捨てられない人
引っ越し屋さんに、引っ越し代金を払い込み、本日、我が家に60枚の段ボールが届いた。
まだまだ先のことだ、と遊びまわっていたが、いよいよ引っ越しが迫ってきた感がある。
めんどくさい。
夫と、「持っていくもの / 捨てるもの」の仕分けをする。
と言っても、夫は、捨てられない人なので、主に私がザクザクと捨てるものを決めていく。
食器類は、まず、ひびや欠けのあるものを捨てる箱に入れる。
それでもまだ、2人暮らしなのに、こんなに器があってどうするのかと思うほどある。
そこで、模様が剥げかけているラーメンどんぶりや、ウイスキーのおまけでついてきたグラス等を、捨てる箱に入れたのだが、それがいつの間にか食器棚に戻されていた。
夫は言う。
「だって、まだ使えるし」
そりゃそうだろう。
ひび割れがあっても、欠けていても、真っ二つになるまでは、どれもこれも使える。
汁さえ漏れなければ、器としては機能する。
ただ、これを使いたいと思うかどうか、なのだ。
私は、鳳凰が剥げて、ただの鶏みたいになってしまった絵柄のラーメンどんぶりを使いたいとは思わない。
夫は、しぶしぶ箱に戻した。
続いて衣類。
たぶん、ここが一番苦戦するだろうと思ったら、案の定そうだった。
首回りが、でろんでろんに伸びきったTシャツやトレーナーも
「だって、まだ使えるし」
なのである。
ちなみに、これらをいつ着るつもりなのか聞いてみたら、部屋着だという。
するってえと、このタンスの中の9割は、部屋着ってことになる。
夫は、一日のうち、寝ている時間以外は外で動き回っていたいほど、じっとしているのが嫌いなくせに、なんでそんなに部屋着が必要なのか。
あなたに必要なのは、「外出着」だ。
決して「部屋着」ではない。
(ちょっと話がそれる。さっきから、「へやぎ」と入力すると「屁ヤギ」と変換されてくるのだが、「部屋着」という日本語は、そんなに一般的でないのか? 「屁ヤギ」の方が、はるかに使いどころがないと思うのだが、みんな「よそゆき」「外出着」「普段着」「部屋着」って区別しないのか? どうなんた、IMEよ?)
「引っ越しの大掃除のとき、ウエスが大量にいるかもしれないから、カットして使おう」
と提案すると納得したので、でろでろシャツたちは、半分をウエスとして、人生ならぬ衣類生を全うすることになった。
あと半分は、目をつぶって見ないことにする。
本は、お互いに、口出しされたくない領域なので、ここは干渉しない。
ラストが靴だ。
ちなみに、私はいらない靴は、さっさと処分してしまっているので、あとは持っていく靴だけになっている。
げた箱を開けると、夫の年季の入った運動靴が何足かと、あとクロックスが出てきた。
めずらしい。
締め付けられるのが嫌いな夫は、夏は雪駄か、サンダルで過ごしているのに、クロックスなんて持っていたのか。
それにしては履いているところを見たことがない。
「これは、ちょっときついんだよな」と夫。
「ちょっとってどれくらい?」
「つま先を、曲げて縮めてやっと入るくらい」
「ちょっとじゃないじゃん。すごくじゃん」
「でも、まだ、使えるし」
「てことは、あなたは、いつか、足が縮んでちょうどよくなるのを待ってるんだ? 死ぬまでに、そんな日が来るといいよねえ」
「……いいよ、捨てるよ」
こんな攻防戦を半日ほど繰り広げ、なんだか攻めてるはずの私のほうが疲れてしまった。
「もったいない」と思う心が、日本人の美徳だと言われて育つせいだと思うのだけれど、ゴミ屋敷って、案外、この「まだ使える」から来ているんじゃないのか?
そして、私と夫は、時に盛大にケンカをするし、離婚届を書いたことだって、数回あるのに、まだ一緒にいるのは、もしかして、夫が
「だって、まだ使えるし」
と、私のことを評価しているからではないのか?
だとしたら、私はどうなったら、使えないことになるのだろう?
めちゃくちゃ興味がわいてきた。
**連続投稿603日目**