いっしょに棺に入れてほしいもの?
時々、「自分が死んだとき、棺に一緒に入れてほしいもの」について考える。
一般的に「死んだらいっしょに棺に入れてほしいもの」とは、愛用品や、死後の世界でもそばに置きたいほど、思い入れのある品であることが多い。
だとすると、それは、どれくらいの期間分の「思い入れ」が込められていればいいのだろう?
たとえば、もしも、私が小学生のころに亡くなっていたら、当時の私の思い入れのある品は、チョコレートの缶に入ったおもちゃのアクセサリーだった。
中学生のころなら、大好きだったアイドルのポスターが一緒に納棺されていたと思う。
今だったら何だろう。
続きが気になるマンガとか?
でも、未完のそれらを棺に入れてもらっても、結局、ラストがわからなくてますます悶々とするだろう。
つまり何が言いたいかというと、その程度の期間の思い入れしかないものを、入れてもらっても仕方ないよなあ、と思ってしまうのだ。
生涯かけて、自分の片割れくらいに思っていたものでなければ、一緒に持っていくことは許されない気がしてしまう。
それに、モノはどうせいつか消えてなくなるのだから、一緒に消えなくてもいい。
また、こうも思う。
仮に私が、先祖伝来の国宝級の古書とか、ものすごいでかいダイヤとかを大事にしていて「死んだら棺に入れて」と言ったら、周りは困るだろうなあ、と。
そんなお宝を一緒に焼いたりしたら、遺族は絶対に周りから責められるだろう。
「オークションに出品したら、いくらになるかしら?」
と後ろ髪引かれながら、棺に入れる場面を想像するのも切ない。
亡くなった私のことを悼んで悲しむべきところで、燃えて無くなるモノの価値を計算している人がいると思うのは、こちらとしてもちょっと引っかかる。
それなら、やはり何も入れないほうがいい。
中学を卒業する時、小学校からずっと大好きで、一度もケンカしたことがない大親友に
「大好き!死んだらいっしょの墓に入ろう!」
と、サイン帳に書いてもらった。
それくらい思ってもらえて、うれしかったし感激もしたが、さすがに大好きだからといって、生きている人間を棺に入れてくれ、と言っちゃったら相当ヤバい人だ。
となると、やはり棺に入れてほしいリクエストは、ますます思いつかない。
娘も息子も、大好きな友達も、末永く幸せでいてほしい。
もっと即物的な話をするなら、死んだ後のことなんてわからないんだから、何を入れてもらっても、私には感知できない。
何を入れようが、入れまいがどうでもいいのだ。
結局のところ、静かで何もない「無」であるはずの死後の世界にまで、現世の執着を持ち込みたくないのだと思う。
「私が死んでも何も入れなくていいです」
と、宣言だけしておこう。
**連続投稿727日目**