労働化した退屈な日々を変えるために
何ていう自己啓発まがいのタイトルをつけてみたわけだが、私にとっては結構重大な問題である。
退屈というのは言い換えれば刺激がないということだと思う。
毎日行うことが習慣化されれば、それはルーティン化されてしまう。
ルーティン化されるということは、労働化されるということで、それが楽しい訳がないのである。
しかし考えてみると、それは自ずから進んでやっている嫌いもある。
例えば、散歩に行く場合の時間であったりコースであったりはいつも同じだ。
ということで、今日は帰り道を変えてみた。
もちろんそれで何か大きな変化がある訳ではないが、確かにいつもと違った景色が見られた。
これから日々自分が労働化していたものに、少し遊びを混ぜてみたいと思う。
松尾芭蕉は「不易流行」ということを言ったが、不易(不変)なことというのはむしろ流行することであって、それを押し留めようとすることは自然なことではないのかもしれない。