真面目であることのすばらしさを伝えたい
真面目
1、うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。
2、真心のあること。誠実であること。また、そのさま。
あなたは真面目ですね。
このように言われた時、あなたはどう感じるでしょうか。
私は時に、この真面目(まじめ)という言葉の使われ方について、もったいないなと思うことがあります。
それは、生真面目、真面目過ぎるなど、良い言葉で使用されないことがあるばかりか、真面目という言葉自体にも、少し馬鹿にしたように言葉を発する人がいることです。
真面目は誰に対して言う言葉?
そもそも、真面目を悪い言葉で言う時、その言った人は誰に対して言うでしょうか?自分?、、、いや、多くの場合は他人に向かってでしょう。
誉め言葉として使用されることもありますが、真面目はカッコ悪い。このような考え方を持っている人は少なくないのではないでしょうか。
全力で頑張るのはダサい、カッコ悪い。
誰が何のために作った言葉なのか。
無駄なコトはするなと言わんばかりに時には正解を押し付けてくる人もいるでしょう。
それに対して、真面目ってカッコイイよね!って自分に言える私でいたい。
そのように思うわけです。
まじめとしんめんぼく
先ほど、真面目(まじめ)という言葉について、自分が自分に使うより、おおよそは誰か他人から言われることの方が多いと言いましたが、真面目の読み方を少し変えると、言葉の意味合いや趣が変わっていくことがわかる。
真面目(しんめんぼく)
1、人や物事の本来のありさまや姿。真価。
2、まじめであること。また、そのさま。
意味としては、真面目(まじめ)と同義ですが、ベクトルを自分に向けて考えてみると違いがよくわかります。しんめんぼくをしんのめんぼくと置きます。
真の面目(しんのめんぼく)
真は真実の真。真の姿。
面目とは顔や対面、姿のこと。いわば自分のことです。
意味を掘り下げると、真面目(しんのめんぼく)とは、真の自分の姿をあらわします。
つまり、本当の意味で面目(めんぼく)が立つことを、真面目(しんめんぼく)と言います。
言い換えると、自分が自分を振り返った時に、恥ずかしい行動をしていない、恥ずかしい生き方、あり方をしていない、美意識に則っているかどうか。その様子を真面目(しんのめんぼく)と言います。
自分に対して嘘をつかず、誠実でいる様は、日本の恥の文化、美学から見ても、美しく、素晴らしい姿だと思いませんか。
つまり、真面目(まじめ)という言葉は、他人を指して言う言葉ではなく、自分自身を振り返った時に、自分の美学に沿った恥ずかしくない生き方をしているのかどうか。そういう時に使う言葉なのです。
前回の記事で書いた無駄ということばについてでも言える事ですが、
言葉を使用する時に、むやみに他人に向けることが多いように思います。
それのベクトルを自分に変えるだけで、ポジティブになれるし、自分をもっと好きになれるし、自分の意思で物事をかえるためのきっかけになります。
私も常に、真面目(しんのめんぼくが立つように)に生きていきたいと思っています。