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2024/11/09の日記

奇妙な夢を見て、痛みの中で目が覚めた。

ああ最悪だ…と寝ぼけた頭で思う。

ここのところお天気が続いていたから、秋冬物の寝具やカバーなどを洗い、布団を干し続けていた。

体に負担がかかる作業ばかりしたのに、なんとなく元気に過ごせたからという理由で、寝る前の痛み止めを飲まなかったのだ。

寝る前の自分を揺さぶって、馬鹿なことはやめろ!と言いたいがもう遅い。

のろのろと起き上がって布団をたたみ、痛みで頭がぼーっとしながらも犬猫のお世話をしたあと、コーヒー牛乳を流し込んで痛み止めを飲んだ。

薬が効いてくるまで、起きてから2時間ほどの間、強い痛みの中にいた。

今は薬で痛みが弱まり、少し元気になった。

家事の合間に、明日から始める編み物のHow-to動画を見て、医龍ばりに手を動かしてイメージトレーニングをしている。

ずっと気になっていた輪針編みをしようと、amazonで購入した輪針セットが明日届くのだ。巾着や靴下や帽子を編みまくるつもりだ。めちゃくちゃ楽しみだ。

…と言って今は到着前だからこんなにやる気に溢れているけれど、きっと飽き性の私だから何かが1つ出来上がると「疲れたからしばらくはいいや」と道具をしまって、気づいたら数ヶ月経っているのだろうと思うが。まあいつものことだ。

11月ももう中旬に入ろうとしている。
ごちゃごちゃと物だらけの家をそろそろ片付けて大掃除を始めておかないと、正月にやってくる姉にまた厭味ったらしい小言を言われる。大掃除をしたところで毎年何かしら文句を言われるのだが…

いかん。愚痴を垂れてしまった。

明日はまだお天気が良さそうで、あさってが雨マークだったので、明日もう1日は頑張って大物の洗濯や布団干しをやろうと思う。


最近は働きたい欲が高まっていて、日雇いアプリをチラチラと覗く。

二駅先のスーパーのレジがだいたい募集していて、行きたいなとは思うのだが、私が持っていない白ブラウス(襟付き)を自分で用意せねばならなくて、安いブラウスはないかとあちこちネットで探し回るだけで疲れてしまって、やっぱりこんな体では1回働けたとしてもその後に寝込むことを考えたら主治医にも家族にも止められて当たり前だよな、と弱気になって、結局ふりだしに戻る。

今年の春から夏まで、10年ぶりにパートで働けていたことが奇跡みたいに感じるし、夢だったのではないかとも思う。

通勤時間徒歩1分で1日4時間で1日おきの週2〜3回で1人現場で人間関係のない仕事だったから、私にとってはとても理想的だったのだけれど。

仕事が原因でけっこうひどい熱中症になって、動けなくなった。仕事ができるほどの回復がいつになるか見込めず(持病の影響もあった)、もらった1週間の休みの最終日に泣く泣く辞めたのだ。

回復までに2ヶ月かかった。

こんな風なまともに働けない体になり、最初は受け入れられずにもがいてメンタルのバランスまで崩れて、しばらくはとても苦しくてしんどかった。

今はできる時にできることだけをやればいいやと割り切れるようになった。

手抜きの家事をして、たまに小銭を稼ぐ日々だ。

映画も推しのライブの様子も、出かけなくてもスマホで見られる良い時代だ。とても助かっている。

今日のようにわずかな時間を強い痛みに乗っ取られる瞬間はあっても、命に関わるわけではない。ただ痛いだけだ。薬が効けば楽になれるし、効きにくい時でも痛いだけだ。

痛い痛い、辛いキツイと思いながらも、体が壊れた日からあっという間に10余年だ。

この先もきっとあっという間に過ぎて、そのうちに寿命が来るのだろうと思う。

私はもう、ほとんど夢が叶った状態だから、あまり欲がないのかもしれない。

息子が欲しかったのと、犬猫と暮らしたいというのが子供の頃の夢だった。

息子は3人も恵まれたし、ストレス源になる夫はいない。
犬は大型犬2頭、中型よりの小型犬2頭、小型犬1頭と、自分の希望の犬種の子たち含め様々な犬たちと過ごせた。
猫は念願通りすべて保護猫で8匹もご縁に恵まれた。

あとは末息子が成人することと、今いる犬猫たちが天寿を全うすれば、私の夢はすべて叶う。きっと、生ききった!と感じるだろう。そうなればもう思い残すことはないのだ。

行ってみたい地はあるけれど、しんどい思いをしてまでは行きたいとも思わない。写真やテレビやスマホの動画で十分だからだ。

どうでもいい内容の話題で、気を遣わなくていい相手と何気なくお喋りしたいというめんどくせぇ欲求が時々高まってしまう時はあるけど、何年か前に知った音声配信アプリの配信者さんのおしゃべりを聴くと、そんなめんどくせぇ欲求もほとんど解消される。
「こんばんは」のスタンプを送って、「あ、こんばんは」と声をかけてもらえるだけで会話したような気になって、心が満たされるのだ。


そんな感じで狭い世界に存在していると、自分が本当に今この世に生きているのか、なんとなく不安になる瞬間がある。
だから「私はここに生きているよ」と自分自身や世界の誰かに向けて、Blueskyやnoteにどうでもいい日常のことを残しているのかもしれない。


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