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本部御殿手

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本部家に家伝として伝わる武術に関する記事です。
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#本部朝勇

添石良行と金武良仁

「本部朝勇の中国旅行」の記事で、明治43年(1910)、本部朝勇が旅券(パスポート)を取得して…

本部流
2か月前
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本部朝勇の中国旅行

前回の記事で、本部朝勇が明治43年(1910)、旅券(パスポート)を取得して、中国(当時は清国…

本部流
2か月前
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本部朝勇の本当の生没年

上原清吉は本部朝勇の生没年は正確には知らなかった。昔は師匠の年齢を質問したりはしないし、…

本部流
2か月前
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本部朝勇の影響力

坂口拳風(三重県古武道振興会、喜屋武朝徳伝少林寺流)の「武道の修練は道を離れず」(1982)…

本部流
1年前
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ウフクン

最近(注:2017年)、空手の型の映像をいくつか見返している。先日、「糸洲安恒の改変」の記事…

本部流
1年前
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宮城調常 ー上原清吉の弟子ー

最近、昔の資料を調べていたら面白い記事を見つけた。それは宗家(本部朝正)の友人で、昔上原…

本部流
1年前
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兼島信助と本部朝勇

以前、『月刊空手道』2009年3月号で「渡山流 究武無限」と題して渡山流の兼島信助についての特集があった。そこに本部朝勇との出会いが書かれていた。 同記事によると、兼島先生は本部朝勇に明治44年(1911)1月(15歳)から大正3年(1914)7月(18歳)まで、そして半年休止して再び大正4年(1915)1月(19歳)から大正7年(1918)3月(22歳)まで師事した。 *年齢は数え年。 上原清吉が本部朝勇に入門したのが大正5年(1916)7月からだから、兼島先生の師事

本部御殿手の取手(2)ー対当身と対掴み手ー

「本部御殿手の取手(1)」で、大東流合気柔術やその派生武道(合気道、八光流)では座技が基…

本部流
1年前
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松村宗棍の上段蹴り

屋部憲通は本部朝基の親友で、2人は若年の頃より一緒に稽古した仲だったが、本部朝基は息子の…

本部流
1年前
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本部朝勇が語った稽古の心得

下の動画は上原清吉が平成4(1992)年に行った講演会から、本部朝勇に入門した当初にどういう…

本部流
1年前
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沖縄唐手研究倶楽部結成の日の事件

上原清吉によると、沖縄唐手研究倶楽部は大正13(1924)年に那覇波の上に結成された。通称をク…

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本部流
1年前
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大城兼義と沖縄唐手研究倶楽部

沖縄唐手研究倶楽部は、大正末期に本部朝勇と宮城長順が中心となって設立した唐手の研究機関で…

本部流
1年前
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琉球士族と刀

下の広告は、明治33(1900)年10月29日の琉球新報に掲載されたものである。内容は具志川朝及が…

本部流
1年前
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高嶺善継:上原清吉の兄弟子

平成4(1992)年、沖縄空手道懇話会/琉球新報主催の空手道講座「流派に学ぶ」と題された一連の講座が開催された。沖縄の空手や古武道の大家に流派の歴史や逸話を語ってもらおうという企画であった。上原清吉も講師として、師匠・本部朝勇や本部御殿手について語った。以下の「稽古の心得」の動画はそのときの講座からのものである。 上原先生が公開の場で本部御殿手について語るのは初めてだったので、色々と興味深いことが語られていた。そして、講座の最後に、聴衆の一人から、「本部朝勇の弟子は他にいま