あの時の「すげえ」
クラス全員の前で、一人ずつ歌わされる「歌のテスト」というのは、まだ存在しているのだろうか?
私の中学時代までは、それがあった。
「歌のテスト」の日は、当然だが、ごく一部の「歌が上手い」と認められている人たち以外は、全員が緊張し、朝から空気がピリピリしていたし、何ならトイレもいつもより混んでいた。
何しろ、クラス40名の前で、一段高い音楽室の壇上にあがらされ、わざわざみんなの方を向いて歌うのだ。
「ほんと、やだよね」
「なんで、みんなの前でやるの? せめて別の部屋で先生とマンツーマンならまだマシなのに」
「こんなの拷問じゃん」
みんな言っていた。
マラソン大会と同じくらい、大嫌いなイベントだった。
私は、自分の歌が上手いと思ったことはない。
ただ、正確であらねば、という意識は幼い頃からあった。
保育園の頃から自意識が過剰過ぎて、周り中の幼児が音程を大幅に外しながら、歌うというより、がなるとか、怒鳴るとか、まるでジャイアンリサイタルのように喚き散らすカオスの中、一人、音程が外れることを気にして、裏声で歌ったりする子どもだった。
気づいた先生に「あらやだ、この子、裏声で歌ってる」と笑われたのは、今もけっこうな呪いだ。
どう呪われたのかは、うまく説明できない。
外れることを気にしている、と気づかれたのが恥ずかしかったのかもしれないし、子どもらしくなさを指摘されたらのが嫌だったのかもしれないし、もっと違う感情だったのかもしれない。
モヤモヤした気持ちが、言語化できないまま残っている。
だから「呪い」なのだけれど。
そんな繊細な子どもに、クラス全員の前で歌を歌わせるなんて、今ならすぐさま「ナントカハラスメント」と名前がつけられて、廃止されるのだろうが、時代は「弱い方が悪い、気にする方が悪い」だったので、誰も中止にしてくれなかった。
当時私は、ブラスバンド部にいて、トランペットを吹いていたので、肺活量だけは今の3倍くらいあった。
腹式呼吸もバッチリで、つまり、声量という点では、文句のつけようがなかったはずだ。
しかも、正確な音程には誰よりこだわるタイプ。
その日のテストは、民謡が課題で「宮城県の斎太郎節」を、無伴奏で歌うことになっていた。
みんな、歌謡曲なら教室で、ノリノリで歌ったりしている。
けれど、民謡なのである。
あの独特の節回しやら、慣れない妙なリズムやらに、全員が苦戦している。
いつもの元気はどこへらや、蚊の鳴くような声で歌う子もいた。
自分の番が回ってくるまで、吐きそうなくらい緊張していた私は、壇上に上がった途端、緊張を通り越して意識が飛んだ。
そして、飛んだまま、大音量で朗々と「斎太郎節」を歌いきった……らしい。
気がつくと、音楽室がシーンと静まり返っていた。
誰も何も言わない中、一人だけ口をあんぐりさせて
「すげえ……」
と言った男の子がいた。
当時、大好きだった子だ。
自分が、何をしでかしたのかよくわからない出来事に対する「すげえ」は、何がどう「すげえ」のかわからない分怖い。
「すげえバカでかい声」「すげえ気持ち悪い」「すげえ変」などなど。
咄嗟に、否定された、と思った。
今思えば、褒め言葉だったのだろうが、「シーン」のあとの「すげえ……」は、なんだか私を狙って投げられたナイフのようで、瞬時に「嫌われた!」と思ってしまったのだった。
それからの私は、意図的に彼を避けるようになった。
それまでけっこう仲良く話せていたのに、「すげえ……」に抉られた私の恋心は、しゅるしゅると萎んで、二度と膨らませる勇気が出なかったのである。
当時の私に今の図太さがあればなぁ、と思う。
「すげえ、って褒めてる?」
と聞けていたなら、もしかしたら、今頃、民謡歌手として大成していたかもしれないじゃないか。
いや、そんなとこまで行かなくても、とりあえず、あの恋をこちらから強制終了させることはなかったはずだ。
ほんと厄介な性格だよな、と思う。
でも、そういう自分だったからこそ、言えないことを書く方に向かったんだろうな。
人生には善も悪もないって、話でした。
**連続投稿382日目**