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これぞ「一生もの」のトレンチコート
ブランドへの憧れ、みたいなのがほとんどない。
そんな私が唯一憧れているブランド、それがYves Saint Laurent(イヴ・サンローラン)である。
厳密にいうと、ブランド創設からムッシュー・イヴ・サンローラン本人が退くまでの期間(1961 - 2000初頭あたり)のYSLに憧れている。この期間内だったとしても、本人がデザインしていない、ライセンス品やエディ・スリマンがデザインしたであろうプレタポルテには興味がない。つまり、ブランドのYSLというより、デザイナーとしてのムッシュー・イヴ・サンローランに憧れているということだ(尊敬しているので敬称ムッシューをつけている)。
そもそものきっかけは、映画『ファクトリー・ガール』を観たことだ。この映画をきっかけに私は、60年代、そして70年代の世界にどっぷりとハマった。それはアンディ・ウォーホルがかの有名なファクトリーで日々創作をしていた時であり、彼は若き日のイヴ・サンローランと交流があったことも知った。そこから様々な本を読む中で、若干21歳にしてDiorの主任デザイナーとなったり、その後も若くして自分の名を冠するブランドを成功させる一方で、常に謙虚な姿勢で女性たちを「idole(女神)」と称して服を作り続けたイヴ・サンローランという人物に興味を持ったのだ。
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だから私が「YSLが好き」と言ったとき、その意味は普通の人とはだいぶかけ離れてくる。まあそんな説明を人にすることは日常あまりないので、誰に言い訳するでもなく、日々「YSL 70s 80s」などでヴィンテージ品を検索している。
ある日いつものように、お馴染みEtsyを検索していると、イタリアのお店で件のトレンチコートを見つけた。90年代のプレタポルテライン「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」のもので、写真からでもわかる質の良さだった。念のためメッセージで出品者に連絡を取り、いくつか質問をし、追加の写真も送ってもらった。
さて、トレンチコートというのは中々の鬼門になり得る。なにせ本当に皆着ているからだ。秋や春になると、道行く人の5分の1くらいがベージュのトレンチコートにボーダーのインナーになる(偏見)。電車の中で就活生の集団なんかと当たったら、それこそ一面トレンチコートの海になる。ベーシックアイテムでデザインが一定だからこそ、街中にあふれてしまう。人と被るのが嫌いなマキシマリストとして、果たしてお気に入りアイテムになり得るのか…。
そんな一抹の不安はありつつも、私は意を決してそのコートを買うことにした。そして結論から言うと、私の心配は杞憂に終わった。道行くトレンチコートとは一線を画すものだったからだ。
イタリアからはるばる届いたそれは、ハイブランドの名にふさわしく、生地はしっとりと重く、縫い目は美しく几帳面に並んでいた。しっかりした縫製で生地でヨレやくたびれもなく、デザインもクラシックで流行り廃りがないため、一見すると30年前のものだというのが嘘のようだ。唯一90年代ヴィンテージであることを表しているのは首元のタグ。何度も脱ぎ着した際の摩擦のせいか、タグの両端だけがほつれている。
色は写真でみた時は普通のベージュだと思っていたけれど、実際に見てみるとほんのりグリーンがかったベージュだった。これは嬉しい誤算で、人と違う色も気に入った。そして丈が長めなのがまた良い。これが特別感というか、「いい女」っぽさを醸し出す。気軽にちゃちゃっと羽織れるというよりは、「私を羽織るからにはそれ相応の身なりをしなさいよ」と言われているかのように背筋がのびる。丈が長く生地も重い分、歩き方や身のこなしが雑だと着こなせないのだ。
私の手元にはクリーニングから戻ったばかりのこのコートがある。まだ今年は袖を通していないけれど、東京の気温もだいぶ下がり、もうそろそろ出番だろう。またお世話になるのが楽しみだ。今年もよろしく!
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・愛用歴:2年