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小説『僕』(読了目安時間約6分)

 授業中の教室の窓は開け放たれていて、濃い夏の風が入って来る。時折いたずらのように強く吹いて、カーテンを弄んだ。窓際の生徒はカーテンをまとめた。カーテンがはためかなくなって、僕は残念に思った。  耳に、教壇に立つ先生の声が遠く聞こえる。僕は早く授業が終わって欲しい、と思っていた。別に授業がつまらない訳じゃない。ただ今の僕には、もっと大切なことがあって、それが窓際に見えているからである。  いつか友達が面白半分で僕に訊いて来た。 「お前、ドッペルゲンガーって知ってる?」  その

    • 労働化した退屈な日々を変えるために

      何ていう自己啓発まがいのタイトルをつけてみたわけだが、私にとっては結構重大な問題である。 退屈というのは言い換えれば刺激がないということだと思う。 毎日行うことが習慣化されれば、それはルーティン化されてしまう。 ルーティン化されるということは、労働化されるということで、それが楽しい訳がないのである。 しかし考えてみると、それは自ずから進んでやっている嫌いもある。 例えば、散歩に行く場合の時間であったりコースであったりはいつも同じだ。 ということで、今日は帰り道を変えてみた。

      • AIが進化した先の「それはそれ」の世界

         フォローしているnoterさんがチャットGPTの話をしていたので、自分もAIについて書いてみたい。ただあくまでここで語るのは、絵や小説などの芸術に関することであり、損得の世界の話は、頭の良い方たちにお任せしたい。  思うに、今AIに関する世間の関心事は三つに分類されるように思う。  一つ目はAIが製作した作品が評価された場合、それは誰の手柄になるのか。  二つ目はAIによって絵や漫画や小説などの作り手の仕事が奪われてしまうのではないか、ということ。  三つ目はAIが芸術の領

        • 日本の女は何故韓国の女性アイドルが好きなのか

           というのは、私は特別韓国の女が好きではないからである。熱狂的なファンということはないが、どちらかと言われれば私は日本のアイドルのほうが好きだし、日本の女のほうが好きである。  どうも韓国の女というのは人工的で好かない。体型にしろメイクにしろ踊りにしろ、何か自然というより、人工美を売りにしている感じがする。それは言うなれば、娼婦的である。  日本の女性アイドル(アイドルといっても色々いるのであろうから、ここでは比較的有名なアイドルを指す)はというと、処女的である。それは技術と

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        小説『僕』(読了目安時間約6分)

          自作小説の夜に関する部分の抜粋

           しかし夜である。夜――私は夜に惹かれる。昼間の世界は私には眩しすぎた。すべてが、存在するまま、露骨に、太陽のもとで私に働きかける。その一方的な刺激を私は痛々しい攻撃として受け取った。昼間に立ち働く人々も同じだった。人々は私を攻撃して、そのことには気づかずに、平気な顔をして生きていた。彼らの一言二言に私は傷ついて、心がまったく働かなくなるというのに、人々は寧ろそのお陰で活き活きとしているように見えた。その反対に、夜は人々が眠る時間だ。彼らが私を攻撃して来る心配がない。物も闇に

          自作小説の夜に関する部分の抜粋

          小説『私』(読了目安時間約3分)

           教室の窓は開け放たれていて、時々強い風が吹いて、カーテンを翻す。窓際の生徒は、それをうっとうしがりながらも、次に吹く風を待っているようだった。  教師の声が遠く聞こえる。私は窓際の様子を眺めながら、早く授業が終わることを祈っていた。  別に授業がつまらない訳じゃない。ただ今の私には、もっと大切なものが、その窓際に見えるからである。  友達が面白半分で喋った話に、ドッペルゲンガーというものがあった。自分と瓜二つの人間が現れ、それを見ると死んでしまう、というものである。  窓際

          小説『私』(読了目安時間約3分)

          楽しいと感じている時は、もはや楽しくない

           私は少し思い違いをしていたのかもしれない。  仏教の、釈迦の目指した地点が、目的を持たない境地だとして、その境地に立てば、楽になれる、楽しくなれる、と思っていた。  しかし、考えてみれば、楽しくなるために、目的を持たない、とはとんでもない矛盾であって、それは目的を持ってしまっているのである。  楽しい、とは?  楽しいとは、一時的に無心状態になった私が、再び個性に目覚め、さっきまでの無心状態を確認し、今私は楽しいと感じていたのだ、と確認することであろう。  ある人が、草取り

          楽しいと感じている時は、もはや楽しくない

          AI審判について

           野球では度々ストライクの判定について物議を醸すことがある。それは審判が人間故に仕方のないことではある。それが最近はAIの進歩により、ロボットに判定をしてもらおう、という動きが見える。アメリカでは既に試されていて、まだまだ問題もある、ということである。  ということは、問題がなくなったら、AIでもいい、ということなのであるが、果たしてそうだろうか、と私は思う。  私はもっと、人間がそれをする意味、を考えてみたいのである。  例えば、野球という、投手がボールを投げて、打者がバッ

          AI審判について

          プロフェッショナルとは

           前々回、三島のことを書くために、少しネットで調べものをした。小説のタイトルが読めなかったのである。その時に、こういう一文を目にした。   「これは三島がプロではなく、アマチュア時代に書いた作品である」 私はひっかかった。プロ? プロとはなんであろう。  おそらくこの筆者は、作家としてデビューしているか、いないか、くらいのつもりで書いたのであろう。つまりもっと言えば、それで金をもらっているかどうか、ということなのだと思われる。  しかしである。ならば、プロとしてデビューする

          プロフェッショナルとは

          他人に認められたい気持

           他人に認められようと行動することを、私は恥ずかしいことだと感じる。  だから、ネットや動画投稿サイトで、「認められたい、認められたい」と言っている人たちを見ると、何だかいたたまれない気持になる。  というのも、私は他人に認められるためにそれをするより、楽しいからする、したいからすることのほうが、純粋で、一等位が高いように思うからである。  自分が納得できる壺ができるまで割り続ける陶芸家のような人間こそ、私が目指すものであり、私が評価できる人間的態度のように思われるのである。

          他人に認められたい気持

          伸びない動画と三島由紀夫『酸模』について

           動画が伸びない。いや、伸びないのはいいのだが、動画を作る労力に見合っていないのである。元々、文学なんていうニッチな題材を扱っているわけだから、伸びないのは仕方がない。それでも何か作ってみたい欲求はあるのである。  そこで色々参考になりそうな動画がないか漁ってみたところ、よさそうな動画があった。その動画はBGMも文字も立ち絵もなく、ボイスに合わせた音声波形の表示と、最小限のエフェクトだけであった。そのシンプルなスタイルも好きであったし、無理に紙芝居形式にする必要もないのだな、

          伸びない動画と三島由紀夫『酸模』について