見出し画像

‟自分を慈しむ”から始めよう

つい先日、
それぞれのフィールドで
子育てや心のケアに取り組んでいる仲間たちと
ある会を立ちあげました。

「マイトリー京都の会」という、
親や親になる予定の人、保育者など
子どもにたずさわるすべての人を支援するための
小さな会です。

マイトリーとはサンスクリット語で「慈」、
慈しみの心をもつという意味で、
子育てにたずさわるすべての人が
まずは自分に慈しみの心をむけてほしいという願いを込めてつけました。

マイトリー京都の会アイコン(緑)

サンスクリット語である理由は、
ただその場にサンスクリット語に詳しい人がいただけという、
ノリと勢いだけのわりとどうでもいいものなので、
お気になさらず。

それよりも、
なぜ自分を慈しむのかというと、
それは自分のありのままを受容するためです。

自分のありのままをゆるして受けいれるということは、
すなわち子ども(他者)のありのままをゆるし、
受けいれるということにほかなりません。

人は自分を受けいれることができてはじめて、
他者のありのままを受容することができるのです。

そして、
子育てや人間関係において起こるさまざまな問題や苦しみの多くは、
ここにその一因があるように思うのです。

とくに子育てにおいては、
「自分」と「子ども」を客観的に切り離して考えることは、
とても難しいこと。

自分の願いを子どもの願いのように感じてしまったり、
子どもへの評価を自分への評価と混同してしまったり…。

そもそもの受けいれるべき「自己の姿」の時点から、
それを客観視して分析し、理解できている人なんて
いったいどのくらいいるでしょうか。

でも、このスタートの「ありのままの自分」をわかっていないと、
「自分」と「子ども(他者)」のすれちがいはどんどん大きくなり、
結局は両者を苦しめることになるのです。

マイトリーヘッダーVer2(PNG)

わたしがこのことを実感したのは、
子育てに励む友人たちとの会話のなかでした。

保育の仕事をしていると、
友人知人から子育ての悩みを相談されることも多くなります。

ご飯の食べさせ方などの具体的な育児法から、
首のすわりやハイハイなど発達面についてまで。

それぞれいろんな悩みがあるなか、
表現は違えどみんなが一様に
「子育てを通して自分という存在にむりやり向きあわされる」
苦しみを吐露したのです。

自分の生い立ち、親との関係、
いやだったこと、うれしかったこと、願いや価値観…。
そういった自分をつくりあげてきたすべてが、
子どもを通してあらためて突きつけられているようだ、と。

昼も夜もない実際のお世話と同時に、
そんな心理面の壁にもぶちあたったから、
めちゃくちゃつらかった…。

子どもを産む前にこのことがわかっていたら、
ここまで苦しまなくてすんだのに…。

もっと心の準備をしておけたのに…。

友人たちがそんな風に話しているのを聞いて、
こうやって言葉にできないまま
この問題に苦しんでいる人もきっとたくさんいるんだろうなと、
いろんな人の顔が浮かびました。

なにかできることはないか…。
そんな模索から生まれたのが、
前述したこのマイトリーの会です。

子どもに向きあうすべての人々が、
まずは己にやさしく向きあい、自分を慈しむことで、
ほんとうの意味ですこやかに、幸せに、
子どもを育んでいけるようになればいいな。

そんな願いをささやかにでも実現すべく、
ちいさな一歩を踏みだしています。

また具体的な活動の様子なども、
ここでご報告していけたらと思います。

よかったら、下記URLから様子を覗いてみてくださいね。
https://www.facebook.com/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%81%AE%E4%BC%9A-112581724523692/?ref=page_internal

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集