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多くの人が、今この瞬間『過去』を生きている。


ひとの話し(悩み)を聞くとき、


残念ながら
わたしはそれに対して
的確なアドバイスができるような
人生経験を積んでもないため

大したことも言えず

「うんうん」と頷いているだけのことが多い。
というか、ほぼ。情けない。





いろんな人の話が
たぶん、
わたしの中で
満タンになったのだと思う。

この “ 満タンの法則 ” というのがあって
ふだん、とりわけ意識していないことでも
知らぬ間にちょっとずつ
じぶんの中に溜まっていくと、
急にあふれ出す現象のことです。(勝手に命名)



わたしの中で
特別になにかを考えたり、
思いを巡らせたりなどしていなかったのですが

先月、
朝、目が覚めたときに

『 “ストーリー ” を生きるな。ただ目の前を見よ』

という言葉が思いついたので
気になって書きとめておいたのです。


誰のセリフじゃいって感じの口調であるが 笑

眠りから覚めたてホヤホヤであれば
こんなセリフ調の言葉が
思い浮かんでも
にんげん不思議はない、ということにしておくことにした。



ひとびとの話が
積もり積もって
わたしの中で
満タンになった。



ひとびとを苦しめるもの。



けっこうひとは
こちらが聞き役でいると
3時間くらい
ずっと、おしゃべりになられる。



いろんな思いがあるよね、生きていると。



・旦那、もしくは奥さんへの不満・愚痴
・元カレへの嘆き
・むかしの職場のイヤな上司のこと
・むかしあったイヤなできごと
・最近あったイヤなできごと

などなど。


それで
とあることに気が付いたのですが、

それは、
ひとは過去のイヤなことを
割とありありと覚えていて、
そのことを
ついさっきあった出来事のように話すことができる、
ということである。


もちろん中には、
「一日眠ったら、もう忘れている」というタイプのひとも
いるであろう。

もしくは
竹を割ったような性格だったり、

すこぶる鈍感力が高くて、
たとえ嫌味を言われようとも
『そもそも嫌味に気が付いていない』みたいなひとも
いるかもしれない。


しかし多くのひとは
とびきり嬉しかったことよりも
なぜだか辛かったり悲しかったことのほうが
覚えているもんである。

残り方が強いのだ。



なかには辛すぎて忘れている、
なんて場合もあるかもしれないが。





ー トラウマ ー


ずっとまえに聞いて
覚えているのが、
とある人の話し。


そのひとは
はじめて就職した職場の上司が
とてもヒステリーなひとで
当時受けた数々の理不尽なエピソードを
わたしに話してくれた。

それから
かれこれ20年~が経ち、
いまも毎日メンタル系の薬を
服薬していると言っていた。


べつの職についてからも
職場の様々な場面で
緊張し、
怖くなるそうである。




トラウマである。



不思議なもんだ。
わたしも
大好きなひとと
はじめてデートしたウキウキ感よりも

めっちゃ喧嘩して
グサッとくるひとことを言われたことのほうが
覚えているもんな。しっかり。




なかには、
20年~30年まえに
苦痛を感じた人間関係の話しをするときの
そのひとの目が

いまでもとても怒りに満ちている場合も、ある。


『むかしのことは忘れよう』とかって
言いたいわけではない。


それくらい
イヤだったというインパクトは
残るひとには、こびりついて残るのだ。



言ったり、イヤなことをやった側のひとは
きっと覚えていないのだろうな、と思う。
だいたいそうだよね。。。


じぶんも
だれかをキズつけてしまうことを
言ったかもしれないけれど、
それに気が付いていないか、
じぶんだけサッパリ忘れているのかもしれない。

相手はまだ、
覚えているかもしれない。

なにでひとはキズつき、
なにでキズつかないかは
決まっていないから、
分からない。




― 苦しみ中毒 ー


苦しみも、中毒になるらしい。
苦しみ中毒になると、
苦しみを確認したくて苦しむ、という
とてもシンプルで複雑なことをにんげんはしているそうなのだが、

現状維持のホメオスタシスの働きから考えると、
例え “ 苦しみ ” であっても
同じことを繰り返すことは
心身の慣れた、安心安全な状態なのかもしれない。
いや、そうなのだろう。


あしたから、
大谷翔平と一緒に大豪邸で暮らしなさい、と言われたら、
わたしみたいな凡人は、ちょっと苦痛だ。

一見、何不自由なさそうな
だれから見ても、うらやましがられるような
恵まれた環境であるはずなのに、
「…いや、ちょっと、待って、どうしよう…」となるのである。

そこはフットワーク軽く
「オッケー!翔平よろしくね!」と
食い気味に承諾できるくらいの
メンタルでいたいとも思うが、

要は、幸せは人それぞれであり、
大豪邸がイコール幸せなわけではないし、
なんにせよ、
じぶんの何かしらが変わることは、不安であり怖いのである。


大谷翔平との
緊張感ある生活を考えると、苦痛でもある。
リビングでパジャマでダラダラしながら
煎餅をボリボリ食べられないのであれば、不幸せだ。
ここは、大谷翔平のまえでも、
スッピンの髪の毛ボサボサでも平気!の
メンタルが欲しい
ところ。



毎日がほぼ過去。


認知科学者の苫米地英人氏の著書『頭のゴミを捨てれば脳は一瞬で目覚める』によれば、
著者は「過去の記憶をベースに未来の自分を思い描くな」と述べている。

にんげんは、過去のじぶんを基準として安定してしまうそうで、
例えると『今までじぶんはこのくらいしか出来なかったから、今回もこれくらいにしておこう』という見積で行動しているということ。



で、米国の有名な精神科医ダニエル・エイメン博士は、
「人間が考えることの95%は毎日同じことの繰り返し」だと言う。


わたしは思うのである。
もうそれってほぼほぼ『過去』じゃん!と。

・過去のじぶんを基準に考える→行動する。
・前日の思考と95%同じことを考えている。

これって、もはや今日は昨日!今年は去年!


そして、


人の脳は、1日1.2万〜6万回の思考を行なっているそう。
そのうち約80%はネガティブなものであるため、
多いときにはおよそ4.5万回も
ネガティブなことを考えている計算になると
伝えられています。



ということは、
もはや、『まいにちがネガティブな過去』じゃん!である。

そう言っても過言ではない!である。




わたしから見えるもの。


話しをもどすと、
例えば
20年以上まえに
職場であったパワハラの
トラウマをかかえて
いまなお
薬を服用しているというひとの話しや、

むかしに苦痛を感じたエピソードを
怒りや悲しみを滲ませ
話すひと、

その他、
ありとあらゆる悲しみについて
話すひとを見て

わたしは思うのである。


さっきまで、
「今度ネイルサロンに行くので楽しみなんです」と
目をキラキラさせながら話してくれたあなたは、
なんなのだろう?と。

「どこそこのラーメン屋、美味しいんですよ」
「ランコムのリキッドファンデ、けっこういいですよ!」と話す
あなたは、なんなのだろう?と。


そう話す、あなたの楽しそうなその今の姿は、
なんなのだろう?と。


そう話すあなたのほころんだ表情は、
むかしにあったイヤなことの後ろに、
今、隠れてしまわなければならないのだろうか?と。

楽しそうに嬉しそうな話しを今、話すあなたは
むかしあったイヤなことの後ろに、
隠れてひそめてしまうような
存在なのだろうか?と。


なんだか
もどかしくもなるのです。


トラウマは、ある。

今でも、冷や汗が出そうになることは、わたしもある。


「一晩眠ったら忘れます」ってひとが “ 正しい ” とかってのもなく。


ひとを見ると、
じぶんのことは棚に上げておいて、思う。

わたしの目の前にいるあなたの存在は
なんなのだろう?と、
不思議になる。


さっきまで、
わたしを笑わせ、楽しませてくれたあなたの
その愉快さは、
むかしのあなたの影に
隠れてしまわなければならないような存在なのだろうか、と。


ひとは
複雑でシンプルなことをやっているのだろう。



昨日やったおなじことと、
昨日考えたおなじ思考の95%を今日考えている。

今までこうだったから
明日もこうだ、と思い込む。


そうやって
いろんな情報を詰め込んで
いろんな記憶をためこんで

それが「じぶん」になる。


何度も
おなじ過去を味わえる。
味わう。
今ここで、一生懸命に過去を再体験している。
悲しければ悲しいほどに、必死に再体験する。

わたしの今の目の前で。

一瞬、
時空が歪む。





わたしから見ると
あなたは笑顔で、ユーモアがあって
ただひとりのキャラで、
なにも欠けていない
欠けるなんてことのない存在であるのが
見てとれる。

髪の毛をカットして
サッパリしている顔、
「暑いですね」とさりげなく話す気さくな人となり、

それらは、なんだというのだろう。


それらより
大切な過去。


過去を手放す、とかって
正直、個人的には分かりずらくて。。

どうやって?と。

分からない。
どこからなにを手放せばいいのか。
親指と人差し指と中指と薬指と小指の力を抜けばいいのか。


分からない。


だから、
ただ目の前を見るしかない。
ここのこの風景を。


さっきあったイヤなこと、
めちゃくちゃ腹を立ててもいいのである。


めちゃくちゃ腹を立て続けるのは、
にんげんけっこう続かない。

ずーーーーっと同じ熱量で
腹を立て続けるなんて
出来ないもんである。


気づいたときには、
立った腹は、さっさと座ってくれてたりする。





いまのあなたはあなたの前に
キズをかかげ、
ときにはキズを振りかざし、
そのキズを採用しつづけ
そのキズそのものこそが今の “ じぶん ” であるかのように、
過ごす。



いまに、ストーリーは無い


今わたしの目の前にいるあなたの存在をおびやかすものは、
無い。




キズは痛い。



今わたしの目の前で笑うあなたは
その痛みに顔をゆがめなきゃならないような存在だとは
見えない。



ケタケタと笑う顔、カーテンが揺れる、
遠くで入道雲が空を覆っている。


それが見える。



ひとは、じぶんのことが一番
よく見えないのかもしれませんね。



長くなってしまいました!
読んでくださった方、ありがとうございます彡

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