応できない
緊急事態条項がない日本型デモクラシー国家は、未来にどうなるのでしょうか?
いつおこるか予想できない破局災害
破局災害などはいろいろ想定されていますが、一般的にはいつ起こるかの想定はできません。また被害規模もまた想定できません。
しかしそうであっても国家は国民を守らねばなりません。
日本史上起きていない超巨大噴火は、火山災害とは認識されず、対策も考えられたことすらない。しかしその被害や危険値の大きさを考えると、超巨大噴火を切迫性の高い災害として考えるべき。科学的にはまず、巨大カルデラ火山の地下にどれ位マグマが溜まっているかを知ることが重要。#日本列島の火山 pic.twitter.com/y2A6WL4TRL
— 巽好幸 (@VolcanoMagma) October 13, 2020
本当に緊急事態になったら、国会なんて開けません。緊急事態に対して何も考えず国会を開催してしまうと「国会議員全員死亡」もあり得ます。国会開催不能になる前に緊急事態条項が機能すれば違います。国会議員全員死亡になるより個人の権利が制限された方が良いでしょう。私は緊急事態条項賛成です。 https://t.co/nSnXTvwwwr
— Kazuya.T (@kazuya19861007) May 3, 2022
緊急事態条項、可能性が少ない国会議員全員死亡を考えていない人が多いから反対している人が多いのかも。国会議員全員死亡という事態は独裁より怖いものである。最高法規である憲法は想定されうる最悪の事態を考慮する必要があるから国会議員全員死亡も考慮すべきである。
— Kazuya.T (@kazuya19861007) May 3, 2022
個人の権利を制限するとしてもその時の政府はどうなっているか分からない。総理大臣死亡、閣僚死亡(全部・一部)、国会議員死亡(全部・一部)等状況を考えて統治に関する規定を定めるべきである。それの濫用は独裁につながらないので、憲法ではなく緊急事態条項施行時の法律で良いだろう。
— Kazuya.T (@kazuya19861007) May 3, 2022
災害対応などデモクラシー国家憲法には緊急事態条項がある
デモクラシー国家は、災害や戦争などへの対応を憲法の緊急事態条項で規定してあります。
緊急事態条項の規定がある国は、9割以上。
— プリンちゃん@能登被災民 (@RmRaQvHqmlDjJEH) May 2, 2022
日本は、緊急時に無政府状態。
反対だけで目立ちたい、特定野党に釣られないよう、真剣に考えるべき。 pic.twitter.com/ZfVz80XzoJ
米国・フランス・ドイツ各国憲法の軍関係規定及び緊急事態条項https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?contentNo=1&itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F11389345
衆憲資第87号
「緊急事態」に関する資料
平成25年5月
衆議院憲法審査会事務局https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/28ead72e24176afe49256967002b66d3/8902806731ff311549257cac0047f42a/$FILE/shukenshi087.pdf
日本国憲法に緊急事態条項がないことの経緯
日本国憲法も制定時に緊急事態条項について議論された経緯があります。
J-STAGE Articles - 国家緊急権と国民の保護 https://t.co/gEl0gngDki pic.twitter.com/FreGCj6MvE
— 石部統久 (@mototchen) May 17, 2022
「GHQ側は,国家緊急権に関する英米法的理解を根拠に「非常時の際には,内閣のエマージェンシー・パワーによって処理すべき」としてこれを拒否した。3月6日の「憲法改正草案要綱」からは緊急事態に関する規定はなくなったが,その後の交渉の中で日本側の提案によって,参議院の緊急集会の制度が認められ」 pic.twitter.com/Oz3awuW7mF
— 石部統久 (@mototchen) May 18, 2022
金森徳次郎
金森国務大臣
「國家の緊急の場合、普通の政治の形式を以てしては切拔け難き場面が想像出來るのでありまして、萬一にも斯樣な場合が起りましたならば如何にするかと云ふ疑問があります、是は憲法發達の諸國の例を求めて行きまするならば、多くの場合に斯くの如き非常の場合は非常の措置として、謂はば規定なき所に政治の運用があつたのであります、我が國の現行憲法は其の非常な場合を特に周密に豫め規定を設けまして、緊急勅令であるとか、財政上の緊急處分であるとか、其の外直接間接に是等の緊急の場合に處する途が設けられてあつたのであります、改正案に於きましては如何なる態度を執つたかと申しますると、從來の即ち現行の憲法は餘りにも此の緊急の措置を講ずるに當局者に便宜過ぎるのであります、それが爲に民主主義政治の運用の上に遺憾なる結果を生じたやうに思ふのであります、故に民主政治を徹底する見地と致しまして、此の緊急措置に關しまする規定は、憲法の中には多くは設けられて居りませぬ、併しながら特に考へまするのは、衆議院が解散せられ、未だ其の内容が充實しませぬ爲に、急に議會を開くことが出來ないと云ふ特殊の場合に於きまして、詰り解散後暫くの間他に方法がない場合に於きましてはどうするかと云ふ所を、特別な規定を以て補充を致しまして、參議院の緊急集會と云ふ方法を以て、豫測すべからざる緊急の事態に對し暫定の措置を執り得る方途を規定したのでありますが、固より是は暫定の措置でありまして、決して此の民主政治の本筋に微動だも生ずる所のものではないのであります、さう云ふ特殊の場合を除きましては、臨時に必要が起れば其の都度議會の臨時會を召集して、立憲的に萬事を措置することが妥當であり、其の方針を基礎として憲法の規定が設けられて居るのであります」
https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/#/detail?minId=009012529X00219460701&spkNum=4&single
参照:総力戦戦争時におけるデモクラシー国家は戦時国家となる
議会制民主主義を温存させたままの統治形態では、強大な軍事力の創出を可能とする、国民社会の徹底的な軍事的組織化、とりもなおさず、軍需産業への半ば強制的な転用や、際限なく拡大されかねない「軍需物資」の価格統制また暴利規制、さらに株式配当を含めた資本利潤の制限【国家的徴収】など、経済的支配階級であるブルジョアジーの社会的存立と自由経済体制自体に、平時では絶対に考えられない、大きな犠牲と制約を強制する国家的諸活動を、政府-官僚機構が首尾よく断行できないことは自明であろう。
政府-官僚機構が展開する国家的諸活動は、すべて議会裁可の法律形態をとった国家意志の厳格な規定に従わねばならないが、ブルジョアジーは議会に送り出した多数の政治的代理人を使って、彼らの階級的総意を、その実質的内容において法律にまで高めることが、できるからである。つまりブルジョアジーは、議会で成立させた法律を通じて、官僚を大きく媒介した形で実質支配している、といえる。
そこで、ブルジョアジーにも大きな犠牲と制約を強いる、
戦時の強力な国家的経済統制は、直接の制度的には議会を実質的に閉鎖すること、
もう少し正確にいえば、政府,官僚機構が議会の立法権を実質的に剥奪・吸収することによって、直接に専制的統治権力として独立化することによってのみ、可能となる。
だからふつう、「戦争政府」とか「戦時内閣」などと、それが内に含む深刻な意味を全く考えることなくごく安易に用いられている、この「政府」=「内閣」とは、もはや国民の政治的代理人が議会に参集して裁可・決定する、法律という形をとった国家意志にもとづいてのみ、その統治・行政活動を遂行できる、厳密な意味での「政府」でもなければ、「内閣」でもない。
それは、法律形態をとった国家意志の裁可・決定権である立法権を議会から実質的に剥奪することによって、国民社会のすべての諸階級・階層的諸個人や諸組織の上に君臨して命令できる、唯一最高の専制的統治権力中枢へと、大きく生まれ変った代物なのである。
それに伴ない、平時の多様な国家的諸活動を直接担掌する国家的諸機関は、今や専制的統治権力中枢へと転じた「戦争政府」を頂点とする軍事的国家権力として、一元的に再編成される。その際、とくに軍事的国家意志の決定権が、「戦争政府」首班【首相ないし大統領】とわずか数名の側近に集中される程の極端な専制的一元化を出現させるのが、むしろふつうといってよい。
もちろんこれは、作戦上の指揮・命令を中心とした、軍事的国家意志決定にとって必要不可欠の、迅速な機動性・極度の機密性・臨機応変の柔軟性・計画的一貫性などにもとづく、それ自体合理的な要請からである。
かくて戦時国家体制の下では、「戦争政府」裁可の、直接に軍事的性格をもった国家意志が、法律・命令を問わずあらゆる国家意志を押しのけて第一義的に君臨し、強力に貫徹されることになる。
政治的支配層が国家総力戦の苛酷さを充分承知しているところでは、議会制民主主義から戦時国家体制への移行と転換において、国民社会が、個人および組織に結集した諸個人として把持している、すべての富・財産および自由なる活動の一切合財を、一時的に、つまり祖国の存亡興廃の危難を乗り切るまでの間は、政府-官僚機構に委託し、それに伴ない、戦争遂行上の軍事的指揮・命令を中心とした重要な国家意志の裁可・決定権は、実質上議会から「戦争政府」へ移譲される、という非常事態宣言を、国民世論のうねりと沸騰を背にうけて、議会が自発的に発議し採択するという形をとるだろう。
それができないで少しでも後手をふめば、第二次大戦時の仏国のように、たちまち侵略されて降服し、長い間屈辱的な傀儡政権下で苦しむ他ない。
英国は戦時国家への転換の最初の試行を、すでに一九世紀中葉のクリミア戦争時の「パーマストンの独裁」(マルクス)にもっており【拙著『唯物史観と国家理論』(三一書房)、一七九~一八七頁、参照】、その後とくに第一次大戦時には、ロイド・ジョージの「戦時内閣」をつくりあげていただけに、第二次大戦時には、危機が迫ると極めて俊敏に対応することができた。因みに狭い海峡をへだてた大陸の海と空から、怒濤のようにくり返し押し寄せた、ナチ・ドイツの軍事的猛攻をハネ返すために、それこそ「ファシズム」国家顔負けの、強力かつ徹底的な戦時国家体制を、創出しえたからである。
ここでさきの「経営者には決算報告を義務づけ、過剰利益には一〇〇パーセント課税されることになった」という指摘を想起する人もいようが、
そのことは、「戦時内閣」首班チャーチルが回顧録で語っている報告を一瞥すれば、即座に了解できる。因みに曰く、--
「私の同僚たちはかねてから特別権限を議会に要求する権利があるとしていたが、最後の数日間でそのための法案が準備された。それは、イギリス国民の生活、自由、財産に対して、政府が事実上無制限の権限をもつというものだった。一般的に法律上では、議会で承認された権限は絶対的なものだった。その法律は、『人々の身柄、役務、財産を必要に応じて、あるいは便宜上国家にあずけ、公共の安全、国土の防衛、公共秩序の維持、あるいは国王の命による効果的な戦争遂行、あるいは社会生活に緊要な物資、役務の充足などのため、政府によって防衛条令を制定することができる』というものであった」(前掲書、三〇三頁)」
「丸山政治学」の正体(十)
試行No.70 1991.5.
滝村隆一