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風評と怒りの伝道者 山本太郎研究

── 第3回 ──
コラム編

加藤文宏

 原稿を書き終えようとしていたとき、岸田総理大臣が和歌山市の漁港で爆発物を投げつけられる事件が発生した。この事件を重ね合わせながら当記事を読んでいただければ幸いだ。これはテロへの衝動と賛美にも通じる問題である。

宮下公園再開発をめぐるツイートから

 今回は、山本太郎と高学歴で上位階級への帰属意識が強い左派層(いわゆるバラモン左翼)が、衆愚政治・扇動政治・反知性主義に傾倒し、反原発を正しさとして、被災地域の実情を無視したり、意に反する被災者や被災者を救済する人々を排除して攻撃すらした点を考えることにする。

 まず直近の話題を素材として、「山本的なもの」を追体験してみようと思う。

 2023年4月11日に、東京都渋谷区にあるMIYASHITA PARKについて、

宮下公園とかどうなったと思う? これが現在の「宮下公園」だよ。「公園」?ビルじゃん! これどこがやったと思う? 「三井不動産」だよ! 「公園」って「ビル」なの?

 と写真つきで複合型公園を批判する調子の発言がツイートされた。

発言と発言への反応。アーカイブより。表示されている時刻はアーカイブ取得サーバー国の時間帯に準拠

 MIYASHITA PARKは、1966年につくられた1階部分を公営駐車場とする二代めの宮下公園の老朽化だけでなく、1990年代以降ホームレス、不良青年(チーマー)、売春婦と薬物の売人など反社会勢力の溜まり場になっていたこともあり、再整備を経て後に再開発された施設だ。

 かつて渋谷はハチ公が飼い主を迎えに駅に通った郊外の住宅地であり、こうした様相は平地に初代宮下公園がつくられた1950年代にはまだ色濃く残っていた。しかし1970年代に渋谷駅周辺が東京屈指の繁華街に変わり、住民にとっての公園という位置付けは実態にそぐわないものになっていった。

 私はチーマーの被害を受けた渋谷センター街の商店主を取材して、原宿側へ向かってJRの盛土をはさんだ先にある宮下公園の困難な状況を、証言だけでなく現地で確認している。公園にはブルーシートづくりのホームレスの家とゴミがあふれ、客待ちの立ちんぼと怪しげな男が現れるありさまで、人々が憩う公共空間というには荒んだ場所であった。駐車場の屋上に公園がある目の届きにくさだけでなく、生活者の利用が減って荒廃に拍車をかけていたと考えられる。後述する2000年代半ばの改修事業で、有料のスポーツ公園化する方針が示されたのは現実に対応しようとする判断であったのだ。

 公園は2000年代半ばから改修事業がはじまり、2011年にリニューアル開園されている。だが、この間に改修工事を行う区と整備費用を支払う代わりに命名権を獲得したナイキがホームレス排除、営利主義と批判され、活動家やキリスト教関係者による反対運動や炊き出しが行われている。反対運動には実力行使もともない、着工を遅らせるためホームレスが移動したあとに反対派が住み着いたり、敷地内に粗大ゴミが持ち込まれアート作品であると主張された。

 リニューアル後、東日本大震災を経て嵩上げ構造の公園に耐震強度が足りないことがわかり、バリアフリー化も困難であるため、公園を解体して再開発されることになった。宮下公園を安全な場所だったとする証言は、この2011年のリニューアル開園から再開発着工までの数年間の記憶に基づくものであろう。ただし、この間も区の支援を拒否するホームレスが公園の周囲に多数居座ってブルーシートの家をつくり、反対派が書いたアジテーションや落書きが増え続け、界隈への反社会勢力の出入りは相変わらずであった。

 以上のように活動家の抵抗が激しかったため、公園の再整備と後のMIYASHITA PARKへの再開発は弱者切り捨ての象徴にされたが、渋谷区はホームレスを追い出したのではなくハウジングファースト事業によって借り上げ賃貸に入居させるなどの支援措置を講じていたのである。いっぽうホームレスに住まいを与える支援を行う活動家やキリスト教関係者を、私は確認できなかった。また売春婦や反社会勢力に対応しようという団体はなく、対応できるはずもなかっただろう。

 再整備と再開発に反対した者ばかりでなく、賛成して完成を喜んだ人たちも多い。なぜなら荒んで公園として機能しなかった空間が、安全に立ち寄れる場所になったからであるし、割れ窓理論のごとく周辺一帯に荒廃が進むのではないかと危惧されていたからだ。宮下公園にまつわるできごとに直接関係していたのはホームレスだけでなく、こうした切実さを抱えた人々や管理しなければならない区もまた当事者だったのである。

 しかし冒頭で紹介したツイートへの反応は、荒廃して手の施しようがなかった状況や、公園の位置付けが実態にそぐわなくなっていたことを知ってか知らずか、多くの者が区や運営企業やテナントを批判や揶揄しているのだ。

 整理しよう。

 背景となるものの経緯や事実が語られないまま、不信感または怒りが表明された。対立構造が示唆され、敵は三井不動産であり、公園の管理者である区とされた。そして、これまで特に問題意識を抱いていなかった者が、区や企業は悪であり利益を得ていると話題を引き継いで憤りをあらわにした。この流れは、原発事故について風評を流して国と東電や福島県への怒りを煽った山本太郎の手法と、彼に追随した反原発勢の態度とまったく同じである。


対立構造を求めたのは誰か

 山本太郎は大袈裟で真実とかけ離れた虚像を生み出して原発事故を語ったが、これらは単なるデマではなく人々に対立構造を意識させるもので、対立への扇動こそが目的であった。

 しかし山本は2011年7月11日の佐賀県庁侵入まで、必ずしも反原発運動の中心的存在ではなく、彼らしい自己主張の強さを感じさせる言動はなかった。佐賀県庁侵入から、同年9月の刑事告発、12月の不起訴を経て山本の存在感が反原発運動のなかで強まり、言動にも独自性が鮮明になっていくのだった。

 当研究では年、月、日、時間単位で人々の興味の在り方を知るためGoogleが提供している検索動向データを使用しているが、山本への興味は佐賀県庁侵入から1年間がピークで、その後は目立つパフォーマンスで関心を引きながら忘れ去られるのを避けているかのようだ。しかも注目を引くための方法論は、前述のように対立構造をことさら強調するもので、市民と行政の間に対立構造があるかのように見せかけた佐賀県庁侵入で会得したものと言ってよいだろう。

 この対立構造を好んだのが、山本の支持基盤となった東京都の城西エリアと一部の多摩エリアの人々で、学歴が高く上位階級に属している意識が強い左派・リベラル自認者たちだったことを、第1回から第2回で解明した。

 では、対立への扇動が行われた公園再開発批判に、興味をいだいたり参加したのはどのような人々だったのだろうか。

 検索クエリ「宮下公園」は、発端の発言があった2023年4月11日午後10時台から増加、以前より高水準の検索数が連続して4月13日も続いている。「宮下公園 ホームレス」は発言直後は顕著な反応を示していないが、13日に至って増加しているのは、話題が公園とホームレスの関係に発展したためであると思われる。

 4月11日から13日の午後2時までに「宮下公園」を検索した地方は、東京都を筆頭に神奈川県、千葉県、埼玉県が上位を占め、大阪府、愛知県が続いている。東京都の内訳を見ると、山本太郎にとっての高得票率地域かつ、学歴が高く上位階級に属している意識が強い左派・リベラル自認者たちが多い都市が有力にみえる。「宮下公園 ホームレス」では検索数があまりに少ないため参考値にすぎないが傾向が似ている

 今回もまた、原発事故をめぐる対立構造に熱狂した彼らや、彼らの後輩たちが騒いだようだ。反原発、公園再開発批判と、それを求めていたかのように易々と扇動に乗り、感情を優先して、対立構造を求めたのが、高学歴層であったのは驚きだ。彼らは、幅広く情報を収集し冷静に判断する術を学んできた人たちのはずである。


正しい人でなければならない左派

 山本太郎の政治と酷似しているのは、公園の再開発が批判された流れだけではない。オーディエンスの反応を見極めながら対立構造を生み出して、扇動を行い、論理より感情を優先する衆愚政治路線をとったのがN国党(政治家女子48党)の創設者立花孝志である。山本の政治スタイルは左派・リベラル好みの体裁が整えられているが、これを立花が整えなかった点がちがうだけだ。

 山本にとっての原発は、立花にとってのNHKだった。動画配信でNHKを批判していた立花は、彼を批判するマツコ・デラックスを待ち伏せする騒動を起こした。これは山本の県庁侵入とあらゆる点で似ている。選挙に臨むとき、候補者の主張より候補者の属性や特徴を優先する戦術を取るのも似ている。

 たとえば、山本は候補者に難病ALSの患者を立て、立花はガーシー(東谷義和)を立てた。このように立花とN国を比較すると、山本が用意した「言い訳」によって学歴が高く上位階級に属している意識が強い左派・リベラル自認者たちの支持が集まったのがわかる。筆者はALS患者の候補者について語ろうとするとき、この人を批判するつもりがなくても、ためらいを感じずにいられない。これこそが山本が周到に用意した「正しさ」の壁であり、N国党だけでなく東谷をいくらでも批判できるのとは異なっている。

 左派・リベラルは自らを何ひとつ罪のない正しさを身につけた無辜むこな存在だとしている。だから、正義は我にありなのだ。N国を支持した人々もまた自分たちの正しさを信じているが、無辜であることへの執着はない。どちらの側も衝動の実現を望んでいるが、立花支持者は欲求を言語化したり具体化する手立てを求め、山本支持者は本音を解放するための言い訳を求めていた。

 太鼓を打ち鳴らして佐賀県庁へ侵入する行為にはじまり、山本の「ベクレてる」やスタッフが発言した「人を殺したくて自衛隊員になっている人もいるのか」ほか、焼香パフォーマンス、タレントのぜんじろうを使った「麻生、安倍、森の飛行機が墜落。助かったのは日本国民」といった言動は、常識はずれであり悪口であり不謹慎であり、これらは高学歴で上位階級に属している意識が強いお行儀よく躾けられた人々には思いつけなかったり、公然と実現できないことばかりだった。賛同するにも言い訳が必要だった。その言い訳を山本は用意したうえで、彼らの代わりに悪口や不謹慎をパフォーマンスにした。

 このように整理すると、過激な反差別運動が山本の政治と酷似していることに気付く。彼らは反原発運動と参加人員が重複し、しばき隊を名乗ったが、「しばく」とは暴力で痛めつけることであった。彼らは、レイシストだけでなく慎重論者に対して暴力的に振る舞い、殴る蹴る、個人情報を暴露する、私生活を破壊するといった横暴を容認するには「言い訳」が必要だった人たちに、絶対的正義の確信と、衝動を解放する快感を与えた。

 山本太郎の政治との違いがあるとすれば、しばきを重視する反差別運動はN国支持者のような「言い訳は必要ないが欲求を言語化し具体化されるのを期待する層」を、しばきの実行部隊として取り込んだ点だろう。お行儀よく躾けられて大人になった人々は、この実行部隊の威を借りて、アウトローのコスプレで釘バットをかまえ悦に入ったのである。

 高学歴で上位階級に属している意識が強い人々が、求めていたかのように扇動に乗り、感情を優先して、対立構造を求めたのは、学歴が低くかったり下位階級に属している人々と何ら変わらず、衝動の解放に興奮したからだ。

 ここでもう一度、宮下公園への批判を思い出してもらいたい。ホームレスだけでなく庶民さえ寄り付けない金持ちのための鼻持ちならない場所になったとして、「行政と企業は悪」とする左派・リベラルの正義意識に訴えかける問題提起が行われている。だが彼らの多くはMIYASHITA PARKに入って、屋上にある公園のベンチに座ることも、スターバックスでコーヒーを注文することもできる人々であった。そして、公園と周辺地域の荒みかたに心を痛めていた“ふつうの人”や、管理しなければならない区の視点に立つつもりのない、他人事の人々であった。

 正しさに興奮して悦に入るのが目的で、公園批判は手段にすぎないため、自分事として考える必要がなかった。原発事故のあと、福島県への悪しき風評を拡散させたのも、これらを固定しようとしているのも、自分事ではないからできるのである。


次回は

 山本太郎の政治と、宮下公園批判は地続きだった。両者の間にはしばき隊の過激な反差別運動があり、安倍晋三の顔写真をドラムに貼って叩いた共産党の活動もそうであろうし、毛色はちがってもN国党の政治も同類であった。さらに振り返れば、60年安保闘争と70年安保闘争があった。

 安倍元総理暗殺事件や冒頭で触れた岸田氏へのテロ行為を支持したり、民主主義のためになったと嘯く人々をみても、トマ・ピケティがバラモン左翼と名付けた層を扇動をするのは実に簡単だとわかる。

 70年安保闘争に参加して、新宿騒乱事件で駅が破壊されたとき胸がすっとしたという老人は、「首相の佐藤栄作が憎かった。アメリカが憎かった。しかしアメリカと取り引きする会社に就職して、アメリカ旅行にも行ったのだから、闘争と言っていても何もわかっていなかったようだ」と恥ずかしそうに言った。この程度の認識で社会は傷付けられ、影響は尾を引いた。山本太郎が佐賀県庁侵入で会得したのは、この程度の認識を利用する手法だったのだ。

 次回は、この手法の限界、山本太郎の限界を考察したいと思う。


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