5/30(日) タトゥーは神秘の三角形
人生で初めてタトゥーを入れた。
「一生もの」と言われるそれを、本当は10代の頃からずっと興味があったのだが寝かせていた。「後戻りできなくなる」のだから、よっぽどのことなのだから、慎重に考えなきゃと。
そう話すと彫り師は笑って、「このサイズなら正直すぐ消せるから」と言った。ちゃんとタトゥー経験者に聞いた方が良いよ。やったことない人に相談したって、想像で不安なこと言うだけでしょう、と。
もう何度も似たようなやりとりが過去にあったのだろう。タトゥーを入れていない人の集まり、から一人逸脱しようとする私の浮遊感を蹴散らすように、彫り師が素っ気ない口振りで話すので気持ちいい。
これから、「どうしてタトゥーを入れたの?」「どうしてこのモチーフにしたの?」って、あらゆる質問をされるようになると思うけど、あまり真面目に答える必要ないよ。全部に理由なんてないでしょ。タトゥーに拒否反応がある人はもう結論が決まってるから、真面目に答えても、説明しても、もっと意固地になるだけで、意味がない。お互い徒労になるから、早めに切り上げた方がいいよ。と言葉は続けられた。
なるほどと頷きながら、質問群に聞き覚えがある。私はリスカ痕についても同じような経験をしてきたのだ。
「どうしてそんなことするの?」「そんなことして意味あるの?」と。質問の形を取っているが、決してそれらは質問じゃない。嘲笑っているし、怒っているのだ。私が逸脱した存在であることに。日常に差し込まれた不可解な不気味さを人は許さない。その侵入者を打ちのめしておこうと、あるいは慈悲深い心で許してやろうと、やる気と自信と歓喜に満ち満ちている。
だからよっぽど、タトゥーの方がマシだ。入れたくて入れた。可愛いから。好きだから。と断言できる。肉体の曲線と細かいテクスチャに対して、平面的な模様が重なっているのが好きなのだ。モチーフは正三角形。神秘。自由。バランス。せっかくだから意味も込みで。
「もし自分の人生に傷が一つもなかったら」を空想する癖がある。リスカ痕の話ではないし、リスカ痕の話である。もしも死ぬことだけをお守りに生きるような日々でなかったら。
浮かんでくるのはいつも、「あの時の好きな人と結婚して、今ごろは主婦だったかも」とか、「良い大学に行って、就活に精を出して、ばりばり働いていたかも」とか、お決まりの像だ。
タトゥーを入れた帰り道は、「もしかしたらもっと行き当たりばったりに生きていたかも」と初めて、新しい像を思い浮かべた。たとえば10代のうちにタトゥーを入れて、彫り師の道を目指したかもしれない。大学には行かず、知り合いのツテで気ままに働いていたかもしれない。たまにいる、「なんでこうなったのかよくわからない経歴の人」になっている自分を思い浮かべてみた。楽しそうでいいな。それはとてもいい。
タトゥーを入れたと報告したら友人から連絡があり、散歩をすることに。ちょうど先日参加したzoom飲み会で、生きづらさを研究している人がいたという話をする。「生きづらいって感じる?」と友人に聞かれたが、言葉が出て来ずしばし考え込んで、「わからないけど、今日は楽しい」と答えた。
わからないけど、今日は楽しい。いまはそれで十分なのだと思う。