【思い出話】小学4年生、はじめての山登り(2000字)
鳥海山の思い出:ブロッケン現象
秋田県の鳥海山。その名を聞くだけで、私は懐かしい感覚とともに、笑いが込み上げてくる。小学四年生のとき、父と二人で挑んだあの山、とは言いにくい流れ流されての登山体験。あの日の出来事は、本当にあったことなのだろうかと、いまだにふと思い出す。
ジーパンと手ぶらで登山?
「鳥海山に登ろう」父が突然言い出した。普段は無口な父が珍しく意欲的だ。私は登る気などさらさらなかった。なにせその日は特に予定もなく、私はジーパン姿でのんびり過ごしていたのだ。しかし父は乗り気だ。その頃、父は秋田県庁の職員で、県北や県南地域によく転勤をしていた。県北の鹿角に勤めたら尾去沢鉱山、十和田湖。県南の由利本荘に勤めたら土田牧場やちょっと足を伸ばして飛島まで連れて行かれていた。その日も父の熱意に押され、しぶしぶ同行することに。もちろん、登山の準備など一切なく、まさに「手ぶら」状態での出発だった。
途中でくじけそうになる
山の麓に到着し、登り始めたものの、すぐに後悔の念が押し寄せてきた。足元は小石で滑るし、太陽は容赦なく照りつける。汗が額から滴り落ち、ジーパンが重たく感じる。私は何度も立ち止まり、父に向かって「もう帰りたい」と言ったが、父は黙って頷くばかり。その時はバスケ部に入ったばかりで、毎日毎日ゲーム三昧だった身体は完全に肥満体。すぐに息が切れた。ちょっと歩けば止まり、ちょっと歩けば止まり。休み休み進む。もっと休みたいと思っていても、石で焼かれる尻肉と、二人の間に漂う無言の圧力に耐えきれず、再び歩き出すしかなかった。
奇跡の出会い
そんなとき、後ろから声がかかった。「おい、少年!」振り返ると、一人の男性が笑顔で立っていた。登山装備に身を包んだその男性は、まるで山の精霊のように頼もしく見えた。
普段は引っ込み思案、人見知りの私も、父親に背中を押されヘトヘトの挨拶をした。
「こんにちは…」
「登山は初めてか?」彼の質問に、私は黙って頷いた。彼は笑って「そうか、じゃあ一緒に行こう」と言い、私に水と飴を手渡してくれた。父も一緒に頷き、私たちは三人で再び山を登り始めた。
頂上への道のり
男性の名前は、仮に佐藤さんとしておこう。佐藤さんは軽快な足取りで、私たちをリードしながら様々な話を聞かせてくれた。彼の話はまるで魔法のようで、私は次第に疲れを忘れ、登山を楽しむようになった。
途中、休憩を挟みながらも、佐藤さんは絶えず私を励まし続けた。「もう少しだ、頑張れ」その言葉に勇気づけられ、私はひたすら足を前に進めた。はじめは途中まで行ったら戻るつもりだった。だから手ぶらだったし、ジーパンスニーカーだ。何度もおかしいな、引き返そうと言おうかな、と頭の中で何度も反芻する。
ブロッケン現象の奇跡
1歩1歩、歩を進める。歩いては「帰りたい」歩いては「帰りたい」。その煩悩を振り払ってくれる佐藤さんの話。植物や動物の話をしてくれたと思うが何ひとつ覚えてはいない。
段々と限界が近づいてくる。
「お〜い!ここがゴールだ!」
佐藤さんの声が天から聞こえた。
ついに頂上に到達した瞬間、私は驚くべき光景を目にした。足元には雲海が広がり、自分の影がその雲に映し出されていたのだ。佐藤さんが「これがブロッケン現象だよ」と教えてくれた。
その光景は、まるで夢の中のようだった。自分の影が雲に映るなんて、不思議で神秘的な現象に、私はただ立ち尽くしていた。父もその光景に見入っていた。
風が強かった。一瞬で汗がひくような、気持ちよく真横に流れる風と太陽。そして雲の上に立っているという非日常。
家に届いた写真
登山を終え、家に戻った数日後、一枚の写真が郵送されてきた。それは、あの日の頂上で撮った写真だった。佐藤さんが撮影してくれたもので、私と父が笑顔で映っていた。あのブロッケン現象も、しっかりと写っていた。
その写真は、今でも私の宝物だ。写真自体はかなり色あせてきてしまったが、見るたびに、あの日の出来事が鮮やかによみがえり、胸が熱くなる。そして、あの日がきっかけで、私は山登りが好きになったのかもしれない。
おわりに
鳥海山の頂上で見たブロッケン現象、佐藤さんとの出会い、そして父とのしぶしぶ登山。すべてが一つの奇跡のような出来事だった。ジーパンと手ぶらで始まった登山が、私の人生に新たな光をもたらしてくれたことに、今でも感謝している。
それから30年が経ち、私も子どもを連れて山に登るような年齢になった。山でもし、誰かが声をかけてきたら、笑顔で応対するようにしている。ザックの陰に隠れてしまう娘たちにも、挨拶は必ずさせる。その習慣だけつけてもらえれば山登りはきっと生涯の趣味になるはず。そしてその先には、いつかきっと素晴らしい出会いと経験が待っているはずだから。
こんな思い出話を書いてみたのだけれど、実はそれ以来一度も鳥海山には登っていない。
今度は自分の家族で登ってみようかな。
✂︎-------おわり----------✂︎
【一緒に山へ行こうっ!(自己紹介コーナー)】初めましての方へ、お読みいただき誠にありがとうございます。織山英行(おりやまひでゆき)と申します。
1983年6月生まれ。宿屋と山ガイドをしています。
人生は80年。1年は約52週間。そう考えると今40歳の私はもう2000週間いきてきて、残り2000週間しかない。変に焦りたい訳ではないですが、より1日1日を感謝しながら、日々を積み重ねていきたい。そう思った時に「もっと色々な人と山を一緒に歩きたい」と思ったのが純粋な気持ちです。
私が元気に山を歩けるのはあと1000週間もないのでは?そうすると、1回1回の山歩きが新鮮になって、生まれ変わったような気分です。
私もまだまだ学ばせていただきながらですが、ワクワクする山での体験をこれこらも広げていきたいのです。
どんなこともまずは飛び込んでやってみなくちゃ!
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