電脳娼婦/森奈津子

読了日2019/10/24
心を生かす性にはいつも、さみしさがつきまとう。

心を亡くすのが「忙」ならば、
心を生かすのは「性」である。

うまいことを言うもんだ(むかしツイッターで見かけた)。

心を生かすための作品集。
それが「電脳娼婦」である。

表題作は、罪を犯した「私」が働く電脳世界での娼婦部屋に、ある少年がやってくる。
彼は言う。
「お姉さんが殺した男は僕の兄だったんだ」
罪を償う罰として「私」は彼から犯され続けるが、やがて精神は彼を求めるようになる。
だが電脳世界から生身の肉体を持つ世界では、彼とは会えない。
彼からは現実世界での再会を望まれるが、「私」は必死に拒む。
そこには理由があった……。

電脳世界での娼婦という種だけでも期待が大きいのに、
真実を明かされると「ああッ!」と感動してしまう。
させられてしまう。
なんなんだろう(イヤらしい意味でも叫びでもない)。
その真実が待つ未来を私は「私」同様悲しいものと思い込んでいたが、
作者は悲恋を美しく飾るなどということはしなかった。

悲恋を美しいと褒めるくらいなら、
無様な恋愛成就の方がよっぽど良いじゃないか。

開き直りとも取れるけれど、
ハッピーエンド至上主義のこの私(森奈津子ではなく雑食奈津子)には最高過ぎる。

最高が過ぎる。

美しい悲恋なんかいらない。
そんな形容詞をつけるから悲恋に夢を見る愚民が増えるのだ←

ちょっと言葉が荒くなったが許してほしい。

というのも過日、新聞の読書本紹介コーナーである戦争小説が載っていた。
それ時代は別に構わない。
だが紹介文が気の短い私の癪に障った。

「戦争によって引き裂かれた美しい悲恋である」

私は美しい悲恋物語も否定はしない。
だが戦争による別離を「美しい」と褒めそやされたことに腹がたった。
文章が「美しい」とか、別れを選んだ男女が「美しい」とかなら、多分まだ許せた。

だがその文面は、どう角度を変えて読んでも、学のない私には、
戦争によって引き裂かれた恋が「美しい」としか取れなかった。

ムキーッ!←

失礼。
生まれが申年なもので←

どうにも戦争が「美しい」と賛美されているようで、とてつもない嫌悪感を抱いたわけである。

そんなもの美しい訳があるか。

命を賭した別れが美しいと讃えられるようになったら、
また戦争をおっぱじめるようなバカが増える一方じゃないか。

まあたしかに?
私はサイコパスとか?
連続殺人鬼とか?
そういう悪趣味系の小説とか?
海外のFBI捜査官の実話とか?
めっちゃ読むけど?

かといって、
愚かな戦いなんかで奪われる命との別離を美しいなんて、
言いたくないんだよ。

最悪言っても許されるのは、
当人たちだけなんだよ。

その点、この作品集の中の人物たちの騒ぎといったら……。

性を……ではなくて、
生を楽しみまくっている。

もちろんかわいそうな境遇の主人公もいる。
「シェヘラザードの首」の主人公、トマは顕著だ。
孤児で、仕事はゴミ漁り(作者はゴミ狩人という凝った名前をつけている。いいセンスだ)。
だがトマも、苦しい生活の果てに報われる未来がある。

「たったひとつの冴えたやり方」も、まあ、笑いをこらえつつも、アヤメのある意味苦しい生活も必ず報われる。

美しいのだが、
ある意味「美しい」ことよりも、
本作は必ず報われる未来がある。

たとえそこが精液と膣分泌液とその他(笑)でどろっどろの世界であろうと、
少なくとも、本人たちにとっては幸せな未来があるのだ。

なんて文章を打ちつつ、
「少女狩り」については言及せずに私は逃げ出す。

さもないと、この作品たちにナニをされるかわかったものじゃないので。

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篝 麦秋
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