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大衆は常に「道徳的復讐」の隙を窺っている

キャンセルカルチャーが未だ続いている。松本人志が文春への提訴を取り下げ、叩くネタが沈静化してきたので次は中居正広がキャンセルのターゲットになった。大衆はルサンチマンの塊で常に著名人がぼろを出して「道徳的復讐」をする隙を窺っている。直接的に実力で復讐できない相手に対しその相手の「不道徳」をほじくり出して「悪人化」し、自分の方が「道徳的」だとマウントし「正義」となることで一斉攻撃を仕掛ける。自分が叩かれる側になる事がないと大衆は容赦ない。ニーチェはこれを「道徳上の奴隷一揆」とも言った。

単に著名人をバッシングするのは昔からあれど、それがキャンセルカルチャーという形で完全に娯楽化したのは2010年代のMeeToo運動からでそれ以降、「人権」「多様性」を絶対正義に掲げた「正義」が暴走しまくっている。すぐ「●●ハラ」というのもその一例だ。キャンルカルチャーは完全に文化破壊であり、人を叩くことが娯楽になってしまったら、例えばその人物の出演・制作したものは次々封印作品になってしまう。いつどんなきっかけで引きずり下ろされるかわからない中で表現者は育たないし、あれも駄目!これも駄目!では表現の自由も萎縮される。人を叩く事でなく人を推す事、応援する事が娯楽でなければ文化は育たない。

そして芸人というのはその出自が被差別民である事からもわかるように、そもそもマトモな「社会人」ではなく、お行儀の良い品行方正さを求める事自体が矛盾でもある。人間は無意識ながらも「時代の記憶」を支えに生きているものでもあり、キャンセルカルチャーで著名人を抹消しまくる事は日本人が共有する「時代の記憶」を消し去ることにも他ならない。「過去の否定」が「未来」をつくることなどありはしないのだ。

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