見出し画像

キムチとあのこ

冬になってキムチを漬けるシーズンになると思い出す年下の友達がいる。
細かい手仕事が大好きで得意だった彼女は、編み物、刺繍、染め物、裁縫、料理と何でもできる人だった。
とくに料理に関しては、極力自然食材を使って添加物を避け、本物に近い味を再現することにこだわっていて、毎冬本格キムチを漬けるワークショップを開催してくれていた。
私が「ヤンニョム」なんて単語を知るずっと前から、彼女は家でキムチを自作しており、その本格レシピを惜しげもなく公開してくれていたのだ。

生前、私は彼女のことを「ものすごく凝り性な人」なのだと思っていた。
料理でも手芸でも、始めたらなんでも極めたい人なんだろうなと思っていた。

実際はそんな単純なことではなかった。

乳がんを患っていた彼女は、二人の子供と旦那様のために、健康と収入を考えて、様々なワークショップを開いていたのだ。
無農薬、無添加にこだわるのは、若いころに散々不健康な生活をしていた自分を省みて、家族が食べるものへの責任の重さを感じてのことだった。
数々のワークショップは、治療にかかるお金を少しでも自分のできることで捻出したいという気持ちからだった。

タイダイ染めワークショップのような目で見ればわかるものは、まだやりやすかったと思う。
けれど、料理のワークショップは抗がん剤の副作用で味覚異常を起こしていた彼女には、相当大変だったのではないかと思う。
味見をしてもわからない。
味音痴な自覚がある私でも、時々「ん?」と思うことがあった。
あの時、彼女の舌はただ話すためだけの器官に成り下がっていた。
そんな状態で料理のワークショップをするには、事前に完璧なレシピを用意するしかない。
どうやって?
きっとご家族に協力を仰いでいたのだろう。
大変だったんだろうに、おいしくないなぁと思っちゃってごめん。

いつもニコニコして、元気そうにしていたので(というか、元気な時しか会いに来なかったので)私は彼女の病状の変化にまるで気づけなかった。
ある夏、二回りほど痩せて小さくなった彼女に会った時も
「どんなダイエットをしたら、そこまでお痩せになられるんですか?うらやましい!」
としか思わなかった。
本人も、
「ひどい喘息になっちゃって、夏の間、食べても食べても吐いてたんだよ」
としか言わなかったので、
「今は元気になってよかったねえ」
としか思わなかった。

だって、ずっと笑っていたし。
ずっと元気そうにしていたし。
弱音を微塵も漏らさなかったし。
まさか、再発していたなんて知らなかった。

私が福井に引っ越した後、神奈川に戻ったタイミングで、一度会いに来てくれた。
あの時だって、きっと手のしびれや味覚の異常が残っていたと思うのに、とんでもなくおいしい手作り豚まんを、ホカホカの状態で持ってきてくれて、ふたりで公園のベンチに座って食べた。
イチョウが色づいていたので、秋だったと思う。

あれは、きっと彼女が終活を始めていたタイミングだったのだろう。
なかなか会えない私に、会えるうちにあっておこうと無理をさせてしまったのではなかったか?
私は、お気楽に
「また帰ってきたら、いつでも会えるもんね」
と思っていたというのに。
あの時、隣で豚まんを食べていた彼女は何を考えていたのだろう。
なぜ、自分の余命を知りながら、あんなにも他人にやさしく親切であり続けることができたのだろう。

キムチを見るたび、思い出す。
死に方って、生き方だ。

いいなと思ったら応援しよう!

はんだあゆみ
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。

この記事が参加している募集