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エゴイストを観て
こんにちは。モロヘイヤです。
数日前、映画「エゴイスト」を観た。某ストリーミングサービスで。
映画館での上映当時も気になっていたけれど、どうしても映画館で観たいほどのものにも感じず、見送っていた。ストリーミングサービスに登場したら観ようとは思っていた。
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中学生の頃、同級生の一部でBL漫画などが流行っていても、一切興味が湧かず、「私には一生関係のないもの」だと思っていた。
それでも食わず嫌いはいけないと思い、「おっさんずラブ」「Call me by your name」「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」(チェリまほ)などBL作品を人並みに幾つか観てきた。「Call me by your name」は画が終始美しかったし、「チェリまほ」は人間の心の動きが言語化されているところが面白かった。「おっさんずラブ」はあまり印象に残っていない(汗)
いつしか私にとって、ゲイやレズビアン、いわゆるLGBTQとして表現される人々に焦点を当てた作品は、「私には一生関係ないもの」ではなく、「私が生きる世界の延長線上に存在するもの」になっていた。(書き振りが多少冷たく思われるかもしれないが、悪意は一切ないことを承知いただきたい)
私の身の回りの人にそういう方がいるというのが一つ大きいかもしれない。私にとって彼らが「特別」ではないからだ。
だから「エゴイスト」も何も構えることなく、平日の夜にふらっとパソコンを開け、ポチッとボタンを押した。
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(以下、ネタバレ注意)
観終わって「ふぅー。。」とため息をついた。
重かった。映画の中で描き出されていた喜怒哀楽の重量がすごくて、なんだか少し苦しかった。
一番に印象に残ったのは、やはり龍太の死だろう。原作を読んでいなかったために、ストーリー展開を一切知らずに観たのだが、まさか死ぬとは思っていなかったから、とても驚いた。そしてショックだった。
映画の中では、龍太がなぜ死んだのかがはっきり描かれていない。だから、途中から、「え?なんで?なぜ死ななければいけないの…」と考えながら映画を観ていた。
観終わったとて、私には龍太が死を選んだ理由が分からなかった。
自分の体を売る時期こそあったものの、最終的には浩輔と愛し合う関係を築いて幸せに生きているように見えた。お母さんの分まで働くのは体力的にも精神的にもきついだろうが、浩輔の支えだってあった。何が龍太を死に追いやったのか、書き始めたらちょっとは答えが見えてくるのかななんて思ったけど、やっぱりさっぱり分からない。
とはいえ、龍太の死をきっかけに、浩輔と龍太の母の妙子が一緒に過ごすようになり、その二人のシーンを観ていくうちに、映画のタイトルになっている「エゴイスト」という言葉が頭をチラつき始めた。
「私のわがままです」と言ってお金を妙子に差し出す浩輔。病床で「帰らないで」と浩輔にお願いする妙子。
自分のわがまま(=エゴ)を主張し合うシーンが丁寧に描かれていた。この映画の好きなところを挙げるとすれば一つはそれだろう。
相手のことを心の底から大切に思うからこそのわがままってものがあって、それを受け取り合うっていうのが愛し合うってことなのかもしれない。なんてことを考えていた。
龍太に金銭的に援助していたのも浩輔なりのわがままであり愛だった。龍太は浩輔のことを愛していたからこそ、浩輔のエゴを受け取っていただろう。
だとすると、龍太のエゴはなんだったか。それが死だったのだろうか。
龍太の唯一のわがままが死だとすればーーー。
浩輔が龍太の死を受け入れられたかはわからないけれど、龍太の分まで妙子を大切に支え続けた。その支える姿が、浩輔が龍太の死というエゴに応えようとしている姿に見えた。
龍太が死んだ理由はわからないけれど、龍太が死んだからこそこの物語が成り立ったのかもしれない。
言わずもがな、鈴木亮平さん、宮沢氷魚さん、阿川佐和子さんの演技がとても素晴らしかった。映画中何度も、ドキュメンタリーを観ているような錯覚に陥るほどだった。
なんだか今日もどこかで浩輔が生きている気がする。それだけ登場人物を愛しく思えた映画だった。
最後はいつものごとく言葉で締めよう。
この映画を観てぱっと頭に浮かんだ、ミスチルの好きな歌詞。
「恋なんて言わばエゴとエゴのシーソーゲーム」
2023/08/12 モロヘイヤ