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時代の常識を乗り越えていく科学者 ~Beyond Science~
最近、「チ。―地球の運動について―」(ビッグコミックス)第一巻を読みました。
この漫画は15世紀のヨーロッパを舞台に、当時、天動説が常識とされていた中で、地動説の正しさを示そうと奮闘した人たちの姿を描いたものです。
タイトルの「チ。」は地球の「地」を表したものでしょう。
宇宙への忠誠心
話はいきなり、「苦悩の梨」という器具を用いた凄惨な拷問シーンから始まります。当時、キリスト教の教義に反する地動説を研究することは、命の危険が伴うことでした。
この漫画ではたびたび、そのような拷問のシーンが出てきます。
自らの命や立身出世を考えず、「神の創られた宇宙」を探求し続ける科学者と、これを「神」の名のもとに弾圧する者たち。
どちらが真の「信仰者」なのか。
この漫画を読んでいると、科学者の並々ならぬ宇宙への忠誠心のようなものを感じます。
"美しさ"と"理屈"が落ち合う
主人公・ラファウは12歳で大学に進学するほどの頭脳の持ち主。「合理的に生きる」を信条とし、優れた処世術を身につけた若き青年です。
平たく言うと、何事も「そつなく」「うまく」こなし、世の中をなめて見下したようなところがある青年。
当時は「神学」が学問の頂点とされていました。
だから青年ラファウも、教師の問いに対して「神学的に」模範的な回答を述べ、大学への進学にあたっても神学を専攻する予定でした。
自分の将来のことを考えるなら、当然、神学一択です。
そんな彼が心の奥底で惹かれていたのが、天体観測でした。
空を動きまわる星々に、彼は美しさを感じていました。しかし観測と計算を何度繰り返しても、シンプルな法則を見い出すことができない。
そうしたある日、彼は天文学者のフベルトと出会うことになります。年恰好は30~40歳代といったところでしょうか。
フベルトはラファウに宇宙の形を描くように言います。ラファウは天動説をもとにした宇宙の図を描きました。
・・・それは、とても複雑で難解な形をしていました。
天動説を正しいものとして全ての星の動きを説明しようとするため、辻褄を合わせるために、星の動きが複雑化してしまっているのです。
惑星の動きは「さまよって」いるようで、まさに天文学者たちを「惑」わす星でした。
フベルトはその複雑な図を見つつ、ラファウに問いかけます。
「この真理は美しいか? この宇宙は美しいか?」
フベルトの問いにラファウの心は動かされます。
そうしてフベルトは地動説の構想を示します。それをもとに、あらためて図を描いてみると、見事、全ての惑星が同心円上に収まりました。
フベルトは言います。
私の宇宙では、地球は2種もの運動(公転と自転)をしている。
そこでは"美しさ"と"理屈"が落ち合う。
科学と芸術は双子のようなものだと言われます。
どちらもこの宇宙を感じ取り、これを人々に伝えていく(利用できるようにする)ことで、皆の幸せに貢献するもの。
宇宙には法則があると共に、美しさがある。
探求をあきらめない心
青年ラファウはフベルトに問いかけます。
「フベルトさんは何故、危険を冒して・・・天国を棄ててまでこんなことをしてるんです?」
「神を否定したいのですか?」
それに対して、フベルトは以下のように答えます。
「神を信じるからやるのだ。」
「神が作ったこの世界は、きっと何より美しい。」
「それを知るのに盲信も金銭も地位もいらない。」
やがてフベルトは捕らえられ、火に焼かれます。しかしその精神は、若きラファウに受け継がれていきます。
この漫画には、科学を志す者にとって大切なメッセージが込められているように感じます。
今では学校で当たり前のように教えられている地動説。しかし当時は非常識極まりないものとして扱われていました。
今、信じられている科学常識が全てではない。むしろその「全て」をひっくり返すような真実が、いつ出てきてもおかしくない。
それも驚くほどシンプルで、美しい真実が。
だから謙虚にあらねばならない。探求をあきらめてはいけない。
宇宙を信じる者(Believer)であれ。
現代科学を越えていけ(Beyond Science)。
真実のために命がけになれ。
この漫画には、そのようなメッセージが込められているのではないでしょうか。
今のこの時代を乗り越えていくために。