「身の丈にあった受験を」という言葉に見える、認識すべき東京と地方の教育格差について
私は幸運にも、比較的恵まれた家庭に生まれることができた。
「恵まれた家庭」というのは、年収◯億円の大金持ちというわけでも、古くから代々続く立派な家柄であるというわけでもない。それは、父親1人が家族4人全員を不足なく養うことができ、母親が専業主婦として子育てに専念でき、子供たちが良い友達と、学習に専念できる満足な環境を整えてもらえる家庭のことだ。
しかし、果たしてこのような家庭が日本にどれだけあるのだろうか。
況してや、子供を落ち着いた地域で、上位数%レベルの良い家の子供たちと学ぶ環境を整え、子供の「実力」に見合った高等教育を受けさせられる家庭はいくつあるのだろうか。
当たり前だった「教育機会の強者」としての10年
小学校1年生から高校2年生までの10年を私は東京・世田谷区で過ごした。
父母は非常に教育熱心で、私と4歳下の弟のために当時「公立なのに私立くらい質が良い」と言われていた(らしい)小学校の学区に家を構えた。教育への理解がある家庭というのは、往々にして裕福だったり、両親が教育に携わる人だったりする。そのため、周りの友だちも心ゆくままふんだんに、習い事や教育の機会を与えられていた。
そして「中学・高校時代の教育に親が力を入れなくてどうする」が口癖だった父は、私を「学費が高い都内中高一貫校ランキング」上位5番以内に入る学校に入れてくれた。「偏差値の高い大学を目指しながら勉強しろ。だけど大学は好きなところに行けば良い、国立でも私立でも文系でも理系でも、お前の好きなようにすれば良い。」そう言っていた。
当時の私は何もわかっていなかった。自分が恵まれているということに。
そんなに勉強しなくても私立のお高い中高一貫校に通わせてもらえる、勉強に関わることならいくらでもお金を出してもらえる、欲しい参考書があれば駅前のブックオフですぐに見つかる、自分の進路を自分で(文字通り)自由に決められる。
これが私にとって当たり前の「教育の姿」で、私のごく狭い交友の輪の中にいた友人たちの多くにとってもこれは当たり前の「教育の姿」であった。
岡山で見えた「地方と東京の教育差」
何事もいつまでもは続かない。私もまた無常流転の中に生きる者であった。
私は高校2年生の夏、色んなごたごたを家庭に抱えて10年住んだ東京を離れ、母の地元である岡山県へと移住した。父は大阪に行った。日常は消え、私の当たり前は当たり前でなくなった。それから半年後、私は岡山で受験生を迎えた。
東京の私立高校から岡山の公立高校へ転校した私は、岡山での1年半の間に様々なことを経験し・学び・考えてきたが、その中でも大きなメモリを取ったのは「東京と地方の教育差」である。
ここでの「差」とは、教育に対する理解の差・環境の差・意識の差・機会の差などあらゆる差を指す。
私が1年半通った岡山の高校にはよく勉強のできる子が多く、全国津々浦々に飛び出し、旧帝大・国立医学部に行った友人もいる。しかし、明らかに優秀であるにも関わらず、県内に残ることを余儀なくされていた友人も少なくなかったはずなのだ。
私が断言できないのは、彼ら全てが本人たちの意思で留まっているのか、他の要因がそうさせているのかわからないからだ。
ただ、東京にいた頃の高校の友人たちよりも遥かに勉強を頑張っている優秀な学生が、東京の高校の友人たちが有名大学にのんびり入学する傍らで、受験の機会も与えられることなく、近場の大学に通わざるを得なかった現実に、18歳の私は違和感と怒りと恥と無力感を覚えたのだ。
先ほど述べたように、全国に飛び出した友人が多い高校だから、これでも岡山の高校にいた友人たちは比較的教育の機会を与えられていた方なのかもしれない。そう考えると、もっと保守的な地方は一体どうなってしまうのだろうか。
これを考えて私は頭が痛くなってしまった。そして、何も知らずに苦労なく18になってしまった自分を恥じた。
県内、もしくは近場の大学でささっと受験を済ませてしまうということは、そのような地方の学生にとって当たり前の「教育の姿」であり、何の違和感もないのかもしれない。見えない選択肢は彼らにとって、この世に存在しないに等しいものなのだから。
受験はこの世に残された最後の「平等な戦い」
「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。」(『学問のすゝめ」)
昔から「学問は身を立てる」と言うように、学問は格差のなくならない自らを引っ張り上げてくれるものだった。
世の中は常に不平等だ。
不平等な条件で、真っ向から戦わないといけない場面などいくらでもある。だが、受験というものは、不平等なこの世界に残された数少ない「(比較的)平等な戦い」だと思うのだ。なぜなら本人の努力次第というところも大きいからだ。
当然、「金のある者」「運良く機会を与えられた者」「環境が整っていた者」が最高等の教育を受ける権利を得やすく、教育に対する理解・意識・環境が整っていない場所に生まれたものが不利になる。そして、この教育格差を埋めようとしていたのが近代の教育者たちであり、近代の教育学である。
それなのに国家、または教育者全員の代表者が進んで教育格差を広げるような動きをしているのは一体どういうことなのだろうか。
華々しいキャリアを持ち、今を時めく人々は、往々にして恵まれた家庭環境を当たり前として享受してきている。彼らは一般の現実を知らないのだろうか。あるいは見ないようにしているのだろうか。自分たちの与るところではない、と知らんぷりを続けるつもりなのだろうか。
終わりに
岡山生活1年半の間「自分の常識」と「岡山の常識」の静かな衝突に苦しみ、自分を自分たらしめていたものを崩されていくことから逃れようと、現実逃避することもあった。晴れて大学生になった後も、しばらくは現実と理想の乖離、そして一種の自己解離にも悩まされ続けた。いまだにこの1年半に関して話せないことは多い。
しかし、先日の文科大臣の発言を聞いた時、自分の中で言葉にせずに放っておいた過去がむくむくと形になって湧いてきた。東京の教育も地方の教育も、そしてそれを当たり前だと享受する人たちも私は見てきたではないか。それに違和感を覚えた18歳の私がいたではないか。声を上げずにはいられなかった。
私は全てを見たわけでもなく、全ての地方学生の意見を聞いたわけでもない。しかし、東京をはじめとする都会で「教育機会の強者」を当たり前に享受し、それを当たり前と思っていた私が見た現実の一端を、それを知らない他の「教育機会の強者」に、新たな視点として提供できるのではないだろうかと思ったのだ。
私は、一介のどうしようもなく世間知らずな女子大生にすぎない。私の行先を阻むものは世間一般と比べれば無いに等しかった。そしていまだに恵まれた環境をのんびりと享受している。しかし、時々、どれだけの人が何かによって、どれだけの選択肢を与えられもしなかったのだろうかと思うと、私は自分が恥ずかしく感じるのだ。
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