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向田邦子からの菊池寛。「嫌ですよね」から考える「人」となり。

人は自分が思考するほど、人や自分の事など気にもしていない。

これはたぶん私の言葉だ。

私の言葉だろうが、それが何だろうが、誰も別に気にしていないだろう。だがそこに、第三者の目が入ると、心に生まれてくるのは、それを確かな物にしようとする自尊心や虚栄心だ。

人間は、厄介だ。

自己の完結で済まない承認欲求や、人との比較から本来しなくてよい筈の嫉妬をしたりする。

私は、自分の思考の裏側を考えるのが好きだ。行動と相反する気持ちが同居している人間の業みたいなのが好きだ。

本音と建前。裏と表。人間が多面体であることがその魅力だと考えている。

その記憶の記事は、

「向田邦子ってなんか嫌ですよね」

という、その裏の意味を問う記事だった。

Momoさんの記事を読むのが好きだが、理由はおそらく私に似ている部分を感じるからだ。

そう、私の世界では、常に私ありきで世の中は都合よく進んでいる。私が文学にその内面や、人間の善悪を探すのと同じように、Momoさんは、その舞台、演劇の「生の人」からそれを感じようとしていると思うと私が面白い。←これをコニシ的中心世界と呼びます。

「向田邦子ってなんか嫌ですよね」

これを作家冥利に尽きると解釈する部分が、私の琴線に触れる。興味が出てくるのは当然で、私としてはわりと頻繁にコメントに訪れている。

その中でこう言われた。

「嫌ですよね」つながりで、ふと思い出した、菊池寛の「入れ札」読んだことありますか?

文学中年を自負する私は、なんの躊躇いもなく、

「もちろん、読み通しております」

と文学中年の自尊心とその虚栄心から、さっそく嘘をつきそうになったが、この世界で嘘をつくのは信用に関わるというか、嘘をついているのがバレながら、そういう人間だと思われ、それをほったらかしにされる素っ裸状態になりかねないと思い、断腸の思いで未読だと伝えた。

こんな粋な紹介をされたら、読まないワケがない。

※私が確認したところ、青空文庫とKindle版と二種類存在する。これ。両方読むと面白い。青空文庫は、小説形態だが、Kindle版だとおそらく舞台形態の会話中心の脚本みたいな読み物だ。より喋らす事を前提としているので説明を台詞として表現する部分が多い。比較するとより楽しめる。両方読んでも一時間も経過しない短編なので是非。小説から読むのがオススメだ。

「コニシの豆知識をマメにばら蒔く日々の詩」
より抜粋

この物語、恐ろしいくらいに人間の自尊心、虚栄心、嫉妬、僻みを炙り出す。まさしく、私好みの「嫌ですよね」だった。

その、行動と葛藤。理想と現実。羞恥心。どれも唸るが、読み取り方によっては、読者の自尊心と虚栄心を試されているのではなかろうか。

主人公だけでなく、この物語のどこの誰の立場から考えてみても、それを感じられるのが一番怖い部分だ。

つまり昔から、人間は厄介だ。

物語は、短編ですぐ読めるので、読んで陥って欲しい。

その業に。

「向田邦子ってなんか嫌ですよね」

ここから始まった今回の経過は、この言葉の語る意味を考えるほど、その「人」に興味が湧く私は、上を行くイヤな奴だろうなぁ。

私は、向田邦子のエッセイが好きだ。映像を連想させ暮らしまで見える文章が。向田邦子の女性の裏側というかイヤな部分を炙る小説。山本文緒の小説にも感じるが、私は読むが信じない。そこは、見ない。

女性が好きだから🎊

ということです谷崎さん。と今ならその嫌な部分までその女性崇拝から、耽美に仕上げたあなたの気持ちに入れます。谷崎潤一郎。そろそろお迎えに上がります。私を連れ戻して欲しい。

なんのはなしですか

短編で本の内容を書けないから、こういう落とし込みなんだ。と私の自尊心は言っています。それにしては、よく書いているよ。と私の虚栄心が言っています。

やっぱり人の「嫌ですよね」ほど信頼出来るものはないですよね。Momoさん。選書に嫉妬します。

菊池寛。すごい作家だ。

すぐに読め、そこに自分がいるぞ。

私の向田邦子はこちら


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コニシ木の子
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