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映画「髪結いの亭主」パトリス・ルコント〜醒めない甘美な夢

主人公のアントワーヌは12歳の頃、豊満でいい匂いのする理髪店の女主人に恋し店に通いつめていた、なかなか早熟な少年であった。
父親に「将来の夢はなんだ?」と聞かれ、「床屋の女の人と結婚すること」と答えたアントワーヌは、ぶん殴られる。
日本でも昔は "髪結いの亭主" といえば、妻の稼ぎをあてにし養われている男を意味し、いわゆる "ヒモ" を指していた。
フランスでも同じなんだろうか、と思った。

この作品を一言で言ってしまうと、"髪結いの女フェチ" である、おじさんの夢物語である。
『仕立て屋の恋』をはじめ、パトリス・ルコントは、フェティシズムを描くことで独特の魅力を放つ監督だと思う。


時は流れ、姿はおじさんになっても、心は少年のまま、 "髪結いの女" を追い求め続けていたアントワーヌは、ついに理想の女・マチルドに出会う。
初対面でいきなり「結婚してください」と、プロポーズしてしまうアントワーヌ。
マチルド役のアンナ・ガリエナは、いかにも夢の女という感じで、色っぽく官能的で、優しい微笑を浮かべ、美しく、孤独の翳りがある。
マチルドにスルーされても、ストーカーのように彼女の部屋の下で窓を見つめながら夜を明かし、強く望めば手に入る、自分はこの女を妻にするのだ、と勝手に決心するアントワーヌ。
普通に考えたら、やべぇおじさんなのだが、3週間後にまた理髪店を訪れたアントワーヌにマチルドは、あなたの言葉に心動かされたと言い、結婚を承諾し、見事二人は結ばれる。
あっさり、おじさんのロマンは成就してしまうのだった。
かくしてアントワーヌは、夢だった "髪結いの亭主" に収まる。

劇中で何度も登場する、アラブ音楽に合わせたアントワーヌの奇妙な踊りはかなりのインパクトがあり、不思議な色をこの作品に添えている。
真顔で、手や腰をクネクネさせる、おじさんの踊りは、どこか笑いを誘う。

それから10年の歳月が過ぎても、アントワーヌとマチルドは片時も離れず、お互いだけを見つめ合い、二人きりの愛の世界は、これからもずっと続いてゆくかのように見えたがーーー

嵐の日、アントワーヌと愛を交わした後、豪雨の中外に飛び出したマチルドは、激情に駆られたかのように、唐突に、氾濫する川へ身を投げる。
他の細部は忘れてしまっても、このシーンだけは、くっきりと強く心に残っていた。
20代前半に初めてこの作品を観た時は、幸せの絶頂でいきなり命を絶ったマチルドの行動に衝撃を受け、謎すぎて全く理解できなかった。

今は少しだけ、マチルドの気持ちが分からないでもない。
人の肉体も心も、同じ状態に留まり続けることはできない。
すべては移り変わってゆく。
その流れを、マチルドは、永遠に塞き止めてしまいたかったのかもしれない。

呆気ないほど突然に、消え失せてしまった夢の女・マチルド。
今までの話は、全部、ぜーんぶ、このおじさんの妄想だったのでは…と思ったり。


アントワーヌを演じたジャン・ロシュフォールのモノローグ、どこか悲しげで驚くほど少年のように澄んだ瞳、恍惚とした表情が、印象的だ。


いつものように、理髪店のソファに座り、クロスワードパズルをするアントワーヌ。
アラブ系の客とお得意のダンスを踊り束の間盛り上がるが、すっと動きを止めるとまたソファに座り「家内が戻ります」と客に告げる。


マチルドによって理髪店に封じ込められたアントワーヌは、愛の記憶を反芻しながら、二度と醒めない甘美な夢を見続けている。





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