どんな子に育つかは、親が決めることではない。教育とは本質的に、短期的な費用対効果は全く合わないものである。
質問箱への記事第2弾目です。今回は仕事と子育ての2本立ての記事でまとめたので仕事編は下記記事をお読み下さい。
頂いた全ての項目に触れることは難しいですが、多かった項目をいくつか記載しました。なるべくこの辺りの項目に触れて綴っています。
・将来どんな子に育って欲しいですか?
・息子さんにテレビを見せていますか?
・お子さまにお勉強させるときのコツがあれば聞きたいです!
・自分の子育て方針に不安になってしまいます。
・どんな習い事に通わせていますか?
・息子さんの一日のスケジュールを教えて下さい。
・息子さんにデバイスなど与えてらっしゃいますか?
・座学を嫌がるのですが、アドバイスください。
・勉強が嫌いなので困っています。
・どんなに起こしてもなかなか起きないので、毎朝ヘトヘトです。
わが子は将来、どう育ってほしいですか?
親として、やはり何らかの希望はあるでしょう。「明るく元気な子に育ってほしい」「音楽が得意な子に育ってほしい」「将来は〇〇になってほしい」すでに社会を知っている大人が思い描く希望が、たしかに子どものためになる部分もあるはずです。しかし、希望を持つのはいいのですが、子どもに押し付けることがあってはいけません。
どんな子に育つかは、親が決めることではなく、子どもが決めることです。実際に成長するのは、子ども本人で、子どもの成長は、子どもに任せましょう。「明るく元気な子に育ってほしい」と親が思っても、実際はおとなしい子に育つかもしれません。「音楽が得意な子に育ってほしい」と親が願っても、実際は料理が得意な子に育つかもしれません。「将来は公務員になってほしい」と親が希望しても、実際は別の進路に進む可能性もあるでしょう。親に希望があっても、あくまで子どもの意志を尊重すべきです。
子どもの性格を変えようとしても、簡単にできることではありません。子どもの才能を無視して、親の欲で育てようとすると、子どもはひねくれます。子どもの進路を無理に変えようと強制させると、子どもの向上心や成長意欲が失われます。親は子どもの成長を手助けする存在であり敵ではないのですから。子どもの将来を期待するのはいいのですが、指図や命令することではない。
私が夫を父親として心底尊敬した最近のエピソードを少しだけ紹介したいと思います。先日友人とランチをした際に「ルークの10年後が今から楽しみだねー!」と言われた夫は「なんで、10年後なの?今のルークがもう最高な存在でしかないじゃん。彼は、逞しく、勇敢な男だよ。目の前にいる彼を見てごらんよ。」この返しを横で聞いていた私は改めてこの人と子を持てた幸せを噛みしめました。この発言が当たり前のように出てくる夫は本当に最高で最強な存在だと思ったのです。
この言葉以上に息子愛を感じる言葉はないと思いました。夫は「今ここを生きる」を自ら体現し、今この瞬間の息子に本気で向き合っていると改めて痛感した日でした。何もコメントしませんでしたが、その言葉に横でパスタを食べながら、震えましたよね(笑)。
どうすれば人は幸せになれるか、それは「今ここを生きる」ということです。アドラー自身はそんな気の利いた言い方はしていませんが(笑)。
仕事編では、人からどう思われるかばかりを気にし、それに合わせていると自分の人生は生きられないという話をしました。そういう生き方はいわば地から足が浮いているような状態です。「今ここを生きる」には時間的な意味合いもあります。多くの人は過去の経験に縛られるからです。我々は過去のことを思い出して後悔します。子育てや介護に関わってこられた方は多いと思いますが、そういうことは後悔の集大成のようなものです。あのときこうすればよかった、あのときあれができなくて残念だ。しかし変えられない以上、過去を手放すしかありません。未来についてもいらぬことを考えると不安になります。不安という感情を手放すためには、明日のことを思い煩ってはいけないのです。そのように考えて過去を手放し、未来を手放し、今日という日を精いっぱい生きるーーそれができれば人は幸せになれるのだと思います。
賢い親は「スケジュール管理」上手!
ノーベル経済学賞を受賞した、シカゴ大学のジェームズ・ヘックマンは、認知的スキルも非認知的スキルも、多くの社会的成果(例えば金銭的、地位的な成功)を予測するという。
認知的スキルも、非認知的スキルも、多くの社会的成果を予測する。それぞれが一パーセント上昇することは、全般的な能力の向上にほぼ同等の効果をもたらす。それぞれが一パーセント上昇することは、全般的な能力の向上にほぼ同等の効果をもたらし、認知的・非認知的スキルのレベルが低い人は、投獄される可能性が高い。いずれかのスキルを上昇させれば、十代で妊娠する確率が下がる。(中略)
高校や大学の卒業や喫煙習慣や生涯賃金についても、同じようなパターンが見られる。ヘックマンによれば、この二つのスキルは特に幼児期に伸ばすことが重要だと説明している。
家庭や幼稚園が子供に与える影響は重要だと思う方は多いと思うが、科学的にもそれは証明されつつある。ただ本記事は、幼児教育の重要性について書くことが中心ではない。書きたいのは、幼児期の「習慣づけ」で得られる最強のメリットについてだ。
1~5歳ぐらいの時期にさまざまな習慣を定着させておくと、体内リズムが整う=生活リズムが整うので自分で管理する力が身につくという絶大な恩恵が得られる。
子供にスケジュール管理をさせる
習慣を定着していくために、難しいことをする必要ない。親は、子供に対し「決まった時間に決まったことを行う」「ある行動を自然に必ずやってしまう」状態になるように働きかけをするだけ。 例えば、食事の前に手洗いをする、食後は歯みがきをする、などの行動は、習慣として身についていれば、自ら率先して行います。
定着するまでは時間がかかるかもしれませんが、声がけをしたり、親子で一緒に取り組んだり。続けていけば、習慣になり、声がけをしなくても行ってくれるようになります。 特に幼児期の習慣づけは小学校入学後の習慣の土台になるとも言われているので、日頃から意識して取り組んでおくと後で親が楽です。
課題を遂行するための、親の時間という膨大な教育コスト
家庭内での習慣づけはとても大切なことです。それは、小さい子供は家庭で過ごす時間が長く、家庭の中でさまざまなことを行って、成長していくから。けれども、親の方は家事やその他の用事や仕事を行いながら、子供と向き合うことになり、習慣づけまでに至らないケースが多いと思います。また、何度言っても習慣化しないことに親自身がイライラしてしまい叱って、子供が行動そのものを苦手だと感じたり、避けるようになってしまうことも。このように、親子だけでは、思うように習慣の定着ができないケースもあるようです。
子供は遊ぶのが大好きですが、いつまでも遊んでばかりはいられません。「勉強」というものにも挑戦し、椅子に座る、机に向かう、集中する、鉛筆を持つなどを幼稚園や保育園だけに頼らず、家庭でも進めて行くと、スムーズに行えると思います。
勉強習慣はいつからスタートするのが良いのか?悩む方も多いと思います。一般的な通信系の大手を参考にすると、幼稚園年長辺りから少しずつ勉強らしい内容が組み込まれていることが多いので、幼稚園年長は一つの目安になると思います。子供によっても様々だと思いますが、小学校に入る前から慣れておくと、小学校にあがってからスムーズに事が運ぶかもしれません。
我が家では確か2歳くらいから机に向かっての勉強を習慣付けました。ただ、我が家の場合、勉強と言ってもドリルのようなものだけではなく、パズル遊び・色塗り・ブロック・お絵かきなども勉強に入っているので、座学=お遊びと変わらないような感覚です。最初は、ほんの数分程度の習慣から始めました。机に向かっての何かを学ぶ=楽しい時間という概念で、それは今も続いています。今週はプリントを速攻で終わらせて、神経衰弱と折り紙をしまくる朝になっています。机に向かっての勉強というと問題を解いているイメージをされますが、本人が興味を示したものとそのタイミングを逃さないようにするというのがポイントだと思います。なので、ドリルも自分でやりたいものを本屋に行って選ばせます。
本屋さんなどで売っている「迷路」や「はじめての〇〇」という内容のドリルを1冊買って毎日1ページ、ほんの3分程度の習慣から始めてみて下さい。毎日長くなくてもいいので、とにかく本人が決めた範囲は必ずやるようにすることをお勧めします。息子の場合は好きなドリル自分で選び、ページも好きなページを選び、算数であれば、問い5番までやると言えば、それだけでいいといっています。ポイントは本人に決めさせるということです。
教育とは本質的に、短期的な費用対効果は全く合わないもの
企業のことを考えてみて下さい。実際、企業における教育は機能させるのが非常に大変です。例えば、上司が「部下に口出しをせず、できるようになるまで見守る」などということができると思いますか?脅しつける上司が多いのも、頷けます。時間的、金銭的余裕のある会社にはできるだろうが、そうでなければ結果責任だけを問うという、誠に殺伐としたものにならざるを得ないのです。大企業であっても、すでに社員教育の膨大なコストを負担するのは、一部の裕福な企業を除き、難しくなっているのが現実です。
それくらいに、教育とは本質的に、短期的な費用対効果は全く合わないものです。習慣化するまでには、親の時間という投資がマストになります。しかし、一度習慣にさえしてしまえば、幼児期の「習慣づけ」で得られるメリットの威力は計り知れないです。
朝息子は必ず4時〜5時半に自分で起きてきます。習慣化されてから息子を朝起こした事は一度もないです。むしろ、私は家族で一番遅起きなので、起こされる側です。朝息子の机でパソコンを開いてメール処理をはじめると、遊んでいても自ら席に座って勝手に朝活をスタートします。
幼い頃に子どもが手伝いをしたがる時期がありますが、そのタイミングを逃さず、ちょっと面倒でもやらせてしまうことで、親が将来ラクできるようになると私は思っています。幼児期の習慣づけも同じで「ああ、もう遅い」と後悔する前に、お子さんが自分でスケジュール管理できるように習慣づけすることをお勧めします。
いつからOKにする?子どものタブレット&ゲーム事情
時代なのか、タブレットは1歳になる前から見せているという家庭もあるようで、パパやお兄ちゃんがゲーム好きという場合は、早い年齢から触れることが多くなるため、自然と始めているという方も。タブレットは2歳ごろから、テレビゲームは小学校に入ってからという家庭も多数のようです。
我が家の場合、出産のタイミングで捨てたのでそもそもテレビがないです。なので、息子がテレビを自分の家で見ることはないです。代わりに全室タブレットに溢れている状態です。勿論、映像は大大大好きですよね(笑)見せたらエンドレスです。
なので、ルールづけを明確に示して、見せています。時間は絶対厳守!やるべきことがすべて終わってから。親のいないところでは勝手に使わない。この3つをルールとして、毎日夕食前に彼のビデオ鑑賞タイムを作ってます。帰宅する時間にもよりますが、1日30分〜1時間程度だと思います。
タブレットやテレビゲームを与える時は最初のルールづけが肝心!だと思います。子どもだけではなく、親自身もそのルールに沿ってしっかり管理すれば、楽しめる&親がちょっとだけ楽になる必要なツールだとも思います。
子供の習い事は本当に必要?
子どもに習い事をさせている家庭の調査データを見てみると、最も多いのが3歳からスタートしたと言われています。3歳から習い事を始める子どもは20%程度いるとされていますが、その前0歳から2歳の間にスタートしている子供も3割を超えます。合わせれば、5割の子ども達が3歳までに習い事をスタートしているということです。
その中でも3歳に始める子どもが最も多いとされており、3歳に特別な意味を感じている親御さんが多いという事がわかります。
幼稚園など集団生活をスタートさせる前に、少しでも子どもや先生同士の触れ合いに慣らしておきたいなどの理由で始めさせる家庭もあるでしょう。しかし、多くの親御さんの中は、三歳神話を気にし、3歳までにとにかく何か習わせなければ!と、意味のない神話を信じているようです。以前三歳神話の記事でも触れているので下記記事と合わせてご覧ください。
確かに3歳までの子どもは、その時期に視覚や聴覚など5感を著しく発達させ、言語によるコミュニケーションや、立って歩く、走るといった身体の動かし方を学びます。その点で、成長における非常に重要な時期であるという説は間違ってはいません。
しかし「3歳までの発達は非常に重要である」という説が「3歳までにあらゆる可能性の芽を育んでおかなければ、将来身につかない」といった、行き過ぎた考え方に発展し、広まってしまっているという現状です。
結論から言えば、三歳児神話、三歳神話はもう古い考え方と言わざるを得ません。働くママの子どももスクスク育ちます!アメリカでは、実際に1万人以上の子どもを対象に調査をした結果「2歳以前に母親が職場復帰し、保育園などでの養育を余儀なくされた場合でも、5歳時点の発達において関連は認められなかった」というデータが発表されています。
つまり、母親が働き、そのために3歳までの子どものお世話を保育園などにゆだねたとしても、そのことが子どもの発達に悪影響を与えるとは限らない、ということです。
なので、もしそんなことを考え習い事をする・しないで悩んでいるなら、しなくて良いと思います。因みに息子は3歳まで習い事をしてません。今はいくつか習い事をしていますが、6月までに一度全てリセットする予定なのでまたいつか別に記事にしたいと思っています。
今回の質問箱にも沢山のご質問・感想・意見をくださった皆さんありがとうございました。
しいのはラクをしているからか?
もちろん「楽しい」と「楽(らく)」は、一致しません。皆さんが色々な場所で見ているみなさんにとっての指標のような人たちは毎日、楽して、楽しい人生なんだろうな?なんて思ってませんか。断言します、その人達にも大変ことがあります。
だれにだってあるんだよ ひとにはいえないくるしみが だれにだってあるんだよ ひとにはいえないかなしみが ただだまっているだけなんだよ いえば ぐちになるから。
人はどんな人だろうが、様々な悩みを抱えています。でも、気持ちとしては、「大変なことすら楽しむ」という気構えは大事です。楽しそうにしている人のもとには、楽しく過ごしたい人たちが集まる。人をコキおろして人気を得ている人は、同じように誰かをコキおろして楽しむような人たちが集まってくるわけです。非現実的なような人の元には、リアリティの薄い人たちだけが集まってくるわけです。