星野道夫 『旅をする木』 ~春馬くんを偲んで
今日は春馬くんの八回目の月命日。
そして今日は自分の誕生日でもある。18日となればいつかは自分の誕生月が来ることはわかっていたけれど、ついにこの日を迎えてしまった…。
自分から自分へのプレゼントとして日本から取り寄せた書籍の中の1冊、星野道夫「旅をする木」は、春馬くんが以前から愛読書として紹介していた本だ。
この本を読んでみようと思ったのは、春馬くんの思考を知る手掛かりのようなものがほしかったのかもしれない。
著者の星野道夫さんは1978年からアラスカで暮らし、北極圏の大自然や動物たちの写真を撮り続け、その土地で生きるエスキモーやインディアンといったアラスカ先住民の人々との出会いの中で、その暮らしについても記している。
1996年ヒグマに襲われ43歳で急逝。
◇
世界は広くて、果てしない。
カヤックで旅をしながら氷河のきしむ太古の音に耳をすませ、エスキモーの人々とウミアックと呼ばれるアザラシの皮で作られたボートを漕ぎ、北極海にセミクジラを追う。晴れた夜空にゆらゆらとたなびくオーロラを見上げ、ルース氷河の雪原の上に残っていた一本のオオカミの足跡を思う。
本を読みながら、アラスカの大自然と先住民の人々の物語が、頭の中にまざまざと浮かんでは消えていった。
情報と物にあふれた世界とは隔絶された、何もない場所にある世界。
◇
夫の生まれ育った町は、北極圏にある。
そこはかなり遠方のため、家族で帰省するのは数年に1、2回だけだ。
北極圏の夏は、完全な白夜となり一晩中太陽は沈まず淡く白んだ仄かに明るい夜が続く。冬になると気温はマイナス30度以下まで下がり、今度は極夜とよばれる太陽が一日中昇らない夜だけの日が続く。河も湖も海さえも凍りつく。
はじめて訪れた時から私は、北極圏の雪と氷に覆われた真っ白な世界と北方民族にとても惹かれた。
そんな訳で、私にとって北極圏というのは未知の土地ではないのだけれど、「旅をする木」に書かれている手つかずのアラスカの大自然は、同じ北極圏といっても全くスケールが違っていた。
そこには、もっと原始的で荒削りで容赦のない、人間が侵すことの出来ない領域の北極圏があった。
ツンドラを季節移動するカリブー(野生のトナカイ)の大群も、私が知る北極圏のreindeer(レインディア)と呼ばれる全頭飼い主がいるトナカイとは異なっていた。
◇
星野道夫さんは、20代の時に親友を山の遭難事故で亡くしている。その時に感じたことが次のように記されていた。
親友の死は、星野さんをアラスカの自然へと向かわせた。
春馬くんもこの本を読み、調子の悪い時には元気をもらい生きる力にしたのではなかったのか。
自分の持ち時間というものをどこかで感じていたからこそ、短い命を燃やし全身全霊で演じるという己の使命を全うしたのか…。
表題と同じ ”旅をする木” の話は、とても印象に残った。
星野さんの友人でもあった池澤夏樹さんは巻末の解説でこのように書いている。
池澤さんは "旅をする木" と星野さんが重なって見えると書いていたが、私には春馬くんが重なって見えた。
"旅をする木" となった春馬くん…
想像してみると少しだけ救われるような気がする。
春馬くんに導かれるように手に取ったこの本に、あらためて生と死について教えられた気がしている。
何度もこれから読み返してゆこう。
移動制限が解かれたら、また違った気持ちで北極圏のあの風景の中に身を置きたいと思った。
◇
本を読んだ後に、星野さんが亡くなった当時まだ1歳半だった息子の翔馬さんが、父の足跡を辿ってアラスカを巡るドキュメンタリー「父と子のアラスカ〜星野道夫 生命(いのち)の旅」を観た。
父の聞いた "ワタリガラスの神話" を聞き、父の見た朽ち果ててゆくトーテムポールを見に行き、「旅をする木」にも登場した長年の相棒だったブッシュ・パイロットのドンやフェアバンクスでのかつての友人を訪ねて、まったく記憶のない生前の父親について話を聞く翔馬さんの姿に胸をうたれた。
星野道夫さんの写真展での最後の一言が心に残った。