新しい靴を買ったら子供ができた話
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慶應に子供ができた。
って言ったら「なんのこっちゃ」となる方が多数なので、
知らない方は、コロナ前の平和なシェアハウスで行われたイベントを
見てほしい。
これである。
ライターのホリケンと、その周りの面白い方々が集まってきたのだけども、
このイベントで、私と慶應は最終的にタッグを組み、私は大富豪になれた。
戦略を練るために、山形のカリスマと3人で焼き鳥屋に行ったり、
今回の団体の中では、私と慶應は、比較的仲良くなったほうだと思っている。
みんなで連絡先を交換したり、SNSをフォローしあったり、良いつながりができたと思ってるのだけど、まさか1年後に子供ができるとは思ってなかったぜ・・・。
医者にならなかった慶應
上記のイベントが終わり、コロナ問題で世界が変わる頃、
慶應は、慶應医学部を卒業したのに医者にならなかったという記事を書いていた。
これだ。
長すぎるので読み飛ばしはしたものの、
彼の中の闇の深さは感じた。
だから、シェアハウスで会ったとき、口唇ヘルペスできとったんか・・・
日本のエリート教育における問題点は、私もある程度は把握していたし、
頭が良すぎるがゆえに、思い悩む人が多いのも事実だと思う。
日本は生きづらい。
更にコロナ禍における若者の状況は、悲惨すぎるとも思った。
大人だって仕事を作らないと生きていけないのに、大学卒業して、いきなり社会に放り込まれても、簡単に生きていけるはずないじゃないの。
私は、幸い仕事は作れるので、自分にできることは、なるべく進んでやろうと思っていた。
慶應にスニーカーを買ってあげた
卒業したあと、どうするのかな、と思っていたら、fecebookのタイムラインに慶應が出てきた。
島根で何やらお世話になっているものの、お金もないから大変そう。
んで、誕生日がきて28歳になったと。
もっと若いと思ってたら意外とおじさんの手前だった。
欲しいものは眼鏡とAmazonのウィッシュリストに載せたとのこと。
眼鏡は高いから却下して、ウィッシュリストをどれどれ、と覗くと、
スニーカーが何点か入っていた。
靴が壊れたらしい。
1万円を超えるスニーカーも入っていて、図々しさを覚えたが、まぁ、1万円以下ならお祝いとしての許容範囲かな、と7999円のスニーカーの購入ボタンを押した。冒頭の写真のもの。
メッセージをつけますか?とAmazonが言うので、こう入力した。
「足元が決まれば、早く走れるよ。頑張ってね。」
先々の人生をどう生きていくのか、悩んだ時は足元を固めてみるだけで、
まずはどう動けるかが分かってくる。
走りやすい靴があれば、走るのが楽しくなってくるはず。
そんな思いで、彼にスニーカーをあげてみた。
あと、暇なら、ウチでご飯作って子供に食べさせてあげて欲しいという気持ちもあった。
ウチは子供3人、共働きで忙しいんだよ・・・。
慶應が家にやって来た
靴が届いたころ、島根にいた慶應からメッセンジャーで連絡がきた。
「ありがとうございます!6月末頃に東京に戻るので、お子さんたちの面倒みますよ!」
ありがたや、できたら夕飯も作ってくださいな、と連絡し、慶應が来るのを楽しみに待っていた。
主人にも話をしたら、シェアハウスの記事でしか慶應を知らないもんだから、
「えー、こんな人が来るの?」
と怪訝な顔をしていたけれど。
実際は、普通の優しい若者ですよ、ホリケンが面白がって「慶應」ってつけただけだよと、説明したら、安心してた。
6月末ころに、東京都知事選が始まり、友人の「込山洋」が出馬するってんで、私と鈴木玄太朗が大忙しになった時、慶應はウチにやってきた。
晩御飯のメニューを決めるのも、買い物も、それどころじゃない、朝から晩まで東京都内を選挙カーに乗って、走り回っていたため、
東京に到着した慶應には、まずは選挙のビラ配りを手伝ってもらった。
それが、慶應の最初の仕事だった。
ウチに泊まって、選挙を手伝って、帰り際に晩御飯は、私がおごってあげた。
慶應がコウジ(仮名)になった
選挙が終わって落ち着いたころには、慶應はもう卒業しちゃったから慶應ではなくなっていると気付いた。
良く言えばフリーだし、中間で言うとフリーターだし、悪く言うとニートだった。
ウチで寝泊まりして、子供と遊んであげたり、晩ごはんを作ってくれたりするお兄さんを、子供たちは「コウジィ」と呼んだ。(※本当はあだ名なんだけど仮名にしときます)
コウジは、これからどうしたら良いものか、なんとなく決めかねている若者だった。
私は、子供たちの世話をしてくれる人が一人でも多くなるのが助かるので、とりあえず、ウチに居てもいいよ、と言った。
そこから1年弱、ウチに居る間に、コウジとしては色々やっていたみたい。
そこまで家に引きこもっているわけでもなく、日中は外出していたし、たまに夜にバイトらしきものに行っていたり、軽井沢のリゾートバイトらしきもので数日家に居なかったりしていた。
でも、帰ってくると、子供は喜んで遊びたがるし、一緒にお風呂に入ったりしていたので、私的には、ちょっと大きい一番上のお兄さんができた感じかな、と思ってたんだ。
ウチに居るときは、朝ごはんを食べたり、晩ごはんを食べたり、私の友達が来る時も、一緒にお酒を飲んだり食べたりしていた。
文字にすると、「寝食を共にする」という状態だったと思う。
家族って血がつながってなくても、出来上がるのかも知れない。
夏のキャンプも、ディズニーランドも、みんなで行った。
ウチとしては、子供3人を見てくれる大人が多くて本当に助かったんだ。
同時に、これから先の人生で、何が自分の幸せなのかは、楽しく過ごしながら探せばいいと思った。
慶應医学部の卒業時には医者にはならなかったけど、精神科医には興味があると言っていたからか、ウチに、心理学やら精神的な本がわんさか増えていった。
コウジ(仮名)のお父さんが亡くなったこと
コウジが、「1週間くらい戻らないです」と言った時に、初めて、お父さんが闘病中だったことと、亡くなったことを教えてくれた。
ご飯を食べながら、色んなことを話したつもりだったけど、少しずつ、聞かれたことだけ答える若者だったから、noteの記事以外で、家族のことは、あまり知らなかった。
でも、なんとなく、コウジが疎遠だった本当の家族との接点が増えて、おばあちゃんの家に泊まってきます、という日が、そのころから増え始めたような気がした。
コウジのお父さんが天国から見守ってくれているのかも知れない。
ユリちゃん(仮名)という彼女ができた
コウジが軽井沢バイトから帰ってきてから、なんとなく外泊が増えたな、と思っていたら、ちゃっかり彼女ができていた。
写真を見たら、「かわいいじゃーん」と、その場にいるみんなで盛り上がったので、今度ウチに連れてくると言ってくれた。
その後、ウチに来た女の子は、偶然、ものすごく馴染みのある名前だった。
そんで、写真よりもかわいかった。
ウチの長女(5歳)は甘えん坊で、優しいコウジが家にいると、ずっとコウジのいる部屋に居て、スマホを借りたりしているのだけども、そこに輪をかけて優しいお姉さんが来たから、嬉しかったんだろう。
彼女と長女が一緒にお風呂に入ったり、長女が夜中に布団に潜り込んで一緒に寝てくれたりと、長女のお守りをしてくれる大人が更に増えたのは、私も主人も助かっていた。
私のママ友達は、「無職でも彼女ってできるんだね」と驚いていたけど、
よくよく考えてみたら、お互いのために多くの時間を使えるからこそ、育めた愛があったんじゃないかと思う。
もう、先に、赤ちゃんでもできちゃえば良いのに、って、コウジには言っていた。私が「赤ちゃん抱っこしたい熱」が高いのもあるけど、コウジの人生で、こんな状況の彼氏を好きだって言ってくれる女の子、二度と現れないんじゃないかとも思ったんだ。
そして、年が明けて、2月以降になると、コウジが家に帰らない日がどんどん増えていった。
バイトも忙しそうだったし、医師国家試験の模試まで取り寄せてたから、ようやく前に進み始めたのかな、と思った。
ただ、今年の2月の医師国家試験は受けなかったのを聞いて、来年までウチで勉強して受けるのかも知れないなぁ、と思っていたんだけど。
転機は急に訪れる
5月。GW中はコロナの緊急事態宣言がなされていたので、なるべく外出はしないように、ウチでは、駐車場でBBQなどをしていた。
ただ、ウチで何かやるよー、という日に限って、コウジがいつも予定が合わず、家に居なかった。
結局、お休みの間、コウジとゆっくりご飯食べることも、話する時間もないなぁ、と残念だったから、休みが合って、ウチに居ると確認した、次の土曜日、5月15日。
ウチでホットプレートでご飯食べよう、と誘っておいた。
そしたら当日、コウジがとんでもない事言い出したんです。
「彼女に子供ができました」
おばあちゃんの気持ち
もう、その言葉を聞いて、どれだけ涙が出そうになっちゃったか。
とりあえず、ワーキャーとおめでとう大騒ぎした後、
冷静に話も聞いたんだけどね。
安定期に入ったからやっと報告してくれた事とか、6月にはウチを出て、彼女と赤ちゃんと一緒に住む家に引っ越すとか、塾に通って本格的にお医者さんを目指すこととか、色々。本当に色々。
翌日は、彼女も来てくれたので、またホットプレート出して、お祝いにみんなでご飯を。妊婦さんの身体に良さそうな食材をたくさん入れて。
この時に、「あぁ、孫ができたおばあちゃんの気持ちってこれか。」と悟りました。
そんなわけで、この1年近く、慶應改め、コウジがウチに居たことで、学んだ事は大きかった。
子供が大きくなると、いずれ巣立っていってしまうものだけど、その後でも、まだまだ人生ってワクワクすることが待ってる。
お金がなくても、愛があれば子供はちゃんと育てられる。
困った時は、誰かに助けてもらいながらでも良いから、とにかく自分ができることを一生懸命にやっていたら良いんだと思う。
疲れたら、休んで、立ち止まって、一度足元を見たらいい。
靴が壊れていたら、走りにくいから、新しい靴に替えて。
そうやって、足元が決まったら、より早く快適に走れるよね。
コウジは、新しい靴を履いたら、子供ができました。
私は、靴を買ってあげたら、孫ができました。
そんなちょっとしたきっかけから始まる楽しい日々。
この記事を書くために、コウジの欲しいものリストを見たら、別なものが入っていました。
コチラ↓
本当に本当におめでとう!!!