【だからわたしは今日もゴミを拾う】「NO」の代わりの「YES」が言える日
その日、わたしはブーツを拾いました。
別の日、おもちゃの車を拾いました。
また別の日、トースターを拾いました。
ゴミ問題に取り組むわたしが入る山には、「ゴミ」と呼ばれる前は「誰か」に必要とされていたモノたちが、ひっそりと横たわっています。
それらをひとつずつ手で拾い上げ、土や葉っぱを払い落すと、活躍していた時の様子が見えるような気がします。そんな時は「待たせたね」とヒーロー気分になります。
真冬も真夏も汗と砂埃まみれの自称ヒーロー。
しかし時々、拾い上げた“誰かの思い出”に少し悲しくなります。
わたしが生まれる前から蓄積されてきた、拾ってもキリがないゴミを前に「なぜ、こんなに頑張っているのだろう」と思うこともあります。
それでも、ビニールや缶が埋まっている場所で、木々がしっかりと根を張れるとは思えないし、ゴミを漁る動物たちの姿を想像すると辛い。
また、これらは最終的に海へ流れ込み、半永久的に海を漂い多くの生物の命を脅かし、私たち人間にも返ってくる。
だからわたしは、
山へ入り、斜面いっぱいに投げ捨てられた家電や缶、ビニールや食器を拾い
川へ入り、草に絡むビニール紐やペットボトル、洋服やタイヤを拾い
海へ入り、珊瑚に絡んだ釣り糸やロープ、便器やお菓子の袋を拾う
昨今、これまでの大量生産・大量消費に「NO」と言う企業は増え、使い捨てや環境に配慮していない商品とサービスに「NO」と言う消費者も増えてきました。これは希望です。
そして企業と消費者が努力を重ねれば、その先には「NOと言う必要のない世界」があるはずです。「NO」の代わりの「YES」が増えるたびに、この世界は今よりもっと輝きを増すと思います。
そうすれば森の木々たちは、もっと大きく幹を伸ばし、葉に落ちる雨を存分に受け止め。海の生物たちは、もっと生き生きとした海藻や珊瑚で卵を育て、海を優雅に泳ぐでしょう。
現に、ゴミ拾いをした森は喜んでいるように見えるし、海は透き通って見えます。そして、それを見てわたしは「良いことしたね」と、自分と仲間に対して「YES」をあげるのです。世界のNO をYES に変えるのは、一人ひとりの努力と愛。
だからわたしは今日もゴミを拾う。
ヒーローが必要なくなるその日まで。