Motoko
スピリチュアル、精神世界、いろいろな言い方があるけど、「目に見えない世界」という言葉が好き。世界は優しく、そして世界は私そのもの。この視点から見えてくるものたちをつづってます。
強烈に誰かに嫉妬する時がある。明らかに羨ましいんだよね。そのがんばる姿や、才能や、開花していく様子が 渦中にいる時の私は、ほんっとに可愛くない。素直じゃないし、拗ねてるし、意識も小さく縮こまってるし 前はそんな自分が猛烈に嫌だったから、なんとかその渦から這い出そうともがいてたけど、今はなんか、そんな自分も愛おしいなって思う 可愛くないけど愛おしい だから思う存分嫉妬させてあげる そうしたらさ、あっという間に抜けてくんだよね。そしてその先に広がっているのは、清々しい降参
ふと、昔のことを思い出した 私、特別になりたかったんだよね。興味のある分野で、飛び切り秀でた人になりたかった。普通であること、平凡であることがすごく嫌だったのは、普通じゃ存在価値がないように思えたから 飛び抜けた才能があれば認められる。そうやって他人からの評価で自分の存在価値をはかってた。自分のこと認めてあげられなかったから、人からの評価にすがってたんだ でも気が付いたら、そんなこと思わなくなってた。普通の何が悪いの?って本気で思う というよりも、誰もが個性という才能
「日常の風景」 作詞作曲 MOTOKO 去り行く今日が 名残惜しげに 手を振る公園で 空を見上げて 思い巡らす 何げない日常のことを 暮れ行く街の 人の流れは 家路へと急ぐ その先にある 笑顔に触れて 温かなぬくもりを知る 笑い合ったり 語り明かしたり 時にはケンカもしたり 当たり前の その愛しさを どうか見失わないように 永遠(えいえん)に続き行く 形あるものなどなく 永遠(とわ)に舞う その輝きが あるのは今この時だけだから 夕陽に伸びる 影追いかけて 深呼吸ひ
パートナーが大怪我をして、入院してからもう3ヶ月だ。今ではすっかり元気になって、これまで通り生活できるようになってきた あまりにもいつも通りだから、あの出来事は夢だったのかと思ったりもする。でも確かに彼は事故にあった。3メートル以上の高さから転落して、頭を打ちつけて、集中治療室にも入ってた 今、まさに落ちていくという瞬間を私だけが目撃した。スローモーションの光景は今でも目と頭にこびりついていて、多分一生忘れないだろう そのことが始めはひどく憂鬱だった。トラウマになるので
昨日から半端なく落ち込んでいた。ここまでひどく引きずられるのは久しぶり。戸惑ってしまうくらいに これ、一番の原因は睡眠不足だなあ。極度に睡眠が少ない状態でダメージ受けたもんだから、一気に自己否定に傾いてった こんな時、私はいつも瞑想する。朝と夕方、1日2回の瞑想はもう10年近く続いてるのでいつも通りといえばいつも通りなんだけど、特に念入りに、自分の中心とつながれるように スッキリした。本当にスッキリした。体感ではお昼寝の何倍ものデトックス効果がある。瞑想と出会えてよかっ
今日は朝から体調が悪い。いや、数日前からかな。胃腸の具合やら頭痛やらサインは来てた こんな日はひたすら寝るに限る。もう寝られないって所まで寝続ける ふと目が覚めて時計を見て、また眠りに落ちて、次に目を開いたら一瞬で一時間経っている。こんな不思議な時間の流れが続いてた 夢も妙にリアル。目が覚めても覚えてて、次の瞬間の夢の世界は、さっき見た夢の続きだったり そんなに楽しい夢じゃなかった。でもいつもより夢との距離が近くて、もう一つの現実のような気もしてて 続きが見たいな、
note始めてから、なんとなく気にかかってたことがある。他のSNSとつながってない状態で書いていることへの後ろめたさのようなもの 私をそこにつなぎとめるのは、憧れてる人の言葉だった 「自己開示をするのが怖いSNSでこそやる意味がある」。確かにそうだ。知らない人だけの世界で自己開示するのと、知ってる人だらけの中で開示するのとでは解放度合いが全然違う 確かにそう、そうなんだけどさ そのことに囚われて腰が重くなって、わき上がってきた思いや感情を表現するチャンスを逃してしまう
なぜ私はスピリチュアルや精神世界への興味を封印したんだろう?そんなことを考えてたら、前の結婚生活のことを思い出した 離婚するとき、大量のスピリチュアル本を処分してきた。なんとなく、もう必要ないように思えたから あの離婚で私は人生の第一ステージが完了したと勝手に思ってる。これまでの生活からの卒業だとも 当時は大変だったし周りの人にも迷惑をかけてしまった。でも非難も責任も全部負う覚悟で決めたことだったから、心はどこか清々しかった スピリチュアルなことにはあの頃の思い出がた
最近はすこぶる機嫌がいい 何か特別なことがあった訳ではない。ただ自分の機嫌は自分で決められることが分かったから イライラする時、不機嫌な時は大抵これ。少し先のやりたい事が気になって、今やってる事が煩わしくなるとき どんな気分でいたいかは 自分で決められる それが分かってから、この無意識のイライラをキャッチできるようになった キャッチして深呼吸したら、少し先に走ってた意識が今に戻ってきて、今やってることに集中できるようになって そうしたら、やってる事そのものが 愛しく
noteを始めてみたら思ってた以上に楽しくて、日常のことをもっと書いていきたくなった ふと読みたくなった、よしもとばななさんのエッセイ。ばななさんの文章は透明で心地よくて、時折ほろりと泣ける 文章で空気を伝えられるっていいな。素敵だな。私も自分の言葉で日常をつづっていこう
もう随分と昔のことだけど、私には長いこと忘れられない人がいた。なんで忘れられなかったのか、存在がずっと心に残ってたのか それは、それまでの人生で一番私を理解しようとしてくれた人だったから その人の他にも、私の深い部分を見てくれる人に出逢うと心奪われた。男でも女でも 誰かに理解してほしかった 深くつながりたかった でも、本当につながりたかったのは 私自身とだったんだ そのことに気づいてから、一歩一歩、自分との対話を続けていったら、いつの間にか理解してほしい病は何処かに
ウチのお風呂はお湯が出ない。なので湯船にお湯をためて入ってる 今日はササっと身体洗って終わりにしようと思ったら、出る直前にお湯に浸かりたくなった 早く出て寝たいという思いと、温まりたいという思い どうしたい?自分に問いかけたら温まりたい、と。なので湯船に使ったら、身体中が緩んでリラックスできた ほんの些細なこと。でもこの声を聴けるかどうか。聴けてよかった。細胞全部が喜んでるよ
思い出した 私は目に見えない世界が大好きだった 目に見えない世界も確かに存在してる。それが真実だと分かるから、それを感じた方が豊かに生きることができるから、その世界のことを考えるのが好きだった いつからその思いにフタをしたんだろう。否定されたとき?心配されたとき?どちらにせよ、私は外の意見を取り入れてしまってた ぐるりと回って思うこと、やっぱり目に見えない世界のことを考えるのが好きだ。宇宙の真理に思いを馳せることが好きだ 好きでいいじゃない。変に思われたっていいじゃな
秋の空が好き。金木犀の香りが好き ひんやりし始める空気が好き この季節は大学時代を思い出す 多感な青春時代。楽しかった。切なかった。山ほどの感情を経験した 懐かしい けれど戻りたいとは思わない 大学時代だけじゃない 過去を振り返ったとき、戻りたい時代というのが私にはない。たとえ愛おしい過去だとしても それはきっと、今この場所で幸せを感じてるから、なんだろうな
前から気になっていたnote。私も使ってみることにした。 きっかけはSNSでの投稿。noteを素敵な形で使ってる方がいたの。何気ない日々のことを綴ってて、それがとても心地よかったから。 そこは完全に自分のスペースだった。noteは目に入る情報がシンプルだから気も散らなくて、そこもいい。 なーんにも気にせず、思ったことを書ける場所が欲しかった。ブログもFacebookも、どうしても読まれる前提になって構えちゃうから。 本当はそういう場所でこそ本音をさらけ出したい…ところ