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春、はなびら

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#note

あの子の日記 「最後のふたり」

日本のどこかの、誰かの1日を切り取った短篇日記集 サイフォンに残ったコーヒーを冷たいカップに半分注ぐ。温かいうちに飲みきれば良かったんだけど、今はそんな気分になれない。向かい合わせに座ったシュンタは、サイフォンとカップを空っぽにしてテーブルの端によけている。 話題が尽き、ここにいる理由もないのに「帰ろう」と言い出せないのは、今日が恋人として会う最後の日だからだろうか。別れ話がチャラになって、「やっぱり俺はお前がいい」なんてふざけた台詞を心のどこかで期待しているからだろうか

あの子の日記 「左折」

肌寒い夕暮れ、十字路の真ん中。パンパンに詰まっているくせにやけに軽い旅行カバンを両手に持った私は、カーブミラーに映った二人を見つめている。 よれたシャツを着たエンドウ君と、おろしたてのワンピースに身を包んだ私が、鏡の中であたたかそうな日差しに照らされていた。たしか、お花見帰りか何かだったと思う。エンドウ君のくすんだピンクのシャツが桜の色よりも綺麗に見えて、可笑しかったのを覚えている。 夏になったら豊田で大きな花火を見たいとか、来年は桜の通り抜けに行きたいとか、ほんの少し先

あの子の日記 「ホエイ」

食欲のない昼過ぎに何か食べるならヨーグルトくらいがちょうどいい。調理しなくていいし、スプーンですくって口に運べば、噛まなくたってそのまま飲みこめる。食べることも、寝ることも、なんなら起きていることも面倒くさく感じる今日のような日のために、冷蔵庫にストックしておくべきだった。 数日前からまともに食事をしていないせいか、予想外の春の暑さにやられそうになる。のそのそと座椅子から立ち上がり、食材に期待せず冷蔵庫を開ける。気持ちのいい冷気の向こうには、買った覚えのない大容量のヨーグル