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敦賀だより16 ひとり遊びの夏

もし誰かに
「この夏はどんな夏でしたか?」
と聞かれたら
「ひとり遊びの夏でした」
と答えるだろう。

昨年までは、ちびっ子たちと川や海で遊んでいた。
とっても賑やかで楽しい夏だった。
だが、それは彼らの成長を見守る夏であり、出来ることが増えていくのを眺めていただけで、私はずっと同じ夏を生きている感じだった。

つまり、わたしだけ成長が無い。

今年は、引っ越して愛すべきちびっ子たちとお別れしてしまったこともあり、ひたすら自分のためだけに夏を使った。

何をしていたかというと、自分が書いた文章と向き合って不出来さと格闘していたり、海に素潜りに行き生き物の写真を撮りまくったり、ミシンを踏んでさをり布を使った可愛い作品を作るのに夢中になっていたのである。

どれも全部楽しくて、自分ができることが増えていく経験だった。
やればやるだけ、レベルが上がる。
スタート直後のRPGみたいだった。
成長を実感できると、子どもに還ったような気分になる。

以前のnoteで、5メートル潜れるようになることが目標だと書いた。

昨日、それを達成した。

結果だけ書くと、カッコよさげな私を想像してしまうかもしれないが、事実はかなり違う。

9月の海だ。誰もいない。
何かあっても、誰にも助けてもらえないという緊張感。
くらい海の底に沈んだら、二度と浮かび上がれないのではないかという、海そのものへの恐怖。
老化現象で、しょっちゅう足がつるようになった自分への不信感。
それらが相まって、潜っても楽しむどころではなかった。耳抜きが苦手なのも災いして、潜るたびに眉間や耳が痛くなるのも私を怯ませる。必死に潜水して、海底にタッチすると一目散に水面を目指し、ぜーぜーしながら思い切り空気をむさぼり吸うという、少しもカッコよくないダイブだった。
それが昨日のこと。

今日になったら、なぜか余裕が生まれていた。できたってことは、できるってことだから、できなくなるはずがない、と信じ込むのに成功したからなのかもしれないし、違うのかもしれない。理由はよくわからないけれど、何も考えなくてもただ「潜ろう」と思えば体がそのように動いてくれるようになったのだった。

余裕が生まれて目標が一段上がった。海底近くを泳ぐイカやフグの群れを、それと分かるように撮影したいと思ったのだ。

潜れるようになる前、水面付近からカメラがとらえていた彼らはこうだった。

画像1

念のため注目ポイントを図示するとこうなる。

画像2

これを見てなんだかわかる人はいるのだろうか?
イカなのだが。
肉眼でははっきり見えていたのだけれど、昔懐かしい「写ルンです」に毛が生えたような中古の水中カメラでは、5メートル離れるともう認識不能なのであった。

同じようにフグも載せておく。

画像3

ここに写っている魚っぽいものは、すべてクサフグだ。肉眼ではあの特徴的なドット模様まではっきり見えていたのだが…。

カメラの性能的に、5m離れただけでそれとわかるように撮ることがむつかしい以上、私が近づくしかない。潜って近くで撮るしかない。

結果はこうなった。

画像4

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イカのピントが甘いのは許してほしい。何しろ、写ルンですなんだから、ピント合わせなんてものは、偶然合えばラッキーだと思って感謝しなくてはならない。そしてイカは、おっそろしく賢くて、ちょっと近づくだけでも、すぐ逃げてしまうのだ。とりあえず、おいしそうなイカに見えるだけでも相当なものだ。そして、クサフグは奇跡的にちゃんとドット模様まで写っている。

すごい。中古カメラを手に入れてから今日まで約一か月。最初は全く潜れなくて(脂肪が邪魔して潜水不能)、体に付けるおもりとベルトを買って、潜る練習をして、やっとここまで来た。

できないことをクリアするため、一人で調べて、一人で工夫して、一人で練習して、の今日なのだ。夏を自分だけのために使ってよかった。

この喜びは私だけのものである。
とても贅沢な夏の使い方だ。
一人遊びの夏は、もう少し続く予定。

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