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ラテンアメリカ旅行記②メキシコ 7/25~7/29

7/25グアナファトで風邪をひく

目を覚ますと、喉に違和感があるのがわかった。やってしまったか。昨晩Twitterを見ていたらそのまま寝落ちしてしまったようだ。上半身は裸。毛布は当然かかっていなかった。
若干寒気もする。ベッドから出たくなかったが、今日中にサンミゲル・デ・アジェンデに移動しなくてはならなかった。

グアナファトからサンミゲル・デ・アジェンデ(以下サンミゲル)まではバスで1時間半かかった。サンミゲルのバスターミナルで明後日のメキシコシティ行きのバスチケットを購入し、そのまま市内へ歩いて向かった。猛暑の中歩き疲れた僕は宿に着くとそのまま寝てしまった。

次に目が覚めたのは午後6時。既に日も暮れかけていた。熱っぽかったし今日は街歩きを諦めることにする。近くのスーパーで買ってきたヨーグルトとウイスキー缶を飲んだ。アルコールは風邪に効くだろうと思ったのだが、普通に考えて効くはずがなかった。うん。

7/26 サンミゲル・デ・アジェンデ

朝10時、ゴソゴソという音で目が覚めた。隣のベッドの男が出発の支度をしているようだった。昨日から飽きるほど長い時間寝ていたたが、未だ体調は治っていなかった。とはいえせっかくサンミゲルにきているのだ。少しは散歩しておかないともったいない。倦怠感を背負いながら街に繰り出した。
サンミゲルは、かつて手工業によって繁栄した町だ。基盤面状に整備された街並みはカラフルに彩られていて確かに美しい。しかし、どこを歩いても同じような風景が続いているようにも見える。

サンミゲルの街並み。カラフルに彩られている。
サンミゲルの街並み。坂が多くて歩くのは大変。
サンミゲルの街並み。インスタ映えしそうなスポットも多い。

カラフルな街並みならグアナファトで見ていたし、迷路のように道が入り組んでいた点、あちらの方が街歩きは楽しかった。サンミゲルは坂に作られた街で、散歩をするのは少々疲れる。結局数時間歩いた後宿に戻って昼寝をした。

次に起きたのは夕方だった。お腹が空いていたので再びヨーグルトとウイスキーの缶を購入し、これを夕食とした。

コンビニで売られているヨーグルト。
これ一本でお腹を満たせるので助かる。

公園で缶を開けようとしたところ、隣に座っていたおじさんが声をかけてきた。どうやらメキシコでは路上飲酒が法律で禁止されているらしい。
警察に見つかる前に教えてもらえて助かった。

明日は朝早く起きてメキシコシティ行きのバスに乗る必要があった。寝る前にもう一度散歩してもよかったが、酒で気持ち良くなっていた僕はそのまま寝ることにした。

7/27メキシコシティへ

朝5時、6時に設定していた目覚ましが鳴る前に目が覚めた。ホステルの共同部屋で目覚ましを鳴らすのはあまり良いこととは言えない。小さな音でも周りの人を起こすことになってしまう可能性があるからだ。それでも、万が一寝坊したら困るということで目覚ましをかけていたのだが、迷惑をかけたくないという気持ちが僕を自然に起こしたのだろう。

バスは7時半発だったが、余裕をもって1時間前にバスターミナルに到着したが、バスは結局1時間遅れで出発した。
メキシコシティで僕を待つ知り合いに謝罪のメールを送る。すぐに返信が返ってきた。バスの遅延はよくあることだから気にしなくて良いとのこと。
その知り合いとはトゥルコット家の人たちのことだ。2015年にスイスの氷河急行でたまたま席が隣だったことから仲良くなりそれ以降家族ぐるみの交流を続けている一家だ。2017年には彼らは僕たち家族の住む静岡県まで来てくれた。今回僕が彼らに会うのは5年ぶりと言うことになる。

サンミゲルからメキシコシティまでバスで4時間。今回は節約のために二等バスに乗った。このバスは半路線バスのような感じで停留所に何度か停車し、人の乗り降りがある。 
そんな中で物売りが乗り込んでくることが何度かあった。
「タコスはどうだ?16ペソだ」
物売りのおばさんに声をかけられる。16ペソを渡すとおばさんはそのまま後ろの席に物を売りに行ってしまった。タコスはあとで渡してくれるのだろうか。

ところが後方の座席から戻ってきたおばさんは満足げな顔をして商品を片付け始めてしまった。運転手と楽しそうに話している。
Oye!と声をかけ、彼女にタコスを渡すように言った。すると16ペソ払うよう言われたので、翻訳アプリの画面を見せて商品を受け取っていない旨伝えた。ところがおばさんはとぼけた顔をして16ペソ!と繰り返すのみ。
何度か言い回しを変えて主張し続けると、おばさんは諦めたような顔をして舌打ちをしつつタコスを投げ渡すとバスを降りて行った。彼女は本当に忘れていたのか、それともとぼけることで僕からお金を余計に取ろうとしていたのか。おそらく前者だろうが、嫌な気分にさせられたものだ。

タコス売りのババア

バスがメキシコシティに到着したのは12時半ごろだった。バスターミナルで待っていたのはトゥルコット家の3人、クラウディアとハビエルとダビッド。
クラウディアは弁護士で、トゥルコット家の中では一番英語を話せる。僕のメキシコシティでの滞在は彼女が全て計画を立ててくれていた。ハビエルはクラウディアの甥にあたる。最近建築家になったばかり。明るくて面白い性格をしている。ダビッドもまたクラウディアの甥っ子だ。一つ年上の彼とはスイスで遊んで以来会えていなかった。

今日から5日間ほど彼らの家に泊まらせてもらう。その間メキシコシティのいろんな場所に連れて行ってくれるのだそうだ。

まずはビールを買ってから車に乗り家に向かう。
おっと、、あまりにも自然な流れだったので気づかなかったのだが、ハビエルはこの時飲酒運転をしていたことになる。まぁ面白かったのでよしとしよう。

バレなきゃ犯罪じゃない。常に堂々たれ。

トゥルコット家はメキシコシティのアスカポツァルコ地区に住んでいた。同じ形の家が二棟並んでいて、片方にハビエルとその家族、もう片方にはクラウディアが住んでいた。僕はハビエル宅の一階にある空き部屋に案内された。来客用の部屋なのだろうか、ベッドが一台と専用のシャワー室とトイレがある。部屋の前には大きなテレビがあり、ニンテンドースイッチが備え付けられていた。ソフトが並ぶ棚を見て勝利を確信。大乱闘スマッシュブラザーズがあったのだ。もちろんダビッドたちと夜に遊ぶ約束をした。

僕らは短い休憩を挟んで、まずは地下鉄に乗り市の中心部に向かった。
「荷物を取られないようによくみておきな」
クラウディアが警告する。確かにメキシコシティ地下鉄はスリの多さで悪名高いが、この時は混んでいなかったし、そこまで警戒する必要はないと思った。

メキシコシティ地下鉄

市の中心部ではトゥリバスという市内を巡る観光バスに乗ることができる。トゥリバスは二階部分に屋根がなく、開放感を感じながら市内観光を楽しめるのを売りにしている。ヘッドホンを繋ぐことで日本語による解説を聞くことができるのだが、乗車中はダビッドが一生懸命市内各所の解説をしてくれたので必要がなかった。

メキシコシティは世界有数の大都市。見上げれば高層ビルが立ち並び、道路には沢山の車が走っている。数えきれないほどの人々が行き交う大通りからは賑やかな音楽が聴こえてくる。

トゥリバスからの景色
トゥリバスからの景色
トゥリバスからの景色
トゥリバスからの景色

途中で雨が降り出したため、車内に退散。
「最近メキシコシティの天気はおかしくなってきている。朝は晴れてるけど午後は必ず雨が降るんだ。」
ハビエルが肩をすくめてみせる。

大聖堂前の広場で下車した。ここには大統領府をはじめとする主要機関が集まっている。まず僕たちはメトロポリタン大聖堂に入った。

メトロポリタン大聖堂

アステカ帝国を征服したコルテスは、まずテノチティトランにあった中央神殿を破壊し、その石材を使ってこの大聖堂を作った。先住民の改宗をより進めていくためだとされている。

建物をよく見ると床の部分が大きく歪んでいる。クラウディア曰く、地盤沈下による歪みだと言うことだ。メキシコシティはかつて湖だった場所の上に建設されたため地盤が緩く、最近は地下水の抜きすぎで地盤沈下が深刻化しているのだ。しかもこの地域は地震が多いため、こうした地盤の歪みは年々深刻化しているのだそう。

昼食はビールが美味しいことで有名なサロン・コロナという店。メキシコ人はテキーラよりビールを好んで飲む。あの有名なコロナビールはメキシコ産である。僕も周りに合わせてビールを注文したが、やはり美味しさがわからないのは僕がまだ未熟な子供だからだろうか、、、気分が悪くなってしまった。

サロン・コロナ
あとで知ったのだが有名な店だったらしい。

大通りを歩いてベシャス・アルテス宮殿へ。今週ここで開催されるダンスショーに連れて行ってくれるそうだ。

べジャス・アルテス宮殿

皆で写真を撮っているとにわかに雨が降り出した。今度は大降りだ。急いで地下鉄に駆け込む。しかし地下鉄は恐ろしいほど混雑していて乗れそうになかったため、クラウディアは迎えを読んだ。

しばらくしてやってきたのはマリル。トゥルコット家で一番陽気なおばちゃんだ。マリルはほとんど英語を喋れないが、とにかく愉快な言動でいつも僕らを笑わせてくれる。そんな彼女が僕は大好きだった。
僕は助手席に座ってマリルと話しながら家に帰った。

今日の観光はこれで終わり。
夕食の後はダビッドとハビエルと夜遅くまでスマブラで遊んだ。メキシコ版のスマブラはキャラクターの呼び方が若干違っていて面白い。

メキシコ版スマブラ。キャラクターの呼び方がスペイン語仕様になっていた。

7/28 テオティワカン

この日は皆でテオティワカン遺跡を訪れることになっていた。クラウディア、マリル、ハビエルに加え、ハビエルの母ジェニーも一緒だ。

テオティワカンはメキシコシティから車で1時間半ほどの場所にある、アステカより前の時代の都市遺跡だ。テオティワカンの文明については未だ謎が多いが、この文明が後のメソアメリカ各地に興った文明に与えた文化的影響は大きいとされている。

車が遺跡の敷地に近づき巨大なピラミッドが見えた時、思わず声が出た。教科書でしか見たことのなかったテオティワカンのピラミッドは想像以上に大きく、迫力があった。
車が駐車場前で待機している時、マリルが外を指差して言った。 
「道端に生えてるあのサボテンの実、食べてみない?」
クラウディア曰く、甘くて美味しいらしい。公園の敷地内の植物を食べてもいいのか? 一瞬疑問に思ったが、マリルは外の果物売りに包丁を借りてあっという間にサボテンを取ってきてしまった。口にしてみると、確かにまぁまぁ甘い。
マリルは手に棘が刺さって痛そうにしていたが、そんな様子も愉快で楽しかった。

道路脇のサボテンの実を採ってくれたマリル

まず僕達はテオティワカン遺跡で一番大きなピラミッド、”太陽のピラミッド”を訪れた。テオティワカンのピラミッドはタルータブレロ様式という独特な建築様式によって建てられている。基壇があることが特徴的で、同じような様式の建造物は中米の他の地域にも見られる。

太陽のピラミッド

コロナ禍が始まる前はピラミッドに登れたらしいのだが、今は禁止されているようだ。頂上からテオティワカン全体を写真に収めたかったので残念だった。

僕が写真を撮るのに夢中になっている間、クラウディアたちは黒曜石アクセサリーの商人の話を熱心に聞いていた。トッルコット家の特に女性陣はお守りのアクセサリーが好きなようで、彼らの腕には各地で買ったと思われるブレスレットが幾重にも巻かれている。

怪しいアクセサリー商人の説明を受ける女性陣

クラウディアは僕と家族合わせて4人分のお守りを買ってくれていた。「エネルギーを感じるやつを直感で選んで。」言われた通り選ぶと黒曜石商人は両手で石を挟んで擦り合わせてみせた。「これでよし。」お守りに効果があるのかはわからないが、少なくとも買ってくれたクラウディアの想いは込められている。これからは必ず身につけていくことにした。

黒曜石のお守り。トゥルコット家の皆も同じものを買っていた。

遺跡にはよくあることなのだが、敷地内にはお土産を売る商人がたくさんいる。鳥やジャガーの鳴き声のする笛を実演してみせてくる。いらないけど面白いなと思いながら見ていたらハビエルがお土産にと言って買ってくれた。面白いお土産なので帰ったら披露したい。

テオティワカンのピラミッドの面白いところは、音響効果を考えて設計されていることだろう。ピラミッドに囲まれた広場では真ん中で喋る人の声が何故かよく響くようになっている。また、ピラミッドの階段の前に立ってパン、パンと強く手を叩くと音が反射してキャン、キャンという高い音が帰ってくる。ハビエル曰く、この音は幻の鳥ケツァールの鳴き声と同じなんだそうだ。この凄さ、説明するのは難しいので是非現地に行って試してみてほしい。

テオティワカン、次のピラミッド前の広場。

ピラミッドの見学の後は軽食にタコスを食べて、そのままダビッドの家に向かった。ダビッドはもうすぐ留学でベルギーに行ってしまうので最後に会いに行くというのだ。
ダビッドはメキシコシティにあるマンションで父母と3人で暮らしている。他にも姉がいたらしいが最近フランス人と結婚していなくなってしまったそう。

お家へお邪魔する前にまずは近くの海鮮レストランで昼ごはん。海鮮ご飯を頼んだら予想以上に大きなものが出てきたが、柔道部の意地(?)でなんとか完食した。これがまぁまぁ盛り上がったのでよかった。テキーラベースのカクテルであるマルガリータも初めて飲むことができた。

海鮮ご飯とマルガリータ

ダビッドたちの家は非常に広く、また非常に清潔にされていた。メスカルをご馳走になったあと、ダビッドの部屋を見に行った。
彼の部屋はいわゆるオタク部屋でドラゴンボールのフィギュアや「君の名は。」のDVDが飾られていた。彼曰く、ドラゴンボールも「君の名は。」もメキシコではかなり一般的で、彼が特別日本オタクというわけではないんだとか。「君の名は。」は特にヒットし、彼を含む多くのメキシコ人が涙した。

リビングには2匹の芝犬がいた。2匹とも仲がいいのか悪いのかずっと喧嘩をしていてうるさい。外国に来て日本の犬を見るのはなんだか変な感じだが、芝犬は今や海外でもポピュラーな犬種の一つだ。

ダビッドと柴犬

時間がやってきた。一人一人がダビッドを抱きしめ、別れを惜しんでいた。

7/29 コヨアカンへのドライブとルチャ・リブレ観戦

今日はハビエルが車で僕の行きたい場所に連れて行ってくれる。メキシコシティ南部のコヨアカン地区。ここは個人的に興味深い見どころの集まる場所だ。 

家から車で1時間。まずはメキシコ国立自治大学(UNAM)に行った。大学の様子そのものにも興味があったが、それ以上にシケイロスやオゴルマン、リベラと言った芸術家の壁画を見てみたかった。
メキシコでは革命後の1920年代、ナショナリズムの高まりと共に芸術家たちが公共建造物の壁に壁画を描く壁画運動が盛んになった。メキシコ国立自治大学のキャンパスにもそうした運動を経て生まれた作品が今も残る。有名なのは大学中央図書館の壁面を飾るフアン・オゴルマンのモザイク壁画。アステカの神々やメキシコの歴史が表現されている。壁画の意味を全て理解することはできなかったが、壁画が描かれた当時の社会の雰囲気をなんとなく感じられた。

メキシコ国立自治大学中央図書館
図書館を遠くから

ハビエルの提案で、図書館内を見学することに。十階建ての大きな建物で各階ごとに分野の異なる本が所蔵されている。多くの本はスペイン語で書かれており読めなかった。学生を見かけることはあまりなかったが、研究のためか、分厚い本を山積みにして運ぶ学生の姿はとりわけ印象的だった。

ハビエルと図書館内を見学
図書館ではあまり学生を見かけなかった

図書館を出るとにわかに雨が降り出した。キャンパス内には他にも壁画があったのだが、傘を持っていなかった僕らは壁画巡りを諦め車に戻った。


次に向かったのはレフ・トロツキーの家。トロツキーはロシア革命を主導した重要人物。レーニンの後継者となるはずだったが、スターリンとの権力闘争に敗れ、メキシコに亡命後刺客に殺された。
コヨアカンの高級住宅地の一角にある彼の邸宅は高く堅牢な壁に囲まれ、家も要塞化されていた。それぞれの部屋は分厚い鉄扉で仕切られていた。ここまで暗殺を警戒していたにもかかわらず、彼は秘書の恋人として近づいてきた男を不用心にも自室に入れてしまい、アイスピックで撲殺された。
そんな歴史的事件の現場となった家も今日は博物館として一般公開されている。博物館の展示は主に彼の生涯に焦点を当てていたように思われたが、ほぼ全てのパネルはスペイン語で書かれており理解不可能だった。これは残念だった。

トロツキーの家
トロツキーの家の外観
外観だけ見ればただの要塞だ

トロツキーの家の見学は案外早く終わってしまった。ハビエルはフリーダ・カーロ(viva la vidaと題されたスイカの絵で有名な画家である)の家に行こうとしていたが、僕は疲れていたし、夜にはルチャ・リブレを見に行くことになっていたので一度家に帰って休憩することにしてもらった。

家で昼寝をした後は、ルチャ・リブレを見るべくアレーナ・メヒコに向かった。
今回は甥っ子のサンチアゴくん(13歳)とクラウディアの親友のソフィアも一緒だ。サンチアゴくんは日本のアニメやゲームがとても好きなんだそう。お気に入りはソードアートオンライン。もはや僕よりもアニメに詳しい。彼は自身のYouTubeチャンネルを持っていて割と本格的に動画を投稿している。彼を見ていて感じたのは彼らの世代は僕らの世代よりも早くデジタル機器に触れて育ってきており、いずれは僕らよりも上手にそれを使いこなすようになるだろうということだ。恐ろしい…
そしてクラウディアの親友であるソフィアは彼女と同じくエネルギッシュでユーモラスな女性で、一緒にルチャ・リブレを観戦するにはもってこいな人物に思えた。

遅くなってしまったがここでルチャ・リブレについて解説しよう。簡単に言えばメキシコ版のプロレスである。派手なマスクや華麗な空中線が特徴だ。かつては貧困層の憂さ晴らしの場だったそうだが、最近は一般的な人気を獲得してきているようなのだ。


会場に着くとすでにチケット売り場の前に長い行列ができていた。僕らの分のチケットは購入済みとのことだったので並ばずに済んだ。
会場内は試合前にもかかわらずすでに盛り上がっており、アナウンスが流れるたびに野次が飛び出す。
「ここではどんな汚い言葉を吐いてもいい。日頃のストレスを発散しよう。」
クラウディアがウキウキしながら言う。

アレーナ・メヒコの様子
プロレスの聖地だ。

会場は観客で一杯になり、まもなく試合が始まった。派手な演出とともに選手達が入場してくる。

先に入ってくるのは悪役の選手達だ。選手紹介のアナウンスに合わせて悪役がポーズをとってみせる。全方向からブーイングとヤジの嵐。近くからはソフィアが”汚い言葉”で叫んでるのが聞こえた。
次に主役(正義を行使する役)の選手達の入場。ルチャ・リブレでは勧善懲悪のストーリーが基本で主役は最後に必ず悪役を懲らしめるのだ。そういった構成の試合が何度も行われていく。

日本人の選手もいた。初代タイガーマスクのようにメキシコで修行しているのだろうか。彼は悪役だったが素晴らしいパフォーマンスで会場を盛り上げていた。
まあ百聞は一見にしかずなので、写真や動画でルチャ・リブレの雰囲気を感じて欲しい。

ルチャ・リブレの様子。写真では雰囲気が伝わらないのが残念だ。
試合後の一枚。気がつくとクラウディアたちは知らない人たちと一緒に仲良くなっていた。
uno dos tres!
カウントダウンの瞬間は最も盛り上がる。

試合が終わった後も僕らの興奮はしばらく覚めなかった。特にクラウディアとソフィアは延々と応援コールを口ずさんでいた。 

サンチアゴを両親の元に送り届けた後、皆で帰宅した。時刻は既に0時をすぎていた。

③に続く…

ありがとう御座います