昼も暗かったから明るくなるまで寝るしかなかった。~前編~
「自分が何をしたら良いのかなんて分からないです。好きなこと、やりたいことなんて本当に何もないですし、これからも見つかりません」と笑いながら本音を伝えてくれたあなたへ
「玉子焼きは、甘いやつとしょっぱいやつのどっちが好みだよ?」
あまりにやることがない日常は遂に正しい答えが必要のない会話にまで到達していた。
「強いて言うのなら甘いのだね。ただ俺にもし彼女という理想の形が存在していて、玉子焼きを作ってくれる場合があるのなら、しょっぱいやつでも甘く感じることが俺は間違いなく出来ると思うんだ。それだけは間違いないんだ。俺の愛は味覚を通り越すと思っている」
当時も今も、私は理想の彼女が存在する妄想を一日足りとも欠かしたことがないので、友人との会話の途中であろうとも頭の中に理想の彼女を完璧に存在しているように思い描くことが出来ていた。これは特技を通り越した卓越した技能だと思っている。
事実、この友人の質問に答えながらも、裸エプロンで正座しながら長い菜箸を使い、私の横で一番可愛い笑顔で長い菜箸が微妙に揺れながらも玉子焼きを一生懸命に口に運んでくれ、上目遣いで私のリアクションを確認している彼女を思い浮かべて、その長い髪を束ねているゴムをほどいてみたり、エプロンを軽く捲ってみながら絶対領域の先を五感で感じて怒られてみたいなと思考していた。
「暇だな」
分かっていることを口に出されても全くイライラしないのが友人関係だと思っている。高校三年の夏休みのこの日、私と友人のポップは、やることがなかった。やることがないからこそ頻繁に会っていた。
「暇を解消するためだけにお前と会っているんだけど、暇だな。暇とは生きるのに必要なものなのか死ぬまでに誰か教えて欲しいよ」
深夜の公園のベンチで横になりながら、私は冷静に答えていた。それとは別に深夜の頭の中の裸エプロンの彼女は、明らかに私に夢中で乱れていてとても暇そうではなかったので、妄想から少しの間だけ居なくなってもらった。
私達は、進学校にも関わらず400人いるなかでも片手で数えることが出来る大学には進学しない側だった。非受験生である私達の高校三年の夏は、私達にとって世間からも社会からも弾かれているような感覚だった。
家にも朝帰りで寝に帰るだけの生活の私と、家にも帰らずにバイト三昧のポップとは、深夜によく公園で会っていた。深夜の公園は、時々朝と間違えて蝉が鳴くくらいで、比較的静かだった。二人の世界に入ったカップルが、人目を憚らず悦に入るのを目撃したいと毎日待っていたのだが、そんなに都合よく現れない現実というものも知っていた。
「暇を解消する方法を知ってるんだ」
暇だと言っていたポップが、実は暇を解消する方法を知っていたということを知り、私に対して感情のジエットコースターを味わせてくれる策士ぶりにやはりモテる男とは自然に人を喜ばせてしまうものだなと思っていた。
「そうか。でもそれを聞きたいと思う反面、聞いてしまったのなら、今の俺たちの関係にはもう戻れなくなってしまうのではないかという不安もあるんだ。そこは大丈夫だろうか」
私も私で、結論を焦らして興味をそそる可愛いタイプの女性が好きであり、男を翻弄するジエットコースタータイプに憧憬を感じていたのでその理想の女性のタイプを演じてお返ししといた。
沈黙に耐えられずに蝉が間違えて鳴き始めるのを待ってからポップがようやく切り出した。
「バイト先で、プールの招待券を貰ったんだ。明日バイト休みだから行かないか?」
ここでいう明日とは、もう何時間後のことだ。私は起きれるか分からない。そんなことを察知するようにポップは私に告げた。
「お前後ろで寝てて良いよ」
ここでいう後ろとは、単車の後部座席のことになる。寝れるワケがないのだが、私の興味と思考は簡単に移ろい始め、速度を上げて走り始めていた。
「水着か。実は俺はな、女性の水着姿を頭のなかで下着にうまく変換出来ないんだ。これは大問題だろ。それさえしっかり完璧に出来るようになれば、それこそ小論文で大学に入学出来るくらいだと思っているんだ」
私は、行く気もない大学の話題など出してしまい、どこかで進路を気にしている自分に嫌悪感を抱いていたのに気付いていたが気付かぬフリでやり過ごした。
どうしても水着と下着には何か決定的な違いが存在していて、本当に素材の違いだけなのかという違和感を取り除けなくて上手くドキドキ出来ないことに真剣に悩んでいた。グラビアを見てもドキドキ高鳴らない自分が悔しかった。
「それな。俺には答えが分かるんだ」
やっぱり私の先を歩く奴だ。私の胸は早くも答えが知りたくてドキドキ高鳴りしている。策士。これがイケメン策士かと感じていた。
「視覚の問題だと思っているんだ。俺たちが孤独に向き合いながら、オトナの教科書やビデオ教材を毎晩何度も肌で感じるときにあえて部屋を暗くするのはなぜだと思う?」
それは、来るべき本番に部屋が明るい場面など訪れないことを本能的に知っているからだ。常に本番に備えてイメージトレーニングを欠かさないからだ。沈黙している私の頭の中を読み取るようにポップは続ける。
「そうだ。ほとんどの場合、本番の部屋は暗いんだ。明るくするにはそれ相応の時間と信頼関係、そしてテクニックが必要になる。だから急に明るい世界に放り込まれる俺達は、現実世界なのに心の準備が出来ないままで現実感に乏しくなるんだ」
天才だと思った。今までこの世の中に生まれてきてこんなに明確な答えを提示してくれる先生にも出会ったことがないのに、私の先生は友人だったという幸運を噛み締めていた。確かめたい。私はこの目で確かめたくなっていた。
「お前の言う通りなら、ゴーグルの存在の意味が初めて分かった気がするよ。あれは意図的な夜を創り出す夢の産物なんだな」
ポップは、今まで見せたことのない笑顔で囁いた。
「だとすれば、明日は一番真っ黒なゴーグルが俺達には必要だってことだ」
真っ昼間から深夜の雰囲気を味わえるという興奮は、現在真夜中の公園にいる私たちを興醒めさせるには充分であり、水着も黒いゴーグルで夜の世界に強制的にしてしまえば、下着に脳内変換出来て永遠の高鳴りが出来るのではないかという仮説を検証したい欲望が問うまでもなく圧勝し、私達を満足させる結果になり、なんなく帰宅させることに成功させた。
後編だよ↓