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「センセイの鞄」と犬

川上弘美さんの「センセイの鞄」という作品が大好きだ。

恋愛小説といえば、最初にこれが浮かぶ。

ざっくりあらすじを載せる。

駅前の居酒屋で高校の恩師・松本春綱先生と、十数年ぶりに再会したツキコさん。以来、憎まれ口をたたき合いながらセンセイと肴をつつき、酒をたしなみ、キノコ狩や花見、あるいは列車と船を乗り継ぎ、島へと出かけた。その島でセンセイに案内されたのは、小さな墓地だった――。
40歳目前の女性と、30と少し年の離れたセンセイ。せつない心をたがいにかかえつつ流れてゆく、センセイと私の、ゆったりとした日々。

Amazon作品紹介より

ツキコさんは、高校時代、特にセンセイが好きだったわけではない。
そりゃそうだ。
ティーンネイジャーにとって30も年上のおじさんは、恋愛の対象にはなり得ないし、どちらかというと、煙たい存在であろう。
かっこいいとか、運動ができるとか、クラスの爆笑をかっさらうとか、そういう男子たちがおモテになる年頃だ。

それが、中年になって再会したセンセイは、昔の煙たさを感じさせながらも、実に魅力的な教養溢れる大人として目の前に現れた。
師弟のような、友達のような曖昧な関係は続き、ある日、ツキコさんはセンセイに想いを告げるのである。

私はこの話を読むたびに、「確実に自分より早く老い、早く逝く人」と添い遂げる覚悟を決めさせてしまう恋というものに畏怖の念を抱いてしまう。

訪れる孤独に対する恐怖を、軽々と乗り越えさせてしまう恋。
今のことしか考えられなくなる。
わたしだけを好きになってほしいし、特別な存在になりたい、と思う。

だから、歳をとると恋愛が難しくなるのだろう。
飛び込むのが億劫になるし、なにより、いつか一人遺されたり、遺したりすることが、実感としてわかるようになるから。
勢いだけで突き進めない。
怖くて向こうへ側へ跳べない。

これは何かに似ている、と思った。
そうだ、犬を飼うことだ。

私は子どもの頃、雑種の犬を飼っていた。
室内で犬を飼うなどという文化もなかった頃、獣医もいない我が町のワンコたちは、みんな、フィラリアで死んでいった。
ひと月の間泣き続ける私を見て、両親はその後、犬を飼うことを許さなかった。
その時決めたのである。
大人になったら、犬を飼おう、と。
先に死んだって、悲しくたって、立ち直れなくたってかまわない。
犬と生きたい。

あれは、犬に対する恋だったと思う。
今もうっすら、犬を飼うことに対する憧れはある。
でも、もう飼えないな、と思う。
犬への恋は終わってしまった。

**連続投稿537日目**

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はんだあゆみ
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