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暗闇の中を見るために必要なこと。

明るいところから、暗闇を眺めていても、それはただの暗闇であって、その中を知ることはできない。

暗闇を見るためには、一度その暗闇に入り込む必要がある。
そして、しばらく目を瞑って、それからじっと目を凝らす。

初めは何も見えない真っ暗なんだけど、次第に目が慣れてきて、少しずつその中がどうなっているのかを知ることができる。

僕たちの心の中にも、辛い経験や苦しい過去、というのがあってそれはこころの奥の暗いところに封印されている。

暗闇の中にあるから、その中を普段は見ることはないんだけれど、そこにあるというなんともいえない感触は、ずっと持ち続けている。いやだな、とっとと手放したい。
捨てることのできない呪いのアイテムのようだ。
僕は、モノなんかよりもそういうのを捨てたいと思う!
モノも減らしたけどさ、なんでこいつは手放せないんや。はあ。

僕にとって、それはうつのことだったりそういうことなのかもしれないけれど、やっぱり一番辛かった時のことを思い出すのは辛い。

それでも心に蓋をしてしまって、ずっとみないようにしているのもまた辛いのだ。

一度、僕はそれについて自分で向き合って、自分自身と語らなければならないような気がした。

自分の暗闇ともう一度対峙して、そこでじっと待つ。
目を凝らす。

そうやって自分の心を整理する時間が必要なのではないかと思うようになった。

僕は、この数年で随分と元気になったと思う。
それでもふいにやってくる(特に日が暮れてから)消えたいという気持ちに抗うのは、本当に辛いものがある。

その度に医師から処方されている頓服を服用して、自分をなだめているのだが、

そろそろそういう自分と決別したいという気持ちになってきた。

僕は普通の人間になりたくて、普通の暮らしがしたいのです。
もちろんすでに平凡ではあるのだけれど、そういうのとはまた違う。

僕は、いつまでも自分のことがわからない。
必死になって探そうとすればするほど、途方も無い気持ちになってしまう。

他の人たちは自分のことをよくわかっているのか、それともわからなくても平気なのか、そもそもそんなことを考えるからいけないのか、それもわからない。

わけもなく急に消えたくなる。
軽く聞き流してほしい。

もうここ数年ずっとこの気持ちと戦っているので、なんとかはやく決着をつけたいところである。
格好よくいえば、武田信玄と上杉謙信のような感じだ。
一向に決着がつかない。戦友。盟友。生涯のライバル。

だからといって消えてしまったらダメなのだけれど。

僕のこころはいつも、曲芸師の綱渡りのようにゆらゆらとしている。
あちらはうまくいけば拍手喝采。大歓声に包まれる。


機嫌を取る方法を何個もストックしては、それをちびちびと消化し、気持ちをなだめる。

最近は、なだめる方法がややマンネリ化してきたのか、うまくいかないことが多くなってきた。

そういうアイデアを出すことが快復に向かうのであれば、僕は必死に企画会議をしたい。

とはいえ、僕だけが苦しんでいるわけではなく、生きていれば誰しも人には見えない苦しみというのがあって、それに日々抗っているのだと思う。

だから僕は、優しい人になりたいのです。
誰かの苦しみを理解することはできないかもしれないけれど、その人の苦しみというのは必ずある。
そこにとどまってしばらくじっとしているくらいしかできないかもしれないけれど、暗闇の中を覗くためには必要なことなのです。
時間はかかるかもしれないけれど、きっと焦ってはいけない。

そういうことを忘れなければ、なんとかやっていける気がしているのです。







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守田樹|凡庸な日常
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