50の女
今までこの数字になんの抵抗もなかった。
叔母が40代の時に結婚後初めて外に働きに行った。
その姿を見ていた祖母は、脂の乗った魚の様だわ〜と義理の娘に言っていた事を思い出す。
私はもう50代の半ば、四捨五入なんてしようものならアラカンの分野に入る。
更年期と言うものを40代の後半から、なんとなく体が熱くなったり、生理が止まってしまった日数が続いたりと、これを更年期と呼ぶのか?と思っていた。もう生理が来ないのか?っとなんとなく男になった気分で、自分の中での女と言う文字が、寂しげに消えていきそうに思えた。
そんな私が50代の初めに20年ぶりに恋をした。
これには私の頭よりも1番に反応したのが、体だった 再び生理が始まったのだ! 何年ぶり?
これには、自分が1番驚いた。
やはり恋というものは、凄まじい力を与えるんだなぁ〜っと、そしてそれと同時に、自分自身も男ではなく、また純粋な乙女になった気持ちになって、なんとも言えない甘い香りに包まれている様な気がした。きっと私は今が1番脂が乗っている魚になったのかもしれないっと、その時思った。
結婚して3年も経たないうちに離婚をした私は、周りから化石、日本でいう干物女と呼ばれていた。
特に外人に興味があるわけでもなく、まして日本人に会うことは滅多になかった。40後半まで、子育てに追われ、仕事と子育ての両立を一人でこなす事に精一杯だったからだ。
生理を取り戻した私は、水を浴びた魚の様に潤っていた、いや、ここで言う潤いとは、身も心もだ。
もう2度と恋などしないだろうっと考えもしていなかった時に偶然に出会った方だった。
その前から日本へ子供達を連れての旅行を計画していた私に、この方と会うチャンスが到来した。
いや、電話やテレビ電話では毎日の様に喋っていた仲だが、実際に会うのは、少し考えさせられた。
日本旅行は2ヶ月後に迫っていた。
これを言ったらきっと会いに来ると言うだろう、でも、下手に東京に来られても、きっと迷子になる事だろうし、はっきり言って東京で一緒には歩きたくないタイプの方だった。ちょっと失礼だが、普段の服装などをみる限りは、ほんわかとした田舎の普通のおじさんだったからだ。
そう思った私は1日だけ、飛行機を飛ばして会いに行く事を決めた。空港で会えば、どんな人かわかるし、第一安全だ。もちろん電話では、とにかく何度もしゃべっているから、ほとんどの事はわかっていたし、雰囲気も掴めていた。
私は背が高い。
彼の身長も一応、聞いてはいたが、電話で見てもそれほど高い様には見えなかったが、私はジーンズに短いブーツを履いて行ったので、普通より高く見られたと思う。でも気にしなかった。お気に入りのワインレッドのコートにジーンズ、颯爽と飛行機から降りて出口を出ると、すぐにわかった。
彼は恥ずかしそうに、こんにちは、っと言って、外に置いてある車があるんだと言うので、そちらへ歩いた。
やはり背が高いね、と言われた。
私の為に用意された車の中には、亡くなられた奥様が作った品々があり、今まで男一人でなんとか家族を守ってきたんだな、と言う事がわかる様な車中だった。
彼の奥様は10年前に癌で亡くなられた。おしどり夫婦と呼ばれるほど仲の良い夫婦だったが、子ども3人を男で一人で育て上げた方だった。
車の中には、私の喉が乾いた時の為の午後の紅茶が買っておいてあった。流石にまめだ。
車の中で色々しゃべった事は、毎日テレビ電話で喋っている時と変わらなかったし、背は私より高いのだけど、同じ様な背丈の様にも見えた。
日本人の男性ってやっぱり細身の方が多いなぁと思った。外人と比べてはいけないが、やはり全体的に体が大きい人が多いのかも?と思った。
50代の女は、渋みや甘みがある干し柿というそうだが、私はまだまだ干し柿ではないと思っている
もちろん今でもだ。女性は恋をすれば、いつだって潤う、それを体で体験した私は、多分また恋に堕ちれば、脂の乗った魚に変われることだろう。
ちなみに60代はなんぞや?
長い年月を経て、深みと芳醇をもつ熟成ワイン、
落ち着きと知性に輝く時期らしいが、まだまだ未熟者の私は、そこまではいかぬ
ふふふ
今宵はなんの夢を見よう
50からの恋多きおなごの夜の夢は
やはり殿との夢に限る
さぁさ、今宵もあなた様との夢でも見ましょうぞ