私の死期をさとる方法
人間なんて、そんなに変わらない、と思っている。
実際、自分の中身は、中学生くらいで成長を止めている気がする。
ところが、行動はどんどん変化する。
例えば、私は子どものころ、「NHKの朝ドラなど見るやつは、おばさんだ」と思っていた。
高校時代、かの名作「おしん」が放送されており、クラスの女子にまでその熱が感染していたのだが、誰に勧められてもかたくなに見なかった。
おばさんが見るものだったから。
(そもそも朝ドラの放送時間は、たいてい電車かバスに乗って通学途中だったし、うちには録画機器もなかったし。みんなどうやって見ていたのだ?)
しかし、今は毎日見ている。
たいてい11時ごろ起き出して昼の再放送を見ているため、正確には朝ドラとは呼べないのだが、視聴が毎日のルーチンに組み込まれている。
立派なおばさんなんだから、朝ドラを見たって別におかしくはない。
おかしくないはずなのに、心の中の子どもの私が「マジか?おばはん、やめなよ」と揶揄してくる。
自分がおばさんになったことを、認めていないのだろう。
そっちの方が、マジか?である。
ほかにも、大河ドラマを熱心に追いかけるのも、かなりマニアなおばさんだと思っていた気がする。
歴史ドラマなんて、予備知識のない子どもにはわかりようのないものばかりだったので、父が大河ドラマを見始めると、なんだかものすごい疎外感を感じていた。
子どもの私にとっては、NHKという放送局が、全体的におじさんとおばさんの娯楽のためにあるような局だったのだ。
なのになのに。
今の私ったら、テレビをつけるときは、オードリーを見ているか、NHKを見ているかのどちらかだ。
「1日1若林の摂取を心がけているので、私が若ちゃんを見ている時は邪魔しないで」
と家人にも宣言している。
ただのおばさんではない、かなりイタイおばさんになり果ててしまった。
行動が変化したというより、興味の対象がどんどん狭くなっているのを感じる。
それこそが、おばさんたる所以。
外界への興味関心が薄れ、同じものばかり繰り返して摂取していては、老けるばかり。
これではいかんと、買った新刊は読まれずに積まれている。
誰か、止めて。
私の老化を止めて。
と、本棚を見ると、マンガだけは新作も怒涛の充実っぷり。
この棚の更新が止まり、「HUNTER×HUNTER」だけを繰り返し読むようになったら、おそらく死期が近いのだろう。
**連続投稿803日目**