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砂糖依存から抜けだす、はじめの一歩。



『お菓子(砂糖)の摂取をやめたい』

ここ数年の願い。いや、戦いでもあった。


やめれたり、
やっぱやめれなかったりをくり返し、
今日にいたる。



砂糖をやめたい。


わたしがこの数年のあいだ、
お菓子(とくに甘い系)を
なぜやめたかったのか、

それは、
『砂糖をやめたら、もっと健やかに生きられるのではないか?』
思ったからである。



ただ、
多くのひとが
知ってのとおり、

砂糖というのは
あまりにもいろんな食品に含まれているので
すべての砂糖をさけられるわけではなく。

なので
いまのわたしの現状は

やめたいと願いつづけていた
甘いもの(クッキー、キョコレート、グミ、キャンディなど甘いお菓子全般、甘い菓子パン、甘いドリンク類などのもの)を完全にやめて、
一カ月がたった、というところ。



その効果や状況、
体感などについては
また別の記事に書くとして、

まずはそもそもの
“ なぜ砂糖依存症になってしまったのか ” というところから、整理したい。



砂糖への執着のはじまり。


そもそも、
なぜ甘いものをよく食べるようになってしまったのだろう?と
疑問に感じてふり返ってみると、

1つのことに思い当たった。

それは

大好きだったお酒がまったく飲めなくなってから、だ。



胃を悪くし、
6年前からほぼお酒が飲めなくなった。


飲みに行けば、
二日酔いは重い方だったので、
もともと胃が弱かったのだが、

そんな“胃の悲鳴”を無視して

つみ重ねのムリがたたり

まったく飲めなくなってしまったのだ。



思い返せばそこから、

やたらと『甘いもの』への執着が
はじまったように思う。



それまでも、
ふつうに甘いものは食べていた。

けれど、
多少の背徳感をいだく時はあっても、
とびきりの後悔もなく、


いわゆるふつうの、
『美味しいスイーツを食べた』という感じ
て、
けして多すぎはしない(であろう)量を食べていた。(と思う)



しかし、
ここ数年は


とにかくまいにち、
甘いものがいったん頭に浮かぶと

それを食べないと
どうしても気が収まらなくなった。



ファミリーパックのチョコ系のお菓子を一気食い。
(イナズマ級の美味しさ、のヤツですね)

クッキーを1箱(30枚入り)を、一気食い。

甘~い缶のカフェオレをまいにち、少なくとも2本。

クリームたっぷりの菓子パンをおやつ代わりに。


と、こんな感じのなんかしらのパターンで、
甘いものをまいにち摂取していた。



とくに、
ご飯を食べたあとに
どうしても『甘いもので〆』ないと、
気が済まない。


どんなに
「今日は絶対に夜ごはんのあとに甘いものを食べないぞ!」と思って、

お菓子を買わないように
どこにも立ちよらず
まっすぐ仕事から帰宅しても、

夕食後、
スイーツを買いにコンビニへと走るのである。


ときには
お風呂にはいったあとで
もうスッピンなのに
帽子とマスクで家を飛びだす。


しかも、
面倒くさがりのじぶんが
そこまですることに
まず異常さを感じはじめ、
なにかがオカシイと訝しんだ。


しかもそれが、
『甘いもの』に限定されているということも、訝しむに値した。

べつに
「おみそ汁が飲みたくてたまらない!飲むまではこの衝動が収まらない!」とかに
ならないんですね。

「あー、里イモの煮っころがし食べたい!落ちつかないー!」とかも、ない。

おみそ汁と里イモは
5本の指に入るくらい大好物であるのに。


そう、
甘いものにだけ
押さえきれない衝動にかられるのである。




とは言え、
甘いものはおいしいのだから
ハマるひとは多いわけで

比較的
どんなひとでも、
『甘いものが無性に食べたい!』を日常的に
経験しているであろうと推測できる。


なので、
『おいしいから食べちゃうのは仕方ない』ものであり、
だれにでも起こりうる衝動的な欲求、ということにして

この時点でうすうす感じていた
じぶんの“異常”さを、
ゴマかして過ごしていた。
し、そんなじぶんと向き合おうにも
じぶんでは、どうにもできずにいた。



1つ、とてもイヤだったのが
甘いものを食べても
『満たされる感覚からほど遠い』ことだった。

食べはじめた瞬間は、
脳内がパーッと、いっしゅん満足するのだが、
ざっくり言って、食べている最中の記憶は、
ほぼない。


気が付くと、
いつも空になったパッケージが
目の前に転がっているのである。


その夜に、
わざわざコンビニに走ってまで
望んで食べた食べものを、

食べたのか食べて無いのかもわからないような食べ方がイヤであったわたしは、
そんなじぶんのことを
ゾンビ化した』と呼んでいた。



さて、
そしてじぶんの異常さが
いよいよ、どんどん増していくことを
このあとから実感していくのでした。




増していく無性な甘いものへの欲求。


ある日の職場でのこと。

Aさんが、
まとめ買いしたという
ビッグバナナマフィンを
職場の女性陣たちに
さし入れしてくれたことがあった。



わたしはありがたく頂戴し、
帰宅後においしくいただいたのである。


その次の日、
ちょっとした雑談になった時に
わたしは何の気なしに
「昨日Aさんから頂いたマフィン、おいしかったー!」と言ったのだが

Bさんは、
「わたし、まだ食べてないんだー」と言い、

Cさんは「おいしかった!」と言った。


わたしはCさんに、
「大きかったけど、気が付いたらぜんぶ食べちゃってたよ~」と言うと、

彼女は
「大きいから、半分にして残りは今日のおやつです♡」と言った。




わたしは彼女たちの言葉を聞いて、
内心、え?!と思ったのだ。


半分残すって、
あのおいしいマフィン、途中でとめるのどうやるの?


そもそもBさん、
なんでもらった日に、食べずにいられるの?
わたし、家に帰ってから即行食べたのだけど。

というか、
そもそもわたしがAさんだったら、
ぜんぶひとりで平らげていたかも…


その時に、アレ?わたしはなにか、ちょっと変…?と思った。

ただ単に『食いしん坊』という枠に、
収めてもいいのだろうか。

それもと理性の利かない食し方
しているのだろうか…。


それから、
大人になってから
飲みたいと思ったこともなかった
クリームソーダの缶ジュースを
飲みたいと思いはじめたり。(もちろん連日飲む)


3食のご飯のほかに
甘い菓子パンを8個食べたり。


いったん頭に浮かんだスイーツ店が
住宅街の中にあり、
往復、徒歩60分の距離のお店でも、
もくもくと歩く執念。


仕事中に甘いものが食べたくなり、
退社時間に職場を飛び出し、
いちばん近くのスーパーで
甘い菓子パンを買い、

電車を待つあいだに駅のホームで立ち食い。立ち食い…駅で…


いままでだったら、
家に帰るまではガマンできていたのに。


とにかく、
甘いものが口に入れば、落ちつくのである。

しかし、そんな時はいつも
まったくお腹が空いていないのである。


お腹が空いていないのに、
食べないと気が済まない状態。
そして、食べると気分が落ちつくのだけど、
ここから今度は『歯止め』がきかなくなる。
どんどんと食べてしまうのである。



じぶんなりに工夫して、
ちょっと奮発した高級チョコレートを買って、
「これを1日ひとかけらずつ、味わって大切に食べよう」なぞと
してみるものの、
べつのチョコレートを1箱一気食いして意味がなかったり。
高級チョコひとかけらと、庶民チョコ1箱を食べる結果となるばかりである。


なにかちょっと踏んばったり、
ちょっとでもイヤなことだったり、
心配ごとがあったり、
思い通りにすすまないことなどがあるなど

そんなシチュエーションのときには
すぐにチョコレートに手が伸びた。

わたしはそんなじぶんが
まったくコントロールできない状態にあった。

じぶんだけど
じぶんじゃない領域のじぶん、
のような感じで、
どうすることもできず、
甘いものをやめることもできず、

それでも1日の中で
何度もくり返される
『甘いものが食べたい!』と
湧きあがる欲求に

従うつもりもないままに従っていた。



末期症状。


ひとりで残業をしていたある日。


パソコンに向かい、
キーボードを叩いているうちに、
集中力がきれたわたしは、
ソワソワとしはじめた。

このころは、
ほんとうに集中力が散漫になりやすく
仕事がはかどらないことが多かった。


落ちつかず、
ソワソワしだすじぶんを
切り替えるためにも

甘いものを食べたかったのだが、
わたしはお菓子を
なにも持っていなかった。
(気持ちだけはいつも『今日は食べないぞ!』と思っているので)

甘いものが
一度頭に浮かんでしまえば、
もうそれを口に入れるまでは、
気が済まない。


わたしは立ち上がり、
ウロウロと机の周りを歩きまわった。


まるで檻に入れられたゴリラが
柵の中で行ったり来たりしているかのようだった。
いや、同じにしてしまってはゴリラに悪いくらいに
さまよえるわたしは
その場をウロウロと
しばらくうろついていた。


バッグのなかを見ても、
飴玉がころがってもない。

ひきだしを開けても、
忘れ去られていたチョコレートが
偶然に
入っていることもなかった。

ロッカーを開けても、
とっておいたクッキーが
出てくるということもなく。


わたしは自販機のまえに行き、
カフェオレを買って飲んだ。

気持ちが落ちついて
ふたたび仕事にとりかかることができた。



しかし
この日だけではなく、
何度も同じ状態になった。


そんなある日。

この日も残業中に
ふっと集中力がとぎれ、
甘いものが食べたい欲求にとらわれた。


そのとき、
となりの机の上に
チョコレートウェハースが置いてあるのが
目に入った。



お客さんからのさし入れで
みんなで分けたが、
その日お休みだったDさんに配られた分として
そこにに置かれていた。

もちろん、
じぶんの分は
とっくに食べてしまっていた。


わたしの目は
そのウェハースにくぎ付けになった。

そして立ち上がり、
ふたたびその場でウロウロと歩きはじめた。


頭の中は、
『そのウェハースを食べてしまいたい』という考えでいっぱいだった。


いや、ダメだろう。
ひとのものを勝手に食べるのは。

分かっているのに、
そのウェハースから目が離せなかった。

5分間、わたしはそのウェハースを横目に
ソワソワとその場を歩きまわった。


どうにかして、
ウェハースを食べたい。

この考えが
頭から離れないのである。





わたしは自販機のまえまで行き、
ココアのボタンを押した。


甘い液体が、
喉をとおって行く。


この時に思ったのである。

あぁ、わたしはオカシイのだ、と。



依存症をぬけだす第一歩。


このころには、
『じぶんは砂糖依存症・中毒』であると
自覚しはじめた。


その自覚がなかったときは
習慣化されてしまった砂糖の摂取はやめたいのだけれど、
甘い食べものは日々の『癒しの象徴』でもあり、
ふわふわとどっちつかずな部分があったのです。


けれど、この自覚したことによって、

わたしはこの砂糖依存、中毒の状態のことを、
『イヤだ』とハッキリと思ったんですね。


こんな状態は『イヤだ』と。


それはけして、
甘いお菓子ばかり食べるそんなじぶんはイヤだ、とか

砂糖をやめられないじぶんがイヤだ、とか

砂糖がイヤだ、とかではなく、

その依存している『それがないとダメ』な状態が、
とてもイヤだと自覚したのです。


あまりにも
窮屈で
邪魔くさかったから。


いま思えば、
この、きちんと『イヤだ』と思えたことが
砂糖断ちへの第一歩だったように思う。


が、すぐに砂糖依存の状態を
抜けだせるわけではない。
そんな甘い話しではなかった。スイーツなのに。

ここからも、
また長い戦いがつづいたのだが、

砂糖依存症・中毒を抜けだす
はじめの一歩は

“きちんと『イヤだ』とNOを突きつけることである”と、思ったのでした。


☕︎ Have a nice day! ☕︎

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