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もし両親が同級生だったらわたしはきっと

わたしは、両親のどちらと性格が似ているか?
と聞かれるとちょっと考えて父親似かな?とも思うけど
どちらにも似ていない気もする。

もし、わたしの両親がクラスメイトだったら。
わたしはたぶん父とも母と友達になることはない。

性格が全く合わないのだ。

わたしの母は、難しい。
元銀行員で完璧主義で、アマノジャクで心配性で
他人と自分の境界線が曖昧だ。

繊細で不器用な姉は、母と昔から衝突が絶えなかった。
性格が似ている二人は仲直りが苦手で
姉が小学校5年生で反抗期に突入してから
高校を卒業するまで不仲だった。

次女のわたしはせっせと働く
家庭内で不仲な二人の伝書鳩だった。

平和主義の伝書鳩の願いはかなわず
いつも二人は怒鳴りあっていた。

わたしの高校受験の前日、
リビングで皿が飛んでいた。

英単語をつぶやきながらリビングの
割れた破片をよけて歩いて
こりゃ伝書鳩もお手上げだ、と思った。

アマノジャクな母はいつも
家庭訪問で先生がわたしを褒めてくれても
友達と遊んでいて帰宅したわたしに
「先生悪い子だって言ってたよ」という。

一緒に遊んでいた友達の家では
友達のお母さんが「いつも頑張ってるねって先生が褒めてたよ」
と友達に言っていてわたしはカルチャーショックを受けた。

友達の部屋には漫画が転がっていて
部屋でお菓子を食べながら友達はゲームをしていた。

わたしの家では、漫画は禁止で
たまにこっそり図書館で仕入れた漫画を読んだりしたけど
それは布団の中で隠れて読むものだった。

友達とよく行った駄菓子屋は母には内緒で
お小遣いがなかったわたしはこっそり行く駄菓子屋の
駄菓子代の数十円を
捻出するのにいつも頭を悩ませていた。

父はさらに変わっていた。
内科医の父は、理論的で人の感情を推し量るのが苦手だった。
わたしたち子どもはよく「心が死んでいる」と冗談で
父をそう評した。

大学生のとき、仲間内で一番先に結婚した友達の
結婚式に参列することになった。
わたしの人生で初めての結婚式で
急に決まったこともあって、大学生のわたしはお金が足りなかった。

結婚式に来て行けるドレスも持っていなくて
ご祝儀やヘアセットやドレス一式と移動費を計算すると
バイト代では足りなくて、わたしは父に相談した。

両親はわたしのお祝い金やお年玉を貯金してくれていて
20歳になったら通帳をもらう約束をしていたのを
思い出したからだ。

足りない分をその貯金から出してもいいか聞くと
父は真面目な顔で「お金ないなら結婚式に行かなきゃいい」
と言った。

いや、結婚式は人生に一回だよ?
友達のお祝いに行きたいの当たり前でしょ?というと

父はきょとんとした顔で
「なんで?」と返してきた。

さらに「お前あれだろ、大学の入学式で着たリクルートスーツ持ってるだろ、それ来て行けばいい」と言い出した。

なんでやねん、式場のスタッフか。
見たことあるんか、22歳の女の子がリクルートスーツで
友達の結婚式参列してるの。
髪は黒髪のひとつ結びか、就活やぞそれ。

いろいろ言いたい気持ちを抑えて
「もういい」と言って部屋に戻ろうとすると
父は「待て、話は終わってないぞ」などと言いながら
『女性のスーツでの参列はマナー違反?』みたいな
記事を丁寧にカラー印刷して部屋まで追いかけてきた。

いやそこじゃない。

父は、昔からわたしと意見が違うと
文献や資料を出してきて説明しようとする。
友達との大事な約束だから、というわたしの理由は
父には理解ができないらしくいつもそういうとき
1足す1は2なのに、わたしが突然3と言い出した
みたいな顔をする。

そういう父がうっとうしくて
中高生の時は、口を利かなかった。
でもたまに父の部屋に忍び込んで本を読んでいた。
父の本棚には、本がたくさんあった。
難しい医学書のほかに、手塚治虫の漫画があって
わたしはそれを読むのが好きだった。

ある日、いつものように父の本棚を漁っていると
『反抗期の子どもへの接し方』という本があるのを見つけた。
父は本を読むとき、蛍光ペンで大量に印をつけたり
付箋を貼ったりする。

その本にも『子どもの話を否定しないで最後まで聞く』
みたいな文章に黄色い蛍光ペンで線が引いてあって
付箋が貼られていた。

わたしの反抗期を勉強するな。
その蛍光ペンひっぱってる部分、実践できてないぞ。

ぴかぴかした黄色い蛍光色になんだか無性に腹が立って
わたしは、付箋をはがしてその本を本棚の奥に押し込んだ。

両親は、ふたりのどちらにも似ていないわたしのことを
よく「宇宙人」と呼び、心配性の母が父に、
「あの子、あんなんでやっていけるかしら」と言って
父が「まあ世界は広いからな」とか返していた。
わたしは両親が部屋でひそひそ話すのを、
よく壁にひっついて盗み聞きしていた。


大学生になって、ひとり暮らしをはじめたわたしは
実家には寄り付かなくなった。
あの家には、いい思い出がなかった。
両親とは似ていない、それがわたしの救いで
わたしらしくいられる理由だと思っていた。

大学生の時、告白されて付き合った男の子は
誰にでも優しかった。女の子に駅まで送ってと頼まれれば
彼女のわたしを待たせて駅まで送ってあげたり
LINEを自分から終わらせられなくて、振った女の子から
来るLINEにもいつもすぐ返事をしてあげていた。

わたしは次第に、自分と彼の境界線を見失った。
やめてと泣いたり、彼が飲み会に行くと不安で何も手につかなくなった。変わってしまった私に「幸せにできない」と言って
彼は別れ話を切り出した。

泣きながら夜、家を飛び出して
ふらふら歩きながらなぜか母のことを思い出した。
その日の私は、いつかの嫌いだった母にそっくりだった。

わたしは、友達や他人とは関係をうまく築けるのに
大事な人との境界線をうまく引けない。
いつも破壊されて壊れてしまった残骸を見つめて、ぞっとする。暗闇に引きずり込まれるような気がする。

社会人になってから知った。
仕事でミスをした後輩と話すとき、
理由や根拠をすぐ求めてしまうわたしは父にそっくりだ。
ちょっとめんどくさそうに「すみませんでした。」と
話を終わらせようとする後輩を「まだ話の途中だから」と追いかけるわたしの手には解決案をまとめた資料が握られていて苦笑する。

最悪だ。ただの同級生ならよかったのに。
気が合わない同級生なんて関わらなければいい。
家族はそうもいかない。
顔を合わせなくなって、それでも忘れたころに
自分の中に同じ血が流れていることを知る。

ハリネズミみたいにわたしの家族は
温めあおうとして体を寄せ合うと傷だらけになってしまう。
自分も傷だらけになって、どうすればいいのか方法を知らない。

両親とはほとんど会っていない。
父はたまに「生きてる?」と何年かに1度ショートメッセージを
送ってきてわたしは「生きてるよ」とだけ返す。

「了解」のふた文字を見つめてもう6年が経とうとしている。








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