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私は「まあいいか」と思い、夫は「抗う方法」を考えた

今年の夏、敦賀に私の娘と息子が遊びに来た時、娘が私に言った。
「めっちゃ声が小さくなってるけど、なんかあった?」

言われてみると、たしかに、夫に訊き返されることが増えたと思う。
けれど、私は、自分の声が小さくなったとは全く思っておらず、夫の聴力が衰えたせいだと思いこんでいた。
「この人も年を取ったなあ。補聴器を買ってあげなくちゃいけないかなあ」
などと、のんきに思っていたのである。
第三者である娘が現れたことで、私は誰が聞いても「声が小さくなった=肺活量が減った」とジャッジされたのである。
娘は、肺活量が激減するような病気を疑ったものらしかった。
自分では、全くわからないけれど、そこまで小声になっていたのか。
夏の間、あんなに海で潜っていたのに。

使わない機能は、退化する。
生物の「あたりまえ」だ。
たしかに、敦賀に移り住んでからの3年間、最初はコロナ禍もあり、ほぼ人と会話をしない生活を送っていた。
1日に言葉を交わすのは、夫のみ、しかも15分程度、という日が大半を占めていた。
神奈川での「週に2回、ちびっこ相手に外を歩き回り、会話を楽しんでいた習慣」が失われ、私の「話す機会」がなくなると、「話す機能」もどんどん衰えていったようだった。
考えてみると、舌痛症も、会話のために舌を動かさなくなったことと関係があるのかもしれない。

しかし、私はこの変化を「まあ、いいか」と受け入れた。
もともと、友達と何でもない会話を楽しみたいとか、誰かと強くつながりたいという欲求が少ない。
話す機会は、あればあったで嬉しいけれど、無くてもいっこうに困らない。
しかも今、会話の相手はネットの向こうにいることが多く、私が小声で話しても、性能のいいマイクが拾って届けてくれる。
なら、もう一生小声でも別に構わないか、と思ってしまったのだ。

対して、夫。
退職後、会話の相手が私だけの3か月が経過し、話さないことへの違和感を感じ始めた。
会社では、毎日会議だのなんだのと、必ず誰かと話す機会があったのに、こんなにしゃべらないでいたら、せっかく培った「話す能力」が失われる。
これはまずい、何かしら「話す場所」に所属しなくては。
そこで、見つけてきたのが「読書会」である。
松山では、自由参加の読書会が、いくつも開催されている。
似たような傾向の本を読む人たちと、知的な会話を楽しみたい。
場合によっては、論客デビューの足掛かりになるかも……。
夫はそう考えたようだった。

なるほど、機能を失わないための「対策」と「趣味」とを兼ね備えた良いアイデアだ。
「退職後の夫が、趣味も持たず、ぬれ落ち葉のようにどこにでも一緒にくっついてきたがる」という、一世代上の人たちの話をたくさん見聞きしてきたので、そんなものかと思っていたのだが、こうなると私がぬれ落ち葉になってしまいそうな気配が濃厚だ。
(絶対ならないけど)

ここからわかるのは、夫は「抗いたい人」で、私は「流されたい人」だということだ。
自分の体も頭も、コントロールできるものは、最期まで自分の意思でコントロールしたい夫。
なすがままに流されて、なんとなくいい感じに終わりを迎えられたらいいな、と思っている私。
言語化してみると、私の甘さがよくわかる。
「何もしないで、いい感じに終わる」なんてことは、まず不可能だ。
そもそも、「いい感じ」というあやふやすぎるものをゴールにしようにも、自分でそれがどこだかわかっていないのだから、進みようがない。
まずは、その「いい感じ」が、どんな最期を指すのか、具体的に想像するところから始めたほうがいいのだろう。

でもなあ。
せっかくきれいにまとめたところを、あえて自分でひっくり返すのだが、仮に、明日死んだとしても、私は、そんなに後悔しないと思うのだ。
何かを目指して生きるというのが、昔から本当にピンと来ない。
進路も何もかも、だいたい全部、流されて決まってきた。
決めてきたのではない、決まってきた。
手に入れるために、ものすごい努力を要したものというのが、ひとつも思い浮かばない。
「諦めている、投げ出している、自分の人生を手放している」というわけでもない。
コントロールなんてしようがないでしょう、という意識が昔からある。
私が何かを決めたところで、人間よりもっと大きなものが、個人の意思と無関係に、削ったり奪ったり、逆に与えられたりすることは多い。
だから、抗っても仕方ないじゃないか、流れに任せてどこまで行けるのか見てみたい、と思ってしまうのだ。

決して無気力なわけじゃないし、その時やりたいことは全力で楽しんでいるのに、夫から見ると、私はせっかく与えられた命を無駄にしているように見えるらしい。
この違いは、どうやっても埋まらないんだろうなあ。

**連続投稿695日目**


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はんだあゆみ
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