世代交代と統一戦。どれも同じ時間軸だが人それぞれだ。
友人が親から世代交代し社長になるという。25年来の友人とは人生の半分以上関わっていることになる。
時間という概念は、交わる時間の積み重ねで信頼を生むのだろうか。どこでどう同じ時間を共有するのか誰も知らない。
多感な時期の時間の積み重ねは、日々が未熟で小さい分、心の大部分を占める。強烈な思い出や、言動は時間を越えてあっという間に引き戻す。
だがしかし、普段の生活に於いて共有する時間はますます少なくなっている。一年が同じ時間の長さを刻むならその中の大部分は共有出来ていないことになる。
歳を重ねるとそれを自然と知るのが成り行きなのか、同じ時間を共有する価値を知っているので何かと考える事をして会うことを考える。
そうして作られるのが思い出ならば、時間が進むというものに意味があるというものだ。
同じ時間を共有しても見ている瞬間や思考、そして場面の事実なども全く同じということは存在しない。そこには、個人の表現や積み重ねた時間から得られた経験があるからだ。
それを擦り合わせるのも面白いのだ。
とにかく私は友人を連れ、明日の4団体統一戦へ向かう。思い出という時間の共有はいくつあってもいいのだ。
あれも行った。これも行った。
それを振り返る事が出来る積み重ねをしてきた。
その都度重ねたお酒は、同じ事を話してもまた新しく感じるものだ。
年の暮れ、社長になった友人を祝ってみたい。
願わくば、同じ歴史的瞬間の時間を共有し、違う切り口で夜中にしんみり居酒屋で乾杯したいと思う。
「社長、この店奢りますよ。そのかわり次のキャバクラお願いいたします」
と言いたい。だって私は彼が社長になるまでの時間の共有はしていないから。社長には甘えるものだと考える。そしてなにより私達はキャバクラが大好きだから。
なんのはなしですか
行くぞ有明アリーナへ🥊
連載コラム「木ノ子のこの子」vol.15
著コニシ 木ノ子(社長からのキャバクラ)