「酒のつまみになる話」の小さなストレスから、自分が見えた話
お笑い番組が好きでよく見る。
一番見ているのは、オードリー(若林)の番組で、「激レアさんがやってきた」「しくじり先生俺みたいになるな」「あちこちオードリー」は、見られるときには必ず見ている。
松本人志の「すべらない話」に始まる「○○な話」シリーズも好きなのだが、最近、「酒のつまみになる話」を見ていて、ちょっとしたストレスを感じる自分がいることに気づいた。
酒の席を再現している(というか、実際に飲みながら話している)のだから、当然と言えば当然なのだが、話がオチまで行く前に、誰かに引き取られてしまうことが多いのだ。
その場のノリで「これ、おもしろくないな」と思ったら、サクッと次の話題に移っていく。
なので、結論を聞く前に、話がコロコロと移り変わっていく。
実際に飲みながらの収録なので、話を深堀りしたり、まじめに議論して結論をまとめたりするよりも、ゲストの「その人らしさ」が視聴者に伝わり、それでひと笑い起きればよい、というコンセプトなのだろう。
話の中身より、ゲストのキャラクターにフォーカスして、それをデフォルメすることで笑わせようとしているのかもしれない。
しかし、これが、私には時々ストレスだ。
「え? その話、もう強制終了なの? 続きが気になるのに」
「結論まで言わせてあげたら、めっちゃ面白いかもしれないのに」
と、よく思う。
そりゃ、「すべらない話」とは違って、話術に関しては素人同然のゲストの方が来て話すのだから、最後までトークを任せても、面白くないことだってあるかもしれない。
視聴率に責任を持たなくてはならないMCや、サブMCの人たちが、広げたら面白くなりそうなネタをなんとか拾って、頑張って面白くしているから、見られるものになっているのかもしれない。
それでも私は、ゲストのトークが最後まで聞きたいと思ってしまう。
どんな場面でも、人の話は、最後までちゃんと聞きたい。
プロの売れっ子芸人さんたちと比べたら、そうでない人たちの話は面白くなくても当然だ。
それでも、その人が「ここで終わり」と、ピリオドを打つまでは聞きたいと思う。
そう考えてみると、最初に挙げた、3つの番組は、話者の話がきちんと最後まで聞けるものばかりだ。
なるほど私は、起承転結があるもの、少なくとも「結」があるものに、惹かれるのだろう。
小さなストレスでも、そのストレスの理由を探ってみると、自分のことが少し見えてくることがある。
そう思うと、ストレスも悪くない。
**連続投稿559日目**