愛猫の旅立ちのあとに思ったこと
今朝、知人のSNSを覗いたら、老猫が数日前から全くご飯を食べず水も飲まなくなり、夜中に起きても水入れの前で佇んでいるだけで、どうしたらいいのか分からないようだった…と綴っていた。
その様子は、私の愛猫が亡くなる前と全く同じで、残念だけど…お迎えの日が近いな…と思った。
◇
愛猫が最期を迎える前、病状がどんどん悪化していった時、私はまったく覚悟が出来ておらず、焦って何度もかかりつけの病院で検査や処置のために預けたり、果ては夜に1時間以上もかけて救急病院にまで連れて行った。
全ての病院で、”もう出来ることは何もない、安楽死させますか?” と言われ仰天して家に連れ帰った。
この国では、飼い主が最期まで看取るということはほぼないようで、逆に、苦しみながら最期を迎えるなんて可哀想という考えもあるらしく、国が違えば考え方も違うものだ、と今なら冷静に受け止められるけれど、その時は諦めきれなかった。
獣医に頼み込んで輸液を分けてもらい、最期の日まで自分で点滴もしていた。
だけど愛猫は全部イヤだったと思う。
それでも最期まで飼い主に付き合ってくれた。
とても我慢強く優しい子だった。
…面目無い。
そんなことせずに最期の日々はただ一緒にいて、静かに旅立たせてあげればよかった…と今もそのことは悔やんでいる。
◇
愛猫が旅立った後、私はペットロスになってしまった。
毎日鬱々として何もする気がおきなかった。
夜もなかなか眠れず、起きていても心ここに在らずで、愛猫はもういないのに何で生きてなくちゃならないのか分からなかった。
申し訳ないけど、この時家族のことは全く頭に浮かばなかった。
愛猫は私にとってはただのペットではなく、海外にまで一緒に移住し家族よりも長い年月を共に過ごした人生の相棒だったから。
そんな時に手にとって唯一読めたのが、大島弓子さん著 『グーグーだって猫である』だ。途中の巻までは以前から持っていて読んでいたが、後半の巻は愛猫が亡くなってから取り寄せた。
『グーグーだって猫である』での大島弓子さんは、前半は次々に猫を保護して家族が増えてゆき、ついには猫たちのために一軒家にまで住み替えてしまう。癌にかかり手術に臨むことになった時は、猫の世話を頼んだ人に、自分にもしものことがあったら自分のマンションを譲るから猫たちを頼むとお願いしたり、大島さんの行動力と猫への愛情の深さに驚く。
そして巻が進むに連れ、年老いた愛猫や世話した野良猫などが次々に旅立ってゆく。最初の愛猫が亡くなった後に迎えたグーグーも最終巻で旅立った。
大島さんの愛猫たちの死との向き合い方が、とても素晴らしい。
私は泣きながら続編の『キャットニップ』も急いで取り寄せ読んだ。
帯に作家の角田光代さんが、
と書いているけれど、本当にその通りだと思う。
平均的な寿命を考えても、ペットの方が飼い主よりも先に逝ってしまうことの方が多い。
人間にもペットにも誰にでも平等に訪れるのが ”死” だ。
私などはとうに人生の折り返し地点は過ぎているので、最近はますます死に向かって生きている、という思いが強い。
ペットは愛しく可愛らしく癒しにもなってくれるけれど、それだけでは済まない。最期まで看取る覚悟も必要だ。
ここ数年は在宅勤務の人が増えて、その影響もありペットを飼う人も増えたらしいけれど、飼いきれなくて保護施設などに捨て置く人があとを絶たないということも知った。
自分の環境的にも年齢的にもペットを最期まで看取れるか、そこまで考えて迎え入れてほしいと思う。
犬や猫がどんなに好きでも、それが出来そうもないなら、飼わないというのも愛情だと思う。
どうか、猫や犬や野良猫たちが皆んな幸せに生きられる世の中になりますように、と願ってやまない。
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