あの子の日記 「左折」
肌寒い夕暮れ、十字路の真ん中。パンパンに詰まっているくせにやけに軽い旅行カバンを両手に持った私は、カーブミラーに映った二人を見つめている。
よれたシャツを着たエンドウ君と、おろしたてのワンピースに身を包んだ私が、鏡の中であたたかそうな日差しに照らされていた。たしか、お花見帰りか何かだったと思う。エンドウ君のくすんだピンクのシャツが桜の色よりも綺麗に見えて、可笑しかったのを覚えている。
夏になったら豊田で大きな花火を見たいとか、来年は桜の通り抜けに行きたいとか、ほんの少し先の話をしながら歩いた帰り道。この十字路で「ほんじゃね」「じゃあね」と別れ、それぞれの帰路についた。エンドウ君の家はこの道を右に曲がったところにあって、私の家とは逆方向だった。
その夏は結局、花火のために遠出をすることはなかった。地元の小さな祭りで牛串を食べ、金魚をすくい、「駐車場が空いてたら隅っこで花火やりたい」というエンドウ君の一言で花火セットを買った。
この日はいつもの十字路を右に曲がり、二人でエンドウ君の部屋に向かった。この日は、と言ってもこの日が初めてじゃない。
桜が散りはじめた頃から、一緒に過ごすのが当たり前になっていた。たぶん恋人同士というやつで、自宅にいるよりエンドウ君の家にいる時間のほうが長かった。私の未来には当たり前のように彼がいて、彼の未来にもきっと私がいたと思う。
線香花火に火をつけて二人並んでパチパチと音を立てた去年の夏は、だらだらと始まった恋だからどうせだらだらと関係が続いていくだろうと思っていたけれど、そんな未来は来なかった。今思えば、一緒に過ごしたあの数ヶ月間は、エンドウ君と私の人生が交差したただの交点だったのかもしれない。
ふいに冷たい風が吹いてハッとする。十字路の真ん中に突っ立って、カーブミラーの向こうに残った二人の世界を見つめているうちにすっかり日が落ちていた。
思い出が詰まった旅行カバンをカーブミラーの近くにそっと置いて、いつもの十字路を左に曲がる。後ろはもう振り返らない。
たのしい Instagram も、やっているよ。